幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「神様が味方するすごいお祈り」佐川奈津子著 ”祈りとは神さまからのプレゼントを感謝していただくこと”

2018-06-20 08:16:48 | 本の紹介
・祈りの法則
1)わたしたちはたったひとつの愛に戻っていく
2)ゴールはたったひとつの愛に戻ること 
3)祈りは完璧な存在によって完璧になされる
4)完璧な存在に感謝するだけでいい
5)今、ここで感謝する 
6)祈りは約束してきた出逢いを速める
7)ほんとうの愛以外の事柄はすべて浄化されていく
8)二人以上で祈るとパワフルに現実化される
9)小さな感謝は大いなる存在への感謝につながっている

・祈りの文書を書いてみる
1)ネガティブで否定的な怖れの想いを見つめる
2)怖れている自分も愛の自分も否定する
3)大いなる存在に感謝を想う
4)想ったらすぐに具現化する

・「わたしたちは愛されている。ゆえに、祈りを通して奇跡だけが与え続けられる」。この法則そのものが、神(キリスト)、宇宙からの愛の贈り物だった。

・「今、生きていて、わたしのそばにいてくれる人を、もっと大切にしよう・・・神の愛への感謝を深めよう」。奇跡の贈り物をただ無条件で受け取る体験が繰り返されたことで、神の愛への信頼を、愛によって育てられました。

感想
著者はクリスチャンで、キリスト教の御祈りです。

祈るとは、自分でできることは全て行い、自分でできないことを祈ります。
祈るとは、自分でできないことを全て神様に委ねます。
神さまは、私たちを愛して下さっていると信じます。
祈っていると、常にそのことを考え、そしてまだ自分に残されている自分に出来ることに気づかせてくれます。
そしてそれを実行します。

祈りることは希望を持つことでもあると思います。
まさに真っ暗な時にも、希望という灯りを持つことにより、歩むことができます。
一人だと思っても、神様が愛して下さっているとの思いが、やすらぎと勇気を与えてくれます。
クリスチャンでなくても、祈ることは大切なことのように思います。

全てに感謝して、いつも喜び、絶えず祈る。
この気持ちで日々を過ごしていくと、ステキな人生になるように思います。

相田みつを作
雨の日は 雨の中を
風の日は 風の中を

私はそれに付け加えました。
雨の日は 雨の中を 楽しむ
風邪の日は 風邪の中を 楽しむ

加計孝太郎理事長が初の会見 総理との面会「記憶も記録もなし」職員が勝手に… ”部下は犠牲者!”

2018-06-19 13:20:18 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180619-00010001-ksbv-l33 KBS瀬戸内海放送6/19(火)

 加計学園の加計孝太郎理事長が、19日午前11時から、問題発覚後初めてとなる記者会見を開きました。

 安倍総理と加計学園理事長の面談について、学園側が「愛媛県と今治市にウソの報告をした」として、当時の担当職員を減給処分。理事長自身も給与を自主返納することを明らかにしました。

 また、安倍総理との面会については「3年も前で、記憶にもないし、記録もなかった」と説明。獣医学部新設を前に進めるため、職員が「勝手にやった」という認識を示しました。

記者会見する加計孝太郎理事長(岡山理大・午前11時)
 会見冒頭、加計理事長は、愛媛県が国会に提出した文書をめぐり、学園職員が起こした不適切な言動について愛媛県民、今治市民、関係者に多大なるご明確、心配をおかけした」と謝罪。

 うその報告をした当時の担当者を減給10分の1、6カ月の減給処分に。自身の最終責任者としての監督責任を明らかにするとして給与の10分の1を12カ月間自主返納するという文書を読み上げました。

記者会見する加計孝太郎理事長(岡山理大・午前11時)
 愛媛県が先月、国会に提出した文書には加計孝太郎理事長と安倍総理が「2015年2月25日に面談した」とする記載がありましたが、加計学園と安倍総理はこれを否定。のちに、加計学園側が「うその報告をしていた」と愛媛県などに謝罪していました。

 これについて、会見で加計理事長は、職員が「ことを前に進めようとして言ったと報告を受けている」と説明。職員が勝手にやったという認識を示し、自身の関与を否定しました。

 加計学園が今年4月に愛媛県今治市に開校した岡山理科大学獣医学部を巡っては手続きに不透明な部分があると指摘されています。問題発覚から1年以上たって、理事長が会見を開いたのは初めてです。

感想
部下も辛いですね。
正直にやって処罰され、かつ上司の命令で虚偽だと言う。
そして処分される。
きっと裏取引があると思われるのですが・・・。
真実はわかりません。

生活があるので辛いでしょうが、人としてどう生きるかが問われているのでしょう。

加計理事長も発言が微妙です。
「記憶も記録もない」
会っていないとは断言されていません。
言い逃れができるようにされているのでしょう。
それは会っているので、断言すると虚偽になるからです。

その虚偽発言の成果で官僚が動き認可につながったのですから、もし虚偽だとされるなら、多大な貢献をした部下になります。

部下に虚偽発言をさせ、自分はしないようにされているのかなと想像しました。


至学館大が栄和人監督を解任 谷岡郁子学長、態度に不満「まったく反省できていない」 "もっと反省できていないのは谷岡学長ご自身では?”

2018-06-17 17:04:28 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/sports/news/至学館大が栄和人監督を解任-谷岡郁子学長、態度に不満「まったく反省できていない」/ar-AAyKkxA?ocid=spartandhp デイリースポーツ/神戸新聞社 2018/06/17

 日本レスリング協会副会長で至学館大の谷岡郁子学長(64)が報道陣の取材に応じ、レスリング女子で五輪4連覇の伊調馨(ALSOK)にパワーハラスメントを行ったことが認定された栄和人前強化本部長について「私たち至学館大学は栄和人監督を解任することを決断いたしました」と、発表した。

 栄監督は大会初日に謝罪会見を行ったが「謝罪会見、数日の様子を見て、まったくまだ分かっていない。反省できていない」と、解任の理由を説明した。

感想
今頃になって解任なのかと驚きました。

「まったくまだ分かっていない。反省できていない」のは谷岡学長ご自身では?
と思ってしまいました。

やはり権力を握っている人は好き放題できるのでしょう。
ご自分の記者会見での内容を忘れられたのでしょうか?
あの時の内容は間違っていたとの発言もありません。

きっと、周りの反響が大きかったので、トカゲのしっぽ切りをされたのでしょう。
そんな学長の学校で学びたいと思う学生は少ないと思います。
日大はまだしても学内から声が上がっていますが、至学館ではその声も上がっていません。

映画「空飛ぶタイヤ」が上映されています。
実例を映画化したものです。
品質の最高責任者が間違った判断(隠す、虚偽報告)を意図的にしましたが、それに従った社員も多くいました。
それに耐えられなかった社員が内部告発しました。
そのグループの会社では、
・リコール隠し
・排気ガス不正
・データねつ造 など
多くの不正が次から次と出ています。
他の会社でもありますが。

それはきっと会社の体質、トップの姿勢、
品質やコンプライアンス遵守よりも売り上げ/利益優先なので、つい社員が間違った指示にも従って今うのでしょう。
企業には厳しいですが、国は自分達がやっても甘いです。
・国の財産8億円ディスカウント
・お友だちの大学認可
・決裁文書偽造
・保管文書を廃棄したとの虚偽報告 など

企業に対しては国は厳しく当たっていますが、政府がやったことには厳しくないです。
政府に対しては国民が声をあげないと良くならないのでしょう。

至学館では、受験者数の減少などが起きないと学長の責任を問われることはないようです。


「100歳のことば」日野原重明著 ”言葉は生きる力!”

2018-06-17 02:28:08 | 本の紹介
・会うこと。会話はド(音の高さ)からではなくラからはじめる。

・「ほめられようと、ほめられなくとも、時がくれば花が咲く。自分のやるべきことを黙ってやって、去っていく」宮崎 奕保 永平寺第78世貫首

・「死ににきて、死ぬ時ならば死ぬがよく、死にそこのうて死なぬなほよし」
仙厓義梵 禅僧

・「金持が名誉でない事を知っている金持の夫人はあるでしょう。しかし貧乏を恥と思わぬ貧乏人の妻はそうあるものではありません」中川一政 画家

・「結局、人間は人間のために何かをするよりほかないんじゃないかしら」高峰秀子 女優

・「私の一つよい癖をご紹介しておきましょう。それは私に、人のことを羨ましがると言う習慣のないことでした」宇野千代 作家

・「いまやらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる」平櫛田中 彫刻家

・「60点主義で即決せよ。決断はタイムリーになせ。決めるべきときに決めないのは、度し難い失敗である」土光敏夫 経営者

・「創めることは未来に花を咲かせることだ」日野原重明 

・「悲嘆にくれているものを、いつまでもその状態に置いておくのは、よしわるしである」井伏鱒二 作家

・「芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである」
奥村土牛 画家

・「今日の経験を明日に用いない者には大成功は望みがたい」大倉喜八郎 実業家

・「山奥の誰も見ていないところでもきれいに咲く桜。人が見ているからとか、見ていないから咲かないというような、陰日なたはありません」松原泰道 臨済宗僧侶

・「人が僕を必要とするかぎり、僕はその人の要望に応えたいという気持ちがあります」斉藤茂太 精神科医

・「創めることは未来に花を咲かせることだ」日野原重明

・「私は自由主義者ではあるが、国家に対する反逆者ではない」石橋湛山 政治家
 戦前、戦中と軍部の圧力にも、自由主義の旗をおろさなかった石橋湛山は、GHQから公職追放の処分を受ける。その適否委員会に湛山が提出した書簡にあった言葉。そのつづきを読んでみよう。
「私も、私の死んだ子供も、戦争には反対であった。しかしそうだからとて、もし私にして子供を軍隊に差し出すことを拒んだら、恐らく子供も私も刑罰に
処せられ、殺されたであろう。諸君はそこまで私が頑張らなければ、私を戦争支持者と見なされるであろうか」
石橋湛山の息子は、昭和19年2月、ケゼリン島で戦死した。その弔いの席で湛山が述べたことが、この書簡の前段にあって、
「私はかねて自由主義者であるために軍部及びその一味から迫害を受け、東洋経済新報も常に風前の灯の如き危険にさらされている。しかしその私が今や一人の愛児を軍隊に捧げて殺した。私は自由主義者ではあるが、国家に対する反逆者ではないからである」

感想
言葉は誰の口から出たかによって重みが違います。
その人の生き方があって、その言葉が輝いてくるのだと思います。

言葉を“自明灯”として、自分の人生の先が見えなくても、その言葉を信じて一歩一歩歩むと自分の花が咲くのでしょう。
信じる力がその人の生きる力なのかもしれません。

阿川佐和子さん「サワコの朝 白石加代子さん」 ”ステキな楽しい方”

2018-06-16 08:08:08 | 生き方/考え方
女優。「女王蜂」など、不気味で怖い役をたくさん演じてきた。怖いものが本当に嫌い。女優とは誤解を楽しむもの。

菊池寛賞を2014年一緒に受賞。「ひよっこ」ではおちゃめなおばあさん役を演じて好評。「八つ墓村」
怖い女優を演じた明るい素顔を。

芸歴50年で朝ドラ初めて。普段はあんな感じだけど。主人公の住むアパートの大家さん。どんどん“おちゃめな役”になって行った。

1曲目は美空ひばりさん「越後獅子の唄」。
女優の始まりは早稲田小劇場。劇団が東京から新潟に拠点を移した。大変だった劇団員時代に歌った。
「芸がまずいと叱られて」の箇所は全員で声を出して歌った。それが実際だった。

小さいころから演劇に憧れていた。麻布小学校に通っていた。その小学校は児童劇団を呼んで見せてくれていた。父は逓信省に努めていた。父を結核で亡くしたのが5歳。生まれる前の弟と母を支えないといけないと思った。母は頼りない人だった。母は着物を売ったりした。

高校を卒業して、区役所に勤めた。でも演劇への夢は消えなかった。テープレコーダーに吹き込んで聞いたり、路上で踊ったりしていた。区役所勤めをしながら女優に憧れていた。鈴木忠志が演出家にいた。公務員を辞めて劇団員になった。厳しい指導をする人だった。演出家は計算ずくで怒っていた。「役所に戻れ」はずっと言われたが、それが何ですか?

「舌切り雀」のおばあさん役を与えられた。その演技が注目された。
父からふ卵器で孵ったひよこを渡された記憶があった。すずめを愛おしく思う気持ちと、雀を恨む気持ちを混ぜて、舌を切った雀を放して、笑った。周りを驚かした“不思議な笑い”だった。

「悪魔のてまり唄」など。朗読劇「百物語」がライフワーク。最初は朗読劇を引き受けるのは戸惑いがあった。「サワコさんの演技はよかった」。自意識があるがそれが捨てられなかった。陸王のサワコさんは自意識の捨て方が素晴らしかった。「私だってきれいにみられたい」との気持ちはある。この話はこれで終わって、何の話していたっけ? 朗読劇は躊躇した話。
岩波ホールに「朗読劇」をやるので借りに行ったら、ここは映画のためのホール。白石さんだから貸しますが、安い値段でやらないで欲しいと言われた。

「百物語」シリーズを全国ツアーしている。
阿川佐和子さんの本「ウメ子」を朗読してくれた。なんかイキイキした。ウメ子が白石佳代子さんみたいだった。

2曲目は、母が残した家が修善寺にある。渋滞になると主人が眠くなる。そうしたら、主人から「何か歌って」と言われる。なので、主人にも歌わせる。岡晴夫「あこがれのハワイ航路」が眠気防止に効果がある。出航の唄は眠気防止によい。

映像に挑戦しようとの気持ちはあるけど依頼がない。使い方がわからないのではないか。なんでもやるんだけど。怖いおばさんはもうやめとこ。十分やったので。笑

感想
とても楽しい、可愛い方でした。
やりたいことがあればその気持ちを持ち続ける。
そしてその時が来たと思ったら、今あるものを捨てて飛び込んでいく。
保証がなくても、信じてかけてみる。
そこでは必死に努力していく。

大切なことを教えていただいたように思いました。