ドラマ「坂の上の雲」。1月19日(日)の放送で「旅順総攻撃」が描かれる。
そこで今回はドラマで描かれた、日露戦争が起こるまでの経緯を紹介していきます。
日清戦争の勝利。
勝利はしたものの、それは日本に恩恵をもたらすものではなかった。
西欧諸国が干渉してきたのだ。
時代は帝国主義の時代。
それぞれが権益を主張する貪欲な世界で道理はない。
強い者勝ち、言った者勝ち。
同時にロシアは南下してくる。
満州を占拠し朝鮮にも食指をのばす。
朝鮮をとられれば日本は目の前だ。
国際政治において地政学の見地は忘れてはならない。
そんな情勢下の日本の政治。
伊藤博文は非戦派だ。
ロシアとの戦争を必死に回避しようとする。
明治天皇(尾上菊之助)も伊藤に信を置いていて非戦派だ。
一方、当時の総理大臣・桂太郎(綾田俊樹)。
桂は主戦派で、ロシアとの戦争やむなしと考えている。
非戦派の伊藤博文に対しては「恐露病」と揶揄している。
一方、外務大臣の小村寿太郎(竹中直人)。
伊藤博文の考え方は古いとして「日英同盟」を結ぶ。
これはアジアの権益を日本と英国で守っていこうという同盟だが、
ロシアは自分たちに対する事実上の軍事同盟だと非難する。
一方、伊藤博文も負けていない。
単身ロシアに行き、非戦派の大蔵大臣ウィッテ(ヴァレリー・バリノフ)と通商条約を結ぼうとする。
しかしこの時、ウィッテはロシア皇帝ニコライ2世(ティモフィー・ヒョードロフ)の信任を失っていた。
ニコライ2世は皇太子時代に日本を訪問して斬りつけられる(「大津事件」)という被害に遭って
日本のことを良く思っていない。
「これでは日本が戦争を仕掛けて来ます」と訴えるウィッテに対し、
「日本が大国ロシアに戦争を仕掛けて来るわけがない。戦争を始めるか否かを決めるのはロシアだ」と
突っぱねる。
そして、ロシアの提示して来た通商案は日本にとって到底飲めないものだった。
日本側は「満州の権益をロシアに譲る代わりに朝鮮の権益を確保したい」と提案したが、
ロシアの返事は「満州の権益はロシア。日本の朝鮮の権益は制約付きで認める」
日本が再考を促すと、条件はさらに悪くなって、
「満州の権益はロシアと朝鮮の北半分。日本の権益は38度線以南の南半分」と回答。
結果、交渉は決裂。
日露戦争が始まる。
………………………………………………
僕はネトウヨさんではないが、この日露戦争までの過程を見ると、
当時の人々が「ロシアとの戦争やむなし」と考えたのは理解できる。
今の価値観で言うと、朝鮮併合も満州の権益確保も非難されるべきことなのだが、
当時は弱肉強食の帝国主義の時代。
これも当時の人々にとっては必然の考え方なのだろう。
歴史を見る時は現代の価値観だけでなく、当時の価値観でも見る必要がある。
ただ明治の政治家や軍人が賢明だったのは──
「戦争をいかに終わらせるかを考えていたこと」だ。
戦争が避けられないとわかると、伊藤博文は外交官・金子堅太郎(緒形幹太)をアメリカに派遣。
アメリカの世論を日本寄りにして、終戦の調停をアメリカにさせるように働きかけることを指示。
金子はハーバード大学留学の経験があり、ルーズベルト大統領とは同窓生なのだ。
この点は、いたずらに戦線を拡大し、戦争を終わらせる方策も考えなかった太平洋戦争の指導者たちと大きく違う。
そこで今回はドラマで描かれた、日露戦争が起こるまでの経緯を紹介していきます。
日清戦争の勝利。
勝利はしたものの、それは日本に恩恵をもたらすものではなかった。
西欧諸国が干渉してきたのだ。
時代は帝国主義の時代。
それぞれが権益を主張する貪欲な世界で道理はない。
強い者勝ち、言った者勝ち。
同時にロシアは南下してくる。
満州を占拠し朝鮮にも食指をのばす。
朝鮮をとられれば日本は目の前だ。
国際政治において地政学の見地は忘れてはならない。
そんな情勢下の日本の政治。
伊藤博文は非戦派だ。
ロシアとの戦争を必死に回避しようとする。
明治天皇(尾上菊之助)も伊藤に信を置いていて非戦派だ。
一方、当時の総理大臣・桂太郎(綾田俊樹)。
桂は主戦派で、ロシアとの戦争やむなしと考えている。
非戦派の伊藤博文に対しては「恐露病」と揶揄している。
一方、外務大臣の小村寿太郎(竹中直人)。
伊藤博文の考え方は古いとして「日英同盟」を結ぶ。
これはアジアの権益を日本と英国で守っていこうという同盟だが、
ロシアは自分たちに対する事実上の軍事同盟だと非難する。
一方、伊藤博文も負けていない。
単身ロシアに行き、非戦派の大蔵大臣ウィッテ(ヴァレリー・バリノフ)と通商条約を結ぼうとする。
しかしこの時、ウィッテはロシア皇帝ニコライ2世(ティモフィー・ヒョードロフ)の信任を失っていた。
ニコライ2世は皇太子時代に日本を訪問して斬りつけられる(「大津事件」)という被害に遭って
日本のことを良く思っていない。
「これでは日本が戦争を仕掛けて来ます」と訴えるウィッテに対し、
「日本が大国ロシアに戦争を仕掛けて来るわけがない。戦争を始めるか否かを決めるのはロシアだ」と
突っぱねる。
そして、ロシアの提示して来た通商案は日本にとって到底飲めないものだった。
日本側は「満州の権益をロシアに譲る代わりに朝鮮の権益を確保したい」と提案したが、
ロシアの返事は「満州の権益はロシア。日本の朝鮮の権益は制約付きで認める」
日本が再考を促すと、条件はさらに悪くなって、
「満州の権益はロシアと朝鮮の北半分。日本の権益は38度線以南の南半分」と回答。
結果、交渉は決裂。
日露戦争が始まる。
………………………………………………
僕はネトウヨさんではないが、この日露戦争までの過程を見ると、
当時の人々が「ロシアとの戦争やむなし」と考えたのは理解できる。
今の価値観で言うと、朝鮮併合も満州の権益確保も非難されるべきことなのだが、
当時は弱肉強食の帝国主義の時代。
これも当時の人々にとっては必然の考え方なのだろう。
歴史を見る時は現代の価値観だけでなく、当時の価値観でも見る必要がある。
ただ明治の政治家や軍人が賢明だったのは──
「戦争をいかに終わらせるかを考えていたこと」だ。
戦争が避けられないとわかると、伊藤博文は外交官・金子堅太郎(緒形幹太)をアメリカに派遣。
アメリカの世論を日本寄りにして、終戦の調停をアメリカにさせるように働きかけることを指示。
金子はハーバード大学留学の経験があり、ルーズベルト大統領とは同窓生なのだ。
この点は、いたずらに戦線を拡大し、戦争を終わらせる方策も考えなかった太平洋戦争の指導者たちと大きく違う。