平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

いだてん 第44回 「ぼくたちの失敗」~政治家の考えてることは俺にはわからん。 だが、選手や観客の気持ちだけはわかる

2019年11月25日 | 大河ドラマ・時代劇
「出ますよ、選手のために。
 アジア民族の祭典を心待ちにしてるインドネシア人のために出ますよ。
 政治家の考えてることは俺にはわからん。だが、選手や観客の気持ちだけはわかる」

 田畑(阿部サダヲ)は『選手』と『観客』のためにアジア大会の参加を決めたんですね。
 そして『政治』の視点を捨てた。
『政治』の視点に立てば、導き出される結論は『不参加』になる。

 しかし……。
 オリンピックはすでに『政治』と切り離せないものになってしまった。
『政治』を抜きにオリンピックを論じることは出来なくなっていた。
 ここに田畑の悲劇がある。

 その後の対応もまずかった。
『大会の名称を変える』という政治的対応をしてしまったため、
 うまく仕切れていない、田畑にオリンピックを任せていいのか? という批判を生むことになってしまった。
 田畑が主張すべきだったのは、
「スポーツと政治は関係ない」
「選手とアジア民族の祭典を心待ちにしてるインドネシア人のために出ました」
 だったのに。

 田畑は自問する。
「俺はどこで間違えてしまったんだ?」
「どこで間違えたんだ? 俺のオリンピック」
 その答えは、
・高橋是清(萩原健一)=政治家をオリンピックに絡ませてしまったこと
・オリンピックを国家事業にしてしまったこと
 だった。

 スポーツの独立
 学問の独立
 表現の自由・独立
 信仰の自由・独立

 これらに政治は介入しようとしてくる。
 経済界はこれらで金儲けをしようとしてくる。
 まあ、『政治や経済からの完全な独立』などあり得ないとは思いますが……。

 以前も書きましたが、田畑は良い意味で『子供』なんですよね。
 オリンピックは世界中の人々が集まる大運動会!
 楽しくて帰りたくない運動会!
 だが、その運動会を政治利用したり、スポーツイベントにして金儲けにするのがオトナの世界。
 田畑はオトナに負けたのだ。
 ………………

 後半は、田畑と志ん生(ビートたけし)がシンクロした。
 ふたりに共通しているのは『哀しみ』だ。
 田畑は失敗と挫折を嘆き、志ん生は老いた自分を嘆いた。
 だが、共通しているのは『哀しみ』だけではない。
 ふたりには『妻』がいて、支え励ましてくれる『仲間』がいる。
 彼らにとって『妻』と『仲間』の存在は救いであっただろう。

 さて、いよいよ最終回まで残りわずか。
 ジャカルタで田畑が下した判断に対してマリー(薬師丸ひろ子)のタロット占いは『悪魔』や『死神』で最悪だったのだが、今回だけ当ったのか?
 それとも、いつものように外れて、田畑に救いと幸せが訪れるのか?


※追記
 ところで、津島(井上順)はどうして田畑を道連れにしたのかな?
 よくわからない。

コメント (4)
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