平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~ 第35回「幻の関ヶ原」

2011年09月12日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は初(水川あさみ)の見せ場。

 大津城を明け渡せという三成の使者には「まずは私を斬りなされ!」
 高台院(大竹しのぶ)の使者には「これは夫の定めしこと。たとえ命絶えようと、私は夫に従います!」
 いくさ場では気丈。怖れおののく義姉・龍子(鈴木砂羽)に「城にこもるはこれで三度目にございまする」

 ただし、水川さんのファンの方には申し訳ないが、他の役者さんがやっていたら、今回、初はもっと立っていたはず。
 声量が乏しい、表情が同じ、体が動いていない。

 秀忠(向井理)ついては、私が抱いていた秀忠像を修正をすることになった。
 私のこの作品における<秀忠像>って、斜に構えていて頭脳明晰、やる時は決める男みたいな感じだった。
 向井さんがやるなら格好良くなくちゃ。
 だが、今回描かれたのは完全なへたれ、秀忠自身の言葉を借りれば「無様な大将」。
 実際の、史実の秀忠は、後者の「無様な大将」に近い人物なんだろうが、この「江」という作品では、ひとかどの人物として描いてほしかった気がする。
 それとも、今回のへたれぶり=<いくさに向かぬ者>が、転じて<平和を愛する者><有能な内政者>というイメージに変わっていき、人物として魅力的になるのだろうか?
 この辺の人物像のプランニングがどうもブレているような気がしてならない。
 最初からダメ男として描かれていたのなら、「功名が辻」の一豊のように、夫の足りない部分を妻が支える物語に出来たはず。

 もっとも、この人物像のプランニングのブレは、「江」という作品の登場人物すべてに言えることなのだが。
 まず主人公の江(上野樹里)がそうだし、信長、秀吉なんかにも言えた。極悪非道の悪人かと思えば、ある日いい人に変わっている。家康(北大路欣也)はそれの逆で、最近突然腹黒くなった。

 最後に江。
 この関ヶ原の情勢に「わからぬ。何もわからぬ」というせりふ。
 主人公がこれを言ってはおしまいでしょう。
 本当にいつも右往左往しているだけのキャラだ。
 ラストの薙刀の練習だっておかしい。
 心の中は、秀忠のことを思い、徳川と茶々のいる豊臣との争いに悩み、結構深刻な状況。
 薙刀の練習などしている場合ではない。あるいは、薙刀の練習をしているということは、茶々と豊臣のことなど、どうでもよくなってしまったのか?
 ここは、『周囲が薙刀の練習をしている中、ひとりうつむいて悩んでいる江』という芝居の方がいいのでは……?


コメント (2)
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