幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「孤将」金薫著 蓮池薫訳 ”秀吉の朝鮮討伐を朝鮮側から見たお話”

2018-06-12 02:40:18 | 本の紹介
豊臣秀吉が朝鮮討伐に兵を派遣しました。秀吉の死去で撤退しました。当初は破竹の勢いでしたが、明が朝鮮を応援したので、最後は悲惨で撤退も大変だったようです。
これを秀吉の命で事務方をしたのが、石田三成でした。挑戦で先頭になって戦ったのが加藤清正と小西行長でした。加藤清正が石田三成に反発し、秀吉の家来が対立し、そこを上手く利用した徳川家康が豊臣を滅ぼしました。

この小説はその朝鮮討伐を朝鮮側から見た実際のあった話を小説にしたものだそうです。

主人公は水軍のトップであったが、王の気分を害し、逮捕されました。
しかし、後任の者が秀吉隊に大敗を喫し、復活しました。
そして秀吉隊を追い払うまでの話で、最後は流れ弾にあたり命を失いました。

同じ事象を逆の立場で見ることの重要性と、やはりトップの考え方や支援が大きいということを教えてくれました。

感想
事実に基づいて書かれたお話で、一部著者の追加などがある本のようです。

物事は様々な角度で見ないと真実は分かりにくいのだと思います。
蓮池さんが訳されていたので、興味を持って読みました。

日本から見れば、”討伐”、朝鮮から見れば”侵略”になるのだと思います。
何時の時代でも、戦争が悲惨な行為であることは変らないようです。
なのにそれを繰り返してしまうのが、浅はかなところです。
戦争が始まってからは反対はできなくなります。
その兆しが出た時に声をあげないといけないのでしょう。

高裁「DNA型鑑定、信用できぬ」 袴田さん釈放は継続 "おかしいな判決”

2018-06-11 20:02:18 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASL6C4R5VL6CUTIL027.html (朝日新聞)
、東京高裁(大島隆明裁判長)は11日、再審請求を認めない決定をした。静岡地裁は2014年3月に再審開始を認める決定をしていたが、高裁はこれを取り消した。弁護側は高裁決定を不服として、最高裁に特別抗告する方針。

 地裁決定は袴田さんの釈放も認めていた。高裁は「年齢や生活状況、健康状態などに照らすと、再審請求棄却の確定前に取り消すことは相当であるとまでは言い難い」として、死刑と拘置の執行停止は維持した。このため、最高裁の結論が出るまで袴田さんの釈放は続く見通しだ。

 確定判決は、事件の1年2カ月後に現場近くの工場内のみそタンクから発見された、血痕がついた5点の衣類を「犯行時の着衣」と認定した。再審開始を認めた地裁決定は、衣類のうち、シャツの血痕から袴田さんとは異なるDNA型を検出したという本田克也・筑波大教授の鑑定結果の信用性を認め、「衣類は袴田さんのものでも、犯行時の着衣でもない」と判断。これを不服として即時抗告した検察側は、本田教授の鑑定が「独自の手法で信用できない」と主張してきた。

 これに対し、高裁決定は本田教授の鑑定方法などに疑問を呈し、「結果も信用できず、(無罪を言い渡すべき)明白性が認められる証拠とは言えない」と逆の判断をした。5点の衣類が犯行時の着衣という点に「不合理な点はない」とも述べ、「(袴田さんを)犯人と認定した確定判決の認定に合理的な疑いが生じていないことは明らかだ」と結論づけた。

 死刑囚の再審請求が一度認められた後に取り消された例としては、61年に発生した名張毒ブドウ酒事件がある。この事件では2005年に名古屋高裁が再審を認めたが、翌年に同高裁の別の部が取り消した。再審請求をめぐる争いはその後も続き、事件を起こしたとして死刑が確定した奥西勝元死刑囚は15年に89歳で病死した。(小松隆次郎)
     
感想
何ともおかしな半径のように思いました。
再審査を認めない決定をしたということは、死刑囚になり投獄されることになります。

高裁は「年齢や生活状況、健康状態などに照らすと、再審請求棄却の確定前に取り消すことは相当であるとまでは言い難い」として、死刑と拘置の執行停止は維持した。このため、最高裁の結論が出るまで袴田さんの釈放は続く見通しだ。

高裁は自分達の判断は間違っている可能性もあるので、最高裁の結論を待ちたいので、釈放を認めるとのことです。
つまり、「疑わしきは罰せず」の状況なのではないでしょうか?

検察は自分達の名誉のために行っているのではないかと思うことがあります。
村木厚子さんを犯罪者にするために、大阪地検の前田恒彦氏が証拠物件のフロッピーディスクを改竄したとして証拠隠滅、当時の上司であった大阪地検元特捜部長・大坪弘道及び元副部長・佐賀元明が、主任検事の前田による故意の証拠の改竄を知りながら、これを隠したとして犯人隠避の容疑で、それぞれ逮捕(ウィキペディアより)、

検察は上の命令があるとレイプ犯を逮捕寸前で中止したと言われている。
山口敬之氏(安倍首相のお友だち)からの詩織さんへの準強姦事件は起訴されず

財務省の8億円の国の財産ディスカウトと決裁書類偽造
佐川氏不起訴

日本は法治国家ではなく、権力者のための法治国家なのではないかと思ってしまいます。






「不当要求・クレーマー撃退のポイント50」深澤直之著 ”知ることが適切な対応につながる!”

2018-06-11 01:06:48 | 本の紹介
・クレームには最初から不満な感情が存在する。
 「要求、主張行為」や「問い合わせ、相談」
+「不満足」な感情(苦情、文句、抗議)

・不満な感情を和らげようと努めること。少なくとも増幅させぬようする。
 「それはご不快でしたね」「あいすいません」「それはご迷惑をおかけしました」「申し訳ございません」「すませんでした」
相手方の話をじっくり聞くことです。

・「詫びたのは、俺の言ったとおりだと認めたからだ」と言われても、「違います」「それとこれは別です」などと言い切り、議論などする必要はもないのです。

・クレームの対応の基本、「誠意」をもって「迅速」に「正しく」+「記録をとる」

・訪問時の注意点
 クレーム内容は記憶する(内部書類は目前に出さない)。

・「現場・現物・現実」の把握。クレームとの関係を確認が大切。原因究明の際には必要に応じ「預り証」の発行、「承諾書」の入手
「修理のために預かる」「修理できない時は預かったままの状態では返還できないため、そのままの状態では返還しない」との承諾文書を入れておく。

・大甘な処理は絶対にしないことです。相手が受け入れなければ、粛々と法的対応(相手が動くまで待つ)に移ればいいのです。

・交渉時の注意点
「厳しい要求」は「拒絶」か「持ち帰って後日回答」
「誠意を示せ」などの不当要求には「明確な拒否回答」

・クレームはゼロにできない。
 現場の意識改革「自分たちだけでうまく処理し、大事に至らぬよう、早く処理して逃れたい」
⇒「クレームやトラブルやミス情報の共有化」「速やかな善処」「法的クレーム処理」

・法的根拠のない支出をしていないか(背任罪)

・悪質クレームやクレーマーを見きわめる簡単な方法
 ・複数部署へのクレーム
 ・社長(役員)を出せ、責任者を呼べ、上の者を出せ
 ・クレームの中身が次々に変わり、本題が忘れられている
 ・対応の悪さをいつまでも指摘。「職員教育」に言及。
 ・叶いそうにない要求や特別待遇をあえてストレートに主張
 ・「文書をよこせ」「一筆入れろ」との請求
 ・本部/本社に言う、マスコミ/役所/議員に言う、インターネットに書く、訴えてやる
 ・「暴力団に言う」「街宣させる」「えせ右翼(えせ)団体の役員に言う」「大会で問題にする」土下座の強要などの非違行為、犯罪行為
 ・「時間はたっぷりとある」と執拗な行動
 ・自己責任を棚に上げて要求/主張し、企業/役所や他人の責任を追及
 ・「以前にもしてもらった」「知人がしてもらった」「他社でそうしている」から「同様にしろ」
 ・「そんなこと言っていない(聞いていない)」「A係長が言った」「B課長からそう聞いた」。ぎっこんばったん。言った言わない
 ・「不手際情報を隠した」「放置した」
 ・「誠意を示せ」「社会的/道義的責任は?」
 ・店頭/事務所に居座り、大声で非難
 ・長時間の軟禁、身体拘束
 ・(何時であろうと)「すぐ来い」「すぐやれ」などと命令
 ・「トラブルの間にえら得たかもしれない利益を損害賠償しろ」「迷惑料をよこせ」などと高額金品請求
 ・新品との交換、金額返還の要求、代金を支払わない、無償提供。顧客/市民としての主張に弱い企業/役所
 ・苦情の基となる現品やレシートもない不確かな申し出
 ・氏名/住所などを教えない幽霊からの申し出
 ・要求内容が異常、客/市民だからと尊大
 ・普通の顧客/市民なら受け入れること、理解できる内容を拒絶
 ・その事態にふさわしくない内容/態度/頻度など、とても理解できないことを平然と主張/要求
 ・「もしも・・・だったら」の仮定質問の連続で担当者を困らせる

・「ミス」があれば謝罪しますが、「ミス」による損害がなければ、賠償はしないし、できないのです。

・一筆「床材をすべて無償で新品に張り替えます」入れてしまったら、諦める前に、速やかに弁護士に相談し、配達証明付きの内容証明郵便を送り付け、書かされた書面は無効と表明することです。

・クレーマー対応に奮闘する担当者に高い評価を!

・精神的苦痛について高額慰謝料を請求されたらクレーマーと疑ってかかれ

・三つの要素「必然性/必要性」「相当性/事実認定」「属性(相手の人の職業や行動)」で判断する。

・相手が脅迫したら、すかさず「えっ! 脅かすのですか?」との「ことあを口に出して相手にハッキリ言って、脅かされて怖いとアピールすることです。

・(不当要求)電話の対応の仕方
 ・「用件/内容の特定」
 ・「相手の特定」
 ・「用件/内容の特定」と「相手の特定」の二要件に適わなければ「対応不可能」が基本

・「顧客/市民からも取引や対応の相手に対し、『ありがとう』を言う運動を推進すること。

感想
苦情対応は、会社を代表して謝罪することが多いので、精神的に辛い仕事になります。
しかし、この仕事もやり方によってはとてもやりがいのある仕事になります。

苦情対応の基本的考え、対応方法を知ることがとても大切です。
その上で経験を積んでいくことになります。

「『人生の答え』の出し方」柳田邦男著 ”人生は読むこと、書くこと(語ること)を友に”

2018-06-10 08:51:08 | 本の紹介
・ジェーンは救急車の 中でも、痛みに耐えられずに絶叫していた。ジェーンをベッドに移すと、医師はベッドサイドの椅子に腰をおろした。注射ひとつしようとしない。医師はジェーンの手を握り、穏やかな口調で言ったのだ。
「あなたが、いま、一番してほしいことは何ですか」と
ジェーンは、しばらく考えると、「お父さんかお母さんに、ずっとそばにいてほしい」と言った。「それは簡単なことです。この部屋にもう一つベッドを入れれば、二十四時間付き添うことができますよ」。医師はそう言うと、両親のほうに顔を向けた。ビクター(父)はすかさず答えた。「私が泊まることにしよう。心配はいらないよ」「でも」と、今度はジェーンのほうがためらった。「お父さんがずっとここにいたら、仕事ができなくなるわ」。医師がすぐに言葉をはさんだ。「向こうの部屋に机を置きますから、お父様は必要があれば、どうぞそちらで執筆してください。ジェーン、心配しなくても大丈夫」
そんな会話が交わされるうちに、夫妻がふと気がつけば、絶叫するほどの痛みにもだえていたジェーンが、痛みを訴えないばかりか、穏やかそうな表情を取り戻していたのだ。痛みとは、時として精神的な不安や恐怖の、形を変えた表現であることが少なくない。医学的な対処にしか目を向けない医療者は、そのことに気づかないのだ。

・作家 高山文彦氏の渾身の作と言うべき「火花 北条民雄の生涯」
読み返すほどに、随所に新しい発見や感動があったが、一貫して伝わってくるのは<言葉は凄い>ということだった。

・人がいったん厳しい病気に襲われたり、重大な怪我によって重い障害を背負ったり、死が避けられない状態に陥ったりすると、書く動機が極めて緊迫感に満ちたものになってくる。

・逆境こそが、人間の密度の濃い真の「生」を生きる条件と言おうか。このパラドックスを生きているのが人間の業なのかもしれない。そして、そのパラドックスの究極が、人間は死を前にしてはじめて本当の「生」に気づき、それゆえに死を前にした言葉がいのちの叫びとも言うべき緊迫感に満ちたものになってくるということなのではないか。

・人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。

・人間をつなぎ合わせているものは、「人間関係」つまり信頼と愛である
(河野医師、ユング派心理学者の門をたたいた)

・一人の人間の精神的ないのちというものは、死では終わらない。旅立つことによって鈍化されたその人の永続的ないのち(それは魂と呼ぶにふさわしい)は、家族や友人たちの心の中で生き続けるのだ。しかも、愛する人の生きた証しを心の中に抱擁した人々は、その永遠のいのちの止むことなき語りかけによって、逆にあたたかい生のエネルギーをもらうという不思議が生じる。

・ハンセン病患者の隔離施設で、非人道的に疎外され未来も奪われた状況の中で、患者たちは身も心も崩れていったのだが、数少ない人達は文芸や宗教などの精神的な生きがいを持つことによって、いきいきした人間らしいものを保ち続けた。神谷美恵子さんは、そのこと「精神化」と名づけた。

・がんのために亡くなった精神科医 西川喜作氏が、死を前にした自らの心理の動きを精神科医ならではの心の眼で克明に記録した「輝やけ我が命の日々よ ガンを宣告された精神科医の10000日」

・10年ほど前のこと、私は次男を亡くしてからしばらくの間、離人症的な精神状態に陥っていた。仕事をする意欲が湧いてこないだけでなく、街に出ても、風景が無機質なモノクロかせいぜいセピア色一色の静止画像のようにしか見えない。混雑する駅頭で談笑する若者たちを見ても、活気や温もりなどはまるで感じられない。その時、私の中に二つの異質な時間が流れていたのだ。一つは、私だけが個人的に直面している現実と結びついた「一人称的な時間」。そして、もう一つは、主観的な感覚や意識に関係なく、誰の上にも共通に流れている客観性を持った「三人称的な時間」である。同時に学んだのは、人間が生きるうえで決定的に重要なのは、「一人称的な時間」の中で、「生きられた瞬間」を持てたかどうかということだった。

・生きがい療法の基本方針五項目の中で特に注目したいのは次の三つだ。
1)今日一日の生きる具体的な目標を自覚して、全力投球すること。
2)今日一日の生きる具体的な目標を自覚して、全力投球すること。
3)人のためになることをすること。

・末期がんに侵され、看護の仕事ができなくなって絶望している看護婦との対話を記している。その中でフランクルは、病人たちを看護できなくなった自分を無意味な存在だと考えるとしたら、それはこれまで身を捧げてきた数多くの病人たちの人生の意味を全否定することになるのではないかと語り、さらに「まだあなたの役割は残されている」として、寝たきりになっても精神的に気高い生き方を示すならば、多くの病人にゃ重度の障害者の生きる意味を実証することになるのだと言ったという。

・河合隼雄先生が、アメリカ先住民ナホバのメディスンマンを尋ねる旅に出て、「ナホバへの旅、たましいの風景」だ。クライエントの心を見つめるだけでなく、今なお自らの内面を耕すための探索の努力をひたむきに続けているのだ。

・人間が賢く生きるために必要な深い知恵は、実は大昔の神話や昔話という形で語り伝えられている。それが「神話の知」だ。河合隼雄先生がずっと以前から、昔話や童話の世界を独特の視点で読み解いてきたのは、そういう問題意識を背景にしてのことだった。

・神奈川県綾瀬市の金子寿さん(1960生まれ)は高校二年生の時、体操部の練習中に鉄棒から転落して首を骨折、救急車で国立病院に運ばれた。医師による懸命の治療で一命を取りとめることがことができた。しかし、頚髄損傷で方から下は全く動かすことができなくなっていた。一年間の入院にもかかわらず、車椅子にのることさえできず、リハビリ専門の病院に転院した。生きる意欲もわからずに、二年間も家に閉じこもって、テレビばかり見ている日々を過ごした。そんなある日、欧米で自分より重度で人工呼吸器まで使っている障害者が、しっかりと自立生活を送っている姿を、テレビで見て、<何かしなければいけない!>と思うようなった。口に筆をくわえて、好きだった絵を描くことを始めた。それは生きる励みになったが、そのうちに<もっと違うこと、誰もやっていないことに挑戦しよう>と思うようになり、障害者が差別されることなく主体性をもって地域で自立して生きられる社会づくりを目指して、同じ障害者の仲間たちとグループ活動を立ち上げた。活動は着実に進展し、障害者同士の相互扶助(ピアサポート)や途上国への車椅子寄贈を行っている。車椅子寄贈は、新聞や口コミで呼びかかけて不要になった中古のものを集めて贈るもので、十年間十五か国に約二百九十台を贈ってきた。金子さんは、そうした活動のなかで知り合ったヘルパーをしていた女性と結婚した。金子さんの人生観はこうだ。
<障害を負ったことは不運なことだが、それは決して不幸なことではない! 本当に不幸なことは障害を負ったことによって生きる希望を失い、これからの可能性がいっぱい残された自分の人生を放棄してしまうことだ!>

・人間が生きるのを支える言葉や人との出会いというものは不思議なものだと思う。そこには科学的な因果律は全くはたらいていない。奇蹟と言わずして何と言おうか。そんなところにこそ、人間とは何かの本質が秘められている。

・河合隼雄著「ユング心理学と仏教」
 カウンセラーと患者との間における心の動きの転位・逆転移の関係をシンボリックに示すものとして、夏目漱石の次の句を読むことから始めた。
<底の石 動いて見ゆる 清水哉>
心理療法ではたましいのレベルでの理解が重要であり、たましいのレベルでの心の動きの転位・逆転移は、人間と、石、木、川、風などとの関係をモデルとして考えることができる、と述べた。

・読むことは生きる営み

・最近、小・中・高校で「朝の読書」をするところが多くなり、その実践校は全国で一万校を超えたという。その児童生徒数は四百万になる。毎朝、授業開始前のホームルームの十分間から十五分間、自分の好きな本を持参するか図書室から借りるかして読むだけなのだが、この「朝の読書」が軌道に乗ってくると、子どもたちの授業に対する集中力が増し、先生の話を聞く力がついてきたばかりか、遅刻、不登校、いじめが激減した学校が多いという。

・人生の最大の不思議は、出会いだと思う。

・癒し人は言葉が美しい

・医師もまた言葉を使う人である(ギリシャの哲学者ソクラテス)

・看護者たる者は、いまだ経験していないことであっても、それを感知する資質を持たなければならない(日野原重明先生)

・死についてはよく知らぬのだから、それを悪しきものとして怖れる必要はなく、むしろ善いことかもしれない(ソクラテス)
65歳で「月に二冊」という読書生活を創めるとする。九十歳までに実に六百冊の本を読むことになるのだ。何とすばらしい知的人生ではないか!

・デーケンス先生の古希を祝う会で、日野原重明先生が祝辞を述べた。
「私は若いころからいろいろの本を書いてきましたが、本当に売れるようになったのは、八十八歳になって『葉っぱのフレディ』のミュージカル脚本を書いた頃からです(会場の人々が笑う)。昨年暮れに九十歳記念に出した『生き方上手』はおかげでよく売れています。私はあとふた月で九十一歳になります。その日までに九十一万部に達するのは確実です(爆笑と拍手)」みな<参った>という表情になる。祝辞は続く。
「デーケン先生もこれまにたくさんの本をお書きになりましたが、これからです。私の年になるまであと二十年というのは長いですよ(再び爆笑)。これからは売れる本を書いてください(拍手)」

・私は自分に対しいつも<書くことも読むことも生きること>と言い聞かせている。書くにせよ読むにせよ、脳を活発に働かせる作業だ。執筆、読書、演奏、演技、絵画などの表現活動に毎日脳を働かせていいる人は、いつまでも心の持ち方が若々しい。

・いくつになっても創めることを忘れない(日野原重明先生)

・細谷亮太先生
子どもを見る眼の奥深いあたたかさ、子どもに絵本でいのちや死について語りかけるすばらしさは、どこから来るのだろうということだった。
 ・木の葉髪 といふにはかなし 病棟児
 ・よられても 患児の軽し 初時雨
 ・みとること なりはひとして 冬の虹
初冬、抗がん剤治療で髪が抜け、体重も減って、人形のように軽くなってしまった幼い子、なつかれ頼られていたのに、命を救ってあげられなかった。窓の外には初時雨が通り抜け、その後に虹が立ち上がった。この子はあの虹の橋を渡って天国へ行ったのだろうか・・・。患児の死亡診断をして医局に去ってしまうのではない、窓の外の情景まで視野の中に入れている。当然、悲嘆にくれる母親、父親の姿も、しっかりと視野のなかにとらえていよう。疾患だけでなく、人間の悲しみの全体を見据える視野の広さ、細谷先生のあたたかさの原点は、この視野の広さにあったのだ。これこそが医療者に求められているものだと、その後幾度となく、私は医師や看護師向けの講演でこれらの三句を紹介してきた。そして、それは作家としての自分にも求められている視点なのだと受けとめて『桜桃』(細谷亮太作)を座右の書架に並べている。

・いつもそばに本が

・不生不滅は色即是空と表裏一体なのだと、私は思った。気がつけば、少年期における次兄や父との別れや「色即是空」の意味を探し求める気持ちが、いつしか、「生と死」をテーマに作品を書くようになった私の原点になっていたのだった。

感想
人生、どう生きるか。
それが問われているように思いました。

そのためには、読むこと、書くこと(語ること)が必要なのでしょう。
どうこうどうするか。

笑顔を選択するかどうか。
愛語を放すかどうか。
まさに選択肢であり、自分の人生の選択肢であり、その結果が自分の未来なのでしょう。
今の自分ではなく、未来の自分の姿を見つめて今を大切にすることなのでしょう。



トランプ氏の悪口に賛同? =安倍首相、ツイッターに誤投稿  "注意力不足?”

2018-06-09 08:28:58 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180608-00000113-jij-pol 時事通信 6/8(金)

 【ワシントン時事】「偉大な友人、トランプ米大統領との実りある対話を私も楽しみにしている」。

 安倍晋三首相が7日の日米首脳会談を前にこんなメッセージをツイッターに書き込んだ際、全く関係のないトランプ氏のツイートに返信する形にしてしまう珍事があった。しかも、このツイートは同氏が同僚議員をやゆする内容だったため、複数の米メディアが報じる騒ぎになっている。

 CNNによると、首相は最初、トランプ氏が共和党のフレーク上院議員を「記録的低支持率」「屈辱的」「奇人」などと酷評したのに返答する形で投稿。間違いに気付いたのか、すぐに削除され、「安倍氏との会談が楽しみ」との書き込みへの返信に改められた。

 思わぬ「攻撃」に驚いたフレーク議員は、古代ローマのカエサルのせりふをまねて「安倍、お前もか」と投稿。菅義偉官房長官は8日の記者会見で「事実かどうかまだ承知していないので、コメントは控えたい」と語った。 

感想
英語なので、どんなツイッターかわからなかったのでしょうか?
それともうっかりだったのでしょうか?

フレーク上院議員のユーモアが楽しいです。
菅官房長官は決まり文句で、どこにもユーモアがないです。
ユーモアで返せば、プラスになる機会だったのに、政治的な返し方で、マイナスに捉えてしまわれたようです。

カエサル(シーザー)はブルータスを息子のように可愛がっていたので、「息子よ お前もか」が「ブルータス お前もか」となったとも言われています。

「ローマ人の物語」の中では、カエサルはブルータスの母親と付き合っていたので、ブルータスを特に目をかけていたとありました。なおさら裏切られた思いが強かったのでしょう。

「安倍 お前もか」はフレーク上院議員には、安倍首相は可愛がってもらっていないと思います。
「これをきっかけに、ぜひこれからよろしくお願いします」
と返してみるのはどうだったでしょうか?
あるいは、「ぜひ、あなたとも友人になりたい!」
はいかがでしょうか?