平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

いだてん 第41回 「おれについてこい!」~2020年に『俺のオリンピック』と言ってオリンピックを引っ張っている人はいるのだろうか?

2019年11月04日 | 事件・出来事
 オリンピックの本当の舞台は『選手村』。
 これが田畑政治(阿部サダヲ)のオリンピック観だった。

 田畑は言う。

「ロスの選手村は最高だった。
 さっきまで戦ってた選手同士が芝生に寝っ転がって、レコードかけて踊って、オレンジ食い過ぎて腹壊して、嘉納さんに白人がぶん投げられて。
 みんなヘラヘラ笑ってたよ。混沌だよ! カオスだよ!
 選手の記憶に刻まれるのは選手村で過ごした時間なんだ」

「共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人、白人、黄色人種、ぐっちゃぐちゃに混ざり合ってさ、純粋にスポーツだけで勝負するんだ。
 終わったら選手村でたたえ合うんだよ!
 そういうオリンピックを東京でやりたい」

 そうだよね。
 テレビや新聞は『競技』を報じて「メダルはいくつだ」「感動をありがとう」と大騒ぎするけど、
 もうひとつの感動は『選手村』にある。
『選手村』にこそ、国や民族や人種を越えた人々の交流=平和の祭典=オリンピックの精神がある。
 テレビや新聞は選手村での選手の交流を報じるべきなんじゃないかな?
 ………………

 プロフェッショナルも多数オリンピックに参加した。

・デザイナー/亀倉雄策
・記録撮影/黒澤明(後に市川崑)
・代々木体育館デザイン/丹下健三

 こうしたくせ者たちを統括するのが田畑。
 オリンピックを『俺のオリンピック』と言って引っ張るのが田畑。

 ここで、どうしても2020年の東京オリンピックのことを考えてしまうんだけど、
 現在はこういう人たちがいるのかね?
 見えているのは、小池百合子や森喜朗や桜田義孝といった政治家の顔ばかり。
 桜田義孝なんか担当大臣のくせにオリンピック憲章を読んだことがない……(呆れ)
 エンブレムでは盗作騒ぎで、国立競技場はデザインし直しでゴタゴタ。
 クローズアップされていないだけで、裏でプロの仕事をしている人はいるんだろうけど、どうなのかなあ?
 政治家や広告代理店の顔色を見て、仕方なく仕事をしてるって感じじゃないのかなあ?
『いだてん』を見ていると、政治家が前面に出て来るオリンピックはダメだと思う。
 だから田畑の言葉が突き刺さる。
「功名心で組織委員会に名を連ね、記者が集まる公開討論にしか顔を出さん。そんな役立たずの役人や政治家は出てってくれ!」

『俺のオリンピック』
 この言葉もキイワードで、2020年、『俺のオリンピック』と言って大会に全身全霊を傾けてる人はいるのだろうか?
 他人任せで『俺のオリンピック』から逃げてる気がする。
 皆が空気を読み、出る釘にならないようにして腰が引けてて、そういうオリンピックは面白くなるのかね?

 大松博文(徳井義実)は今ならパワハラ・セクハラで叩かれまくりでしょうね。
 こういう人が当たり前だった時代。
 これと比べて現在をどう評価すべきなのだろう?
 進歩なのか? 成熟なのか?
 後退なのか? 窮屈なのか?
 いずれにしても強烈な個性の人はいなくなってきた。
 明治や戦前の昭和も窮屈な時代だったと思うけど、
 金栗四三(中村勘九郎)や嘉納治五郎(役所広司)や田畑政治はそれを撃ち破って来た。
 閉塞した時代を切り拓くのはこうした人たちなんですよね。

コメント (2)
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