https://news.yahoo.co.jp/articles/3be45e3ac09656e232672e2a5e9249acf644cd06 10/29(土) 14:08 MBSニュース
ポーラ 及川美紀社長
厚生労働省が初めて「しわ改善効果」を認めた商品『リンクルショット』を大ヒットさせた大手化粧品メーカー「ポーラ」。しわを研究し、発売まで実に15年の歳月を費やした。皮膚のかすかな炎症がしわの原因だとつきとめ、改善成分「ニールワン」を見つけ出した。1万5000円近くするが、これまでに370万本、470億円を売り上げる。創業90年余りのポーラを率いるのは、大手化粧品メーカーで初めて女性社長となった及川美紀社長だ。2020年に社長になってからは、新型コロナウイルスのまん延などで難しいかじ取りを任された。ポストコロナを見据え、どのような戦略を練るのか及川社長に聞いた。
「一生働ける会社」を探してポーラを就職先に
ポーラギンザ
―――宮城県石巻市のご出身だそうですね。
石巻という三陸の小さな町の出身だったので、大学進学を機に東京に出るということだけでドキドキでした。大学進学の時は「東京に行かないと将来の道は開けない」と強く思い込んでいました。両親を説得して東京の大学に進学し、就職先を決める時の大前提は「一生働ける会社」ということでした。結婚・出産とさまざまなことを経ても働き続けられる会社が希望でした。
―――ポーラを就職先に決めた理由は?
就職先を選ぶ時に、すごく単純ですけど「女性のものを扱っている会社ならば、女性の力を信じてくれるかもしれない」と考えたんです。とりあえず、ベテランの女性が頑張っている会社はいい会社に違いないと思い、会社訪問で「40代の女性社員はいらっしゃいますか?」とか「子どもを産んで働いている女性はおられますか?」とかを聞きました。その中で「うちの会社はいっぱいいるよ」と言ってくれたのが、ポーラだったんです。
「まず人の話を聞け」会社員人生の教訓を書き込んだ『手帳』
いつも大切にしている手帳
―――いつも大切に持ち歩く「手帳」があると聞きました。
過去に私が叱られた言葉や忠告していただいてありがたかった言葉などを書き溜めている手帳があります。「まず人の話を聞け」だとか、例えばリーダー論的なものでは「みんながリーダーを見ている。リーダーの影響力をあなどるな」とか。言われたら忘れる前に覚えておこうと思って、手帳に書くようになりました。手書きにこだわるのは、パソコンではどうもその時の感情とかがうまく残せないんですよね。
―――好きな言葉は「当たって砕けろ」だとか?
「当たって砕けてまた当たる」。砕けるだけでは悲しいので、また当たる。要は、懲りないんですね。当たって砕けてまた当たるので、挫折だらけなんですよ。一番大きな挫折は、出向先で組織のリーダー的な仕事をしていた時のことです。責任者だという自負もあって、しかもみなさんから割と頼りにされてバリバリ働いていて…。30代前半の頃って、ちょっとお山の大将になることってあるじゃないですか。脂ののった時期に、わかりやすく天狗になっていまして…。
「私、頑張っている!」自信満々で受けた昇進試験で大きな挫折
ビジネスパートナー(右)からの言葉で目が覚める
―――当時は仕事に対して自信に満ち溢れていたんですね。
「子どもがいるのにこんなに働いている」とか「この仕事は私が一番うまくできる」とか。当時の私はいろんな意味で幸せな誤解をしていた時期だったんですね。「私、頑張っている」って。頑張っている私がいることをとにかく気付いて評価してほしいと思って昇進試験を受けるんですが、見事にそんな気持ちで受ける人は、会社は見抜くんですよね。
―――天狗になっていた鼻が思いっきりへし折られた?
へし折られたのと、へし折られて反省するんだったら良いんですけど「会社がわかってくれない病」になっちゃったんですね。「私の仕事振りをみていない」とグレたんです。すごくグレました。会社に入ってから一番。そんなある日、ずっと私を見てくれていたビジネスパートナーさんに呼び出されまして「及川さん、私、ひとこと言いたいことがあるの。最近のあなた、どうしちゃったの?」って。「あなた、このままドブに落ちていくつもり?」と。こんなセリフを言われたんですよ。
―――なかなか厳しい言葉ですね。
「これ以上、私たちのことをがっかりさせないでちょうだい!」と言われたんです。その時はさすがに目が覚めました。厳しい言葉でしたが、とてもありがたくて、でもちょっとショックで、会社に戻って「いま○○さんに呼び出されて、こんなこと言われました」と上司に言ったら、上司がすごくおおらかな人で「ようやく気付いた?」って笑ったんですよ。「我慢していたんだな、上司も」って思って。ところが上司は「今年の昇進試験を頑張ってみる?」って言ったんですよ。
―――きつい言葉を浴びせられたタイミングで?
まさにそのタイミングで。すぐに「頑張ります」って返事をしました。そうすると今度は準備の仕方が違うんですよ。「私を見て、私を評価して」だった私が、ほかの社員に対して「私は何ができるか」という視点でモノを考えるようになったんですね。そうすると「チームをこうしていきたい」「この組織をこうしたい」「私は組織の一員としてこういう役割を担いたい」と。全然姿勢が違うんです。おかげさまで昇進試験には合格しました。いままで過去の自分の業績だけを語っていた私が、未来の可能性と希望を語るようになったんです。
「あなたにはスキルはないけど、変えたいことあるよね?」と打診された社長就任
社長就任は2020年1月
―――2020年1月に社長に就任されましたね。
青天の霹靂でしたね。「まさか私が?」と思いました。事業部を任されていたんですが、業績が厳しかったので責任を取らされるんだろうなと思っていました。呼び出されて社長に「業績が厳しくてすみません」と言ったら、「来年から君を社長にと思っているんだよ」と言われました。「あなたにはそんなにスキルがあるわけではないけど、変えたいことがあるよね?」と言われたんです。弊社はいい商品を作っていますし、販売現場でもすごく努力をしている人が多い。弊社の価値をもっと高めて、お客さまにもっと良い経験をしていただきたい。そのためには我々自身、まだまだ努力することがいっぱいあるよねと思っていたのは事実なんです。
―――社長になった2020年1月は、そこからすぐ新型コロナですよね?
そうですね。忙しすぎてほぼ記憶がありません。何をやっていたんだろうという感じです。ポーラのビジネスの仕方は、町に店があって、エステをして、そこから商品を買っていただく対面・接触の仕事がメインですよね。だから相当厳しかったです。対面・接触型からのビジネスの転換といいますか、オンラインへの切り替えだとか、とにかく必死にみんなで一歩前に進む、とにかく前を向くということをやってきた感じです。
働く女性が活躍する為に「ごめんね」を「ありがとう」に変える会社へ
2021年に設立「ポーラ幸せ研究所」
―――及川さんの若い頃は仕事の占める割合がほとんどで、家は寝るだけという世代だったと思うのですが?
私は、母親で仕事をしていて、割とわがままに仕事をしてきたつもりですけど、それでも子どもには「家にいられなくてごめんね」「残業してごめんね」だとか、会社には「100%の力で仕事できなくてごめんね」だとか、いろんな人たちに「ごめんね、ごめんね」と言いながら仕事してきたんですね。それを「こういう制度を作ってくれてありがとう」や「この方法を進めてくれてありがとう」だとか、全部「ありがとう」に変えていける会社が、ダイバーシティー&インクルージョンの会社であり、社会なのかなと思っています。
―――「ごめん」を「ありがとう」に?
とにかく関わる人たちがハッピーになってもらいたいというのがあって、去年「ポーラ幸せ研究所」を設立したんですね。幸せというものをもっとしっかり研究することで、なにかしら人々に還元できることがあるんじゃないかと思ったんです。もちろん商品もそうですし、カウンセリングや販売やお客さまとの関わり方や働き方改革、そういうものに全部、生かしていけるようにと考えています。当社の企業理念に「美と健康を願う人々、および社会の永続的幸福を実現します」というのがあるので、「よし、企業理念で幸福と言っているんだから、幸せを研究してみんなに届けたい」という思いに至りました。
コロナ禍で経験「人は人と関わりたい」をビジネスチャンスに
新商品の打ち合わせ
―――アフターコロナで期待することはありますか?
私たちがこの間に自覚したのは「やはり人は人と会いたい」ということだし、密度の濃い人間関係は決して悪いことではないということです。オンラインの便利さは新しく手に入れたツールとしてこれからも持ち続けるだろうし、遠くの人との距離が近くなったのは1つ新しいことだけれど、そういうものを使いながらもリアルな人との関わりを大事にしながらやっていく。リアルな店舗で肌を触ってお手入れする楽しさや心地よさとか、やはり誰かと関わりたい、関わることで自分を高めていきたいということを、もっともっとビジネスチャンスに生かしていきたいとすごく思いますね。
―――ポーラの強みはどういった点ですか?
研究開発力の強みですよね。私たちの商品の中には日本初がたくさんあるということと、一生懸命にみんなで考えながら新しい商品を生み出しているということですね。どんどん女性も男性も進化していますから、その気持ちに寄り添いながら次の商品を作っていく力があると思っています。
「お母さんは、なんだかんだ言って成長しているよ」娘からの言葉に勇気づけられる
子育てと仕事を両立
―――これからの夢は?
娘が最近言った名言があって、それは、娘がずっと私が働いて色々やっているのを見ていて「1つだけ希望がある」って言うんですよ。「大人になっても人間は成長するんだね」と言ってくれて。「色々あったけど、お母さんは、なんだかんだ言ってちょっとずつ成長しているから、私も働いて大人になってからも成長できると思ったら、ちょっと希望が持てるよ。だからきっとこれからも頑張ればいいことあると思う」と言われました。だからまだまだ成長したいです。
―――最後に、及川さんにとってリーダーとは?
みんなの元気を作る人。パワーの源だと思います。どうしても仕事って1人ではできなくてチームでしますよね。モチベーションを作り出したり、チームのみんなをエンパワーしたり。そういう役割を担う人だと思います。
リンクルショット
■及川美紀 1969年、宮城県石巻市生まれ。1991年、東京女子大学文理学部卒、ポーラに入社。育児と仕事を両立、エリアマネージャーや商品企画部長などを経て2020年、社長就任。
■ポーラ 創業者で化学者の鈴木忍は、独学で1929年にハンドクリームの製造を開始。1951年、日本で初めてとなる美白効果をうたった化粧品を発売。売上げは1000億円を超え、社員や販売員数は約3万5000人。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
感想;
女性が働き続けられる会社。
そんな会社が生き続けて欲しいものです。
女性の美のお手伝いを女性が生き生きと頑張っている。
頑張って欲しいです。
ポーラ 及川美紀社長
厚生労働省が初めて「しわ改善効果」を認めた商品『リンクルショット』を大ヒットさせた大手化粧品メーカー「ポーラ」。しわを研究し、発売まで実に15年の歳月を費やした。皮膚のかすかな炎症がしわの原因だとつきとめ、改善成分「ニールワン」を見つけ出した。1万5000円近くするが、これまでに370万本、470億円を売り上げる。創業90年余りのポーラを率いるのは、大手化粧品メーカーで初めて女性社長となった及川美紀社長だ。2020年に社長になってからは、新型コロナウイルスのまん延などで難しいかじ取りを任された。ポストコロナを見据え、どのような戦略を練るのか及川社長に聞いた。
「一生働ける会社」を探してポーラを就職先に
ポーラギンザ
―――宮城県石巻市のご出身だそうですね。
石巻という三陸の小さな町の出身だったので、大学進学を機に東京に出るということだけでドキドキでした。大学進学の時は「東京に行かないと将来の道は開けない」と強く思い込んでいました。両親を説得して東京の大学に進学し、就職先を決める時の大前提は「一生働ける会社」ということでした。結婚・出産とさまざまなことを経ても働き続けられる会社が希望でした。
―――ポーラを就職先に決めた理由は?
就職先を選ぶ時に、すごく単純ですけど「女性のものを扱っている会社ならば、女性の力を信じてくれるかもしれない」と考えたんです。とりあえず、ベテランの女性が頑張っている会社はいい会社に違いないと思い、会社訪問で「40代の女性社員はいらっしゃいますか?」とか「子どもを産んで働いている女性はおられますか?」とかを聞きました。その中で「うちの会社はいっぱいいるよ」と言ってくれたのが、ポーラだったんです。
「まず人の話を聞け」会社員人生の教訓を書き込んだ『手帳』
いつも大切にしている手帳
―――いつも大切に持ち歩く「手帳」があると聞きました。
過去に私が叱られた言葉や忠告していただいてありがたかった言葉などを書き溜めている手帳があります。「まず人の話を聞け」だとか、例えばリーダー論的なものでは「みんながリーダーを見ている。リーダーの影響力をあなどるな」とか。言われたら忘れる前に覚えておこうと思って、手帳に書くようになりました。手書きにこだわるのは、パソコンではどうもその時の感情とかがうまく残せないんですよね。
―――好きな言葉は「当たって砕けろ」だとか?
「当たって砕けてまた当たる」。砕けるだけでは悲しいので、また当たる。要は、懲りないんですね。当たって砕けてまた当たるので、挫折だらけなんですよ。一番大きな挫折は、出向先で組織のリーダー的な仕事をしていた時のことです。責任者だという自負もあって、しかもみなさんから割と頼りにされてバリバリ働いていて…。30代前半の頃って、ちょっとお山の大将になることってあるじゃないですか。脂ののった時期に、わかりやすく天狗になっていまして…。
「私、頑張っている!」自信満々で受けた昇進試験で大きな挫折
ビジネスパートナー(右)からの言葉で目が覚める
―――当時は仕事に対して自信に満ち溢れていたんですね。
「子どもがいるのにこんなに働いている」とか「この仕事は私が一番うまくできる」とか。当時の私はいろんな意味で幸せな誤解をしていた時期だったんですね。「私、頑張っている」って。頑張っている私がいることをとにかく気付いて評価してほしいと思って昇進試験を受けるんですが、見事にそんな気持ちで受ける人は、会社は見抜くんですよね。
―――天狗になっていた鼻が思いっきりへし折られた?
へし折られたのと、へし折られて反省するんだったら良いんですけど「会社がわかってくれない病」になっちゃったんですね。「私の仕事振りをみていない」とグレたんです。すごくグレました。会社に入ってから一番。そんなある日、ずっと私を見てくれていたビジネスパートナーさんに呼び出されまして「及川さん、私、ひとこと言いたいことがあるの。最近のあなた、どうしちゃったの?」って。「あなた、このままドブに落ちていくつもり?」と。こんなセリフを言われたんですよ。
―――なかなか厳しい言葉ですね。
「これ以上、私たちのことをがっかりさせないでちょうだい!」と言われたんです。その時はさすがに目が覚めました。厳しい言葉でしたが、とてもありがたくて、でもちょっとショックで、会社に戻って「いま○○さんに呼び出されて、こんなこと言われました」と上司に言ったら、上司がすごくおおらかな人で「ようやく気付いた?」って笑ったんですよ。「我慢していたんだな、上司も」って思って。ところが上司は「今年の昇進試験を頑張ってみる?」って言ったんですよ。
―――きつい言葉を浴びせられたタイミングで?
まさにそのタイミングで。すぐに「頑張ります」って返事をしました。そうすると今度は準備の仕方が違うんですよ。「私を見て、私を評価して」だった私が、ほかの社員に対して「私は何ができるか」という視点でモノを考えるようになったんですね。そうすると「チームをこうしていきたい」「この組織をこうしたい」「私は組織の一員としてこういう役割を担いたい」と。全然姿勢が違うんです。おかげさまで昇進試験には合格しました。いままで過去の自分の業績だけを語っていた私が、未来の可能性と希望を語るようになったんです。
「あなたにはスキルはないけど、変えたいことあるよね?」と打診された社長就任
社長就任は2020年1月
―――2020年1月に社長に就任されましたね。
青天の霹靂でしたね。「まさか私が?」と思いました。事業部を任されていたんですが、業績が厳しかったので責任を取らされるんだろうなと思っていました。呼び出されて社長に「業績が厳しくてすみません」と言ったら、「来年から君を社長にと思っているんだよ」と言われました。「あなたにはそんなにスキルがあるわけではないけど、変えたいことがあるよね?」と言われたんです。弊社はいい商品を作っていますし、販売現場でもすごく努力をしている人が多い。弊社の価値をもっと高めて、お客さまにもっと良い経験をしていただきたい。そのためには我々自身、まだまだ努力することがいっぱいあるよねと思っていたのは事実なんです。
―――社長になった2020年1月は、そこからすぐ新型コロナですよね?
そうですね。忙しすぎてほぼ記憶がありません。何をやっていたんだろうという感じです。ポーラのビジネスの仕方は、町に店があって、エステをして、そこから商品を買っていただく対面・接触の仕事がメインですよね。だから相当厳しかったです。対面・接触型からのビジネスの転換といいますか、オンラインへの切り替えだとか、とにかく必死にみんなで一歩前に進む、とにかく前を向くということをやってきた感じです。
働く女性が活躍する為に「ごめんね」を「ありがとう」に変える会社へ
2021年に設立「ポーラ幸せ研究所」
―――及川さんの若い頃は仕事の占める割合がほとんどで、家は寝るだけという世代だったと思うのですが?
私は、母親で仕事をしていて、割とわがままに仕事をしてきたつもりですけど、それでも子どもには「家にいられなくてごめんね」「残業してごめんね」だとか、会社には「100%の力で仕事できなくてごめんね」だとか、いろんな人たちに「ごめんね、ごめんね」と言いながら仕事してきたんですね。それを「こういう制度を作ってくれてありがとう」や「この方法を進めてくれてありがとう」だとか、全部「ありがとう」に変えていける会社が、ダイバーシティー&インクルージョンの会社であり、社会なのかなと思っています。
―――「ごめん」を「ありがとう」に?
とにかく関わる人たちがハッピーになってもらいたいというのがあって、去年「ポーラ幸せ研究所」を設立したんですね。幸せというものをもっとしっかり研究することで、なにかしら人々に還元できることがあるんじゃないかと思ったんです。もちろん商品もそうですし、カウンセリングや販売やお客さまとの関わり方や働き方改革、そういうものに全部、生かしていけるようにと考えています。当社の企業理念に「美と健康を願う人々、および社会の永続的幸福を実現します」というのがあるので、「よし、企業理念で幸福と言っているんだから、幸せを研究してみんなに届けたい」という思いに至りました。
コロナ禍で経験「人は人と関わりたい」をビジネスチャンスに
新商品の打ち合わせ
―――アフターコロナで期待することはありますか?
私たちがこの間に自覚したのは「やはり人は人と会いたい」ということだし、密度の濃い人間関係は決して悪いことではないということです。オンラインの便利さは新しく手に入れたツールとしてこれからも持ち続けるだろうし、遠くの人との距離が近くなったのは1つ新しいことだけれど、そういうものを使いながらもリアルな人との関わりを大事にしながらやっていく。リアルな店舗で肌を触ってお手入れする楽しさや心地よさとか、やはり誰かと関わりたい、関わることで自分を高めていきたいということを、もっともっとビジネスチャンスに生かしていきたいとすごく思いますね。
―――ポーラの強みはどういった点ですか?
研究開発力の強みですよね。私たちの商品の中には日本初がたくさんあるということと、一生懸命にみんなで考えながら新しい商品を生み出しているということですね。どんどん女性も男性も進化していますから、その気持ちに寄り添いながら次の商品を作っていく力があると思っています。
「お母さんは、なんだかんだ言って成長しているよ」娘からの言葉に勇気づけられる
子育てと仕事を両立
―――これからの夢は?
娘が最近言った名言があって、それは、娘がずっと私が働いて色々やっているのを見ていて「1つだけ希望がある」って言うんですよ。「大人になっても人間は成長するんだね」と言ってくれて。「色々あったけど、お母さんは、なんだかんだ言ってちょっとずつ成長しているから、私も働いて大人になってからも成長できると思ったら、ちょっと希望が持てるよ。だからきっとこれからも頑張ればいいことあると思う」と言われました。だからまだまだ成長したいです。
―――最後に、及川さんにとってリーダーとは?
みんなの元気を作る人。パワーの源だと思います。どうしても仕事って1人ではできなくてチームでしますよね。モチベーションを作り出したり、チームのみんなをエンパワーしたり。そういう役割を担う人だと思います。
リンクルショット
■及川美紀 1969年、宮城県石巻市生まれ。1991年、東京女子大学文理学部卒、ポーラに入社。育児と仕事を両立、エリアマネージャーや商品企画部長などを経て2020年、社長就任。
■ポーラ 創業者で化学者の鈴木忍は、独学で1929年にハンドクリームの製造を開始。1951年、日本で初めてとなる美白効果をうたった化粧品を発売。売上げは1000億円を超え、社員や販売員数は約3万5000人。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
感想;
女性が働き続けられる会社。
そんな会社が生き続けて欲しいものです。
女性の美のお手伝いを女性が生き生きと頑張っている。
頑張って欲しいです。