平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

DIVE!!他~森絵都さんの見事な比喩表現

2011年09月27日 | 小説
 林真理子さんが「比喩の上手さは作家の先天的なもので、才能だ」というようなことを何かのエッセイで書かれていたが、森絵都さんは本当に<比喩>が上手い。

 短編集「アーモンド入りチョコレートのワルツ」(角川文庫)の一編「彼女のアリア」では、こんな比喩がある。
 虚言癖のある少女・藤谷りえ子が、その虚言癖を主人公の少年に暴かれるシーンだ。

 『藤谷はいた。窓際の壁にもたれ、怪人二十面相でも迎えるような目つきで、戸口のぼくをじっと見すえていた。……いや、どちらかというとそれは、明智くんを迎える怪人二十面相の目つきだった。自分の罪があばかれる、その瞬間を今か今かと待っている瞳』

 実に上手い。
 ここで<二十面相>の比喩を使わなければ、『藤谷は壁にもたれ、おびえた瞳でぼくを見つめていた。自分の罪があばかれるのを怖れているのだ』みたいな感じになるのだろうが、それだと味もそっけもない。

 同じ短編集の「アーモンド入りチョコレートのワルツ」では、こんな比喩が。
 ピアノ教室に通っている主人公の少女は、そこでワルツを楽しく踊ることに魅せられている。
 そこで、この表現。

 『週に一度のワルツタイム。それは絹子先生がときどきこしらえるフルーツケーキの味によく似ていた。
  口に入れた瞬間は、ただ甘い。何種類ものドライフルーツが舌の上で一気に絡み合う。それがのどの奥にとろけていったあと、ようやく余韻が広がっていく。ブランデーの余韻。体のどこかが熱くなり、わたしはそれが消えてしまわないうちに……と、二切れめのケーキに手を伸ばすことになる。これは、癖になる。わたしは木曜日の夜にはまりこんでいった』

 比喩は、異質なものどうしを掛け合わせる文章手法だが、<ワルツを踊ること>と<フルーツケーキ>をかける見事さ!

 飛び込みに青春をかけるスポーツ小説「DIVE!!」(←おそらく、タイトルの!!は水しぶきをイメージしているのだろう)は、比喩の宝庫だ。
 東北の荒波を相手に練習をしてきた野生児・飛沫(しぶき)の飛び込みは、こんなふうに表現される。

 『瞬発力、踏切の強さ、ジャンプの高さ。とどめは最後の入水である。まるでクジラが尾をふりあげたかのようだった』

 <ふりあげたクジラの尾>という比喩で、飛沫の飛び込みの豪快さがイメージとして見事に伝わってくる。

 最後は、「DIVE!!」からこんな圧巻の比喩!
 オリンピックを目指すような才能に恵まれた選手たちの<膨大なエネルギー>と<いびつさ>を表現した比喩だ。
 森絵都さんは、それを<桜の木>に例えている。

 『おかしなエネルギーを秘めた桜だからこそ、こんなにもたくさんのきれいな花を咲かせることができるのかもしれないね。桜自身にもコントロールできない爆発的なエネルギー。それが幹の中でうずまいて、こんなに曲がったり、よじれたりしてしまうのかも。スポーツの世界でも、美しい花を咲かせようとすればするほどに、どこかにゆがみが生じるものなのかもしれない。そのゆがみは選手自身の体だとか、心だとか、周囲の人間関係だとかに反映し、何かを損なわせる。何かを奪い去る』

 こんな見事な表現をされると、まさに脱帽。スタンディングオベーションするしかない。

 小説を読む愉しみは、こんな見事な文章表現に触れることにある。


コメント
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