平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 第24回「二本松少年隊の悲劇」~戦争に抵抗した人たち

2013年06月17日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は戦争を否定した人たちという視点でまとめてみます。

★覚馬(西島秀俊)
 必死な思いで書き上げた「管見」。
 その内容は「新国家への意見書」「十年後、百年後のための国作りの設計図」。
 戦争は<破壊>だが、覚馬が書いた内容は<創造>。
 破壊よりも創り上げることにエネルギーを使いましょうよ、という主張。
 それとも新たな創造は、太平洋戦争後の戦後社会のように、破壊の後にしか生まれないのか?

★覚馬の牢の役人
「管見」を没収することなく、小田時栄(谷村美月)に持っていくことを許した。
 おそらく、この牢役人は覚馬の必死な思いを理解したのだろう。
 これは組織から離れた人と人との繋がり。
 敵対する組織どうしの人間でも、個人ではわかりあえる。

★松平春嶽(村上弘明)
「歪んでおる。あなた方が作る国は踏み出した一歩からすでに歪んでおる。誰のための国作りか、よくお考えあれ」

★西郷頼母(西田敏行)
 武器の性能と戦い方の圧倒的な差から「停戦」を主張。
「あの時、一刻も早く都を出ていれば!」と半ば、愚痴も。
 しかし、「ぬしに何が分がる。我ら都で戦った。血も流した。筆舌に尽くし難い屈辱も共に味わった。何も知らないぬしが出過ぎた口をきくな」と一蹴される。
 春嶽もそうですが、当事者でない人間の意見はあまり説得力がないんですよね。
「何も知らないぬしが出過ぎた口をきくな」と言われたら、何も反論できない。
 しかし、当事者でないから現実的、客観的な判断が出来るということもある。
 火縄銃を使い、関ヶ原と同じ火薬の配合を行い、硝石も足りない状況で、近代装備の軍隊に勝てるわけがないのだから。

★秋田藩
 列藩同盟から離脱。
 これは「死すとも同盟の信義を貫く」と言って子供たちを死なせていった二本松藩とは対照的。
 どちらが正しかったのだろうか?

★「子供じゃないか」と言って銃を撃つのをやめた兵士たち、そして、その部隊長。
 先程の牢役人もそうだが、組織を離れてひとりの人間になれば、誰もが正しい判断が出来る。
 子供を撃つことはいけないという当たり前のことがわかる。
 しかし、組織(今回の場合は軍隊)に属すと、人はその組織の軍隊に縛られる。
 気を抜いたり、優しい気持ちになれば、自分が殺されるという戦場の狂気がそれに拍車をかける。

 というわけで、今回は戦争に抵抗した人たちを中心にまとめてみましたが、僕はこういう人たちが大好きです。
 破壊よりも創造、信義などといった精神論よりも現実、組織の論理よりも人としての良心、その方が余程大切だと思います。

 最後に八重(綾瀬はるか)。
 戦士として覚醒したようです。
 戦いの果てに、彼女は何を見るのだろう?


コメント (15)
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