平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

逃げるは恥だが役に立つ~生きるとは「面倒くささ」を引き受けること。平匡は、みくりの面倒くささを愛おしく思った!

2020年07月06日 | 恋愛ドラマ
『逃げるは恥だが役に立つ』
 最終話で平匡さん(星野源)は、みくり(新垣結衣)にこんなことを言っていた。
 みくりが「自分は小賢しくて面倒くさい。文句を言わずに働いてくれる家政婦さんを雇った方がいいんじゃないか」と言った時に返した言葉だ。

「面倒を極限まで下げ続けていたら、
 歩くのも食べるのも面倒になって、息をするのも面倒になって、
 限りなく死に近づいていくんじゃないでしょうか?」


「生きていくのって面倒くさいです。
 それはひとりでもふたりでも同じで、それは別々の面倒くささがあって、
 どっちも面倒くさいんだったら、いっしょにいるのも手なんじゃないでしょうか?
 話し合ったり、無理な時は時間を置いたり、だましだましでも何とかやっていけないでしょうか?」


 生きることは面倒くさいこと。
 生きるとは他人に面倒をかけること。

 これがわかって来ると、
 自分が重荷を背負った時、少しは楽になれるし、
 他人にやさしくなれる気がする。

 ついでに言うと、
 民主主義も面倒くさいシステム。
 議論をして、少数者やさまざまな立場の人の意見を聞いて、修正をして、意思決定をしていく。
 選挙という意思表明の場もある。
 これが独裁だと、独裁者と一部の人間が意思決定するから、面倒くさい手続きを踏まなくていい。
 でも独裁だと、独善に陥り、独裁者が間違えばすべてが間違うし、腐敗も起こる。
 最近、面倒くさい民主主義を捨てて、独裁を望む声があるようだけど、やめようよ。
 北朝鮮や中国のようになったら息苦しい。

 平匡さんが言っていた
『面倒を極限まで下げていったら限りなく死に近づいていく』
 というのはSFがユートピアを描く時に必ず出て来るモチーフ。
 ロボットが労働を担い、AIが世界の管理をおこなう面倒くささがない世界では、人間は何も考えず意思を失い、ただ遊ぶだけの存在になる。
 作品は、それが本当の幸せなのか? と問いかける。

 話が脱線してしまったが、『面倒くささ』って時代を考える上でのキイワードだと思う。

 最後はもうひとつ平匡さんのみくりへの言葉。

「みくりさんは自分のことを普通じゃないって言ってたけど、
 僕からしたら今更です。
 とっくに知っていました。たいしたことじゃありません」


 平匡さんはみくりの面倒くささを引き受けている。
 みくりの面倒くささが逆に心地よくて、愛おしく思っている。

 平匡さんとみくりは今後も互いの面倒くささを引き受けながら、楽しく生きていくのだろう。
 ていうか、このふたり、いきなり『真田丸』のテーマを流して議論を始めたり、結構面倒くさいよね(笑)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 安倍晋三レイムダック化!~... | トップ | 半沢直樹の闘争術~盗撮、盗... »

コメントを投稿

恋愛ドラマ」カテゴリの最新記事