仁(大沢たかお)が「いっしょになって下さい」とプロポーズした時の咲(綾瀬はるか)のせりふは、なかなか深い。
「美しい夕日ですね。こんなに美しくていいのでしょうか」
プロポーズされて咲は最高に嬉しかった。
だから「こんなに美しくていいのでしょうか」という言葉を使った。
だが、咲は自分を冷静に客観的に見ている。
それはプロポーズに対して「夕日」を話題にしたことからうかがえる。普通なら、嬉しくて「はい。お受けします」とすぐに答えてしまう所だ。
咲は自分を冷静に見て、<自分だけが幸せになってはいけないこと><仁が未来に帰っていく人間であること><仁といっしょになれなくても自分が前向きに生きていける生き方→仁友堂を残すことであること>を考えている。
何と繊細で複雑な人間心理だろう。
何と上手いせりふだろう。
この咲の考え方は、野風(中谷美紀)のそれと対立している。
以下のせりふは、野風が仁に言ったせりふだが、咲に向けた言葉でもある。
「あちきは、おなごの幸せをすべて手に入れるつもりでありんす」
「先生も我が身の幸せだけをお考え下さい」
<おなごの幸せを手に入れること><我が身の幸せのみを考えること>
おそらく、咲は今後このことについて考え悩み続けるのであろう。
それにしても咲のせりふは常に婉曲的だ。
先程の「夕日」もそうだが、仁が釈放された時もそう。
「今宵は何を食べとうございますか?」
決して、「ご無事でよかった」「嬉しい」ではない。
かと言ってストレートの直球の時もある。
前回の神に仁のことを祈る時のせりふ。
「今すぐに先生を未来にお戻し下さいませ。どうか先生をお助け下さいませ」
このせりふのメリハリ。
実に上手いし、咲がヒロインたるゆえんである。
※追記
前半の仁が釈放されるまでのサスペンス。
仁がかつて関わった人物たちが奔走するシーンは萌える。
龍馬(内野聖陽)は叫ぶ。「こん国はいつから恩知らずになったとじゃあ!」
新門辰五郎(中村敦夫)は語る。「あの男は江戸の宝だぜ」
咲も「先生の罪が晴れますまでは」と食べ物を口にしない。
そして仁友堂の仲間たち。
ついでに牢屋の囚人たち。「お前様は仏じゃあ~!」
ちなみに龍馬が「こん国はいつから恩知らずになったとじゃあ!」と叫んだのは、放送開始20分。最初のCM前。
この作品は必ず最初のCM前で見せ場、泣き所を作る。
※追記
仁の言葉。
「全力で今を生きる。志を持って。この時代の明日を変えていくんだ」
震災後の現代に響く言葉。
※追記
原作を消化しなければならないのか、話が走りすぎているのが気になる。
せっかく内容のあるドラマなのだから2クールくらいでじっくり描いた方がよかったのでは?
「美しい夕日ですね。こんなに美しくていいのでしょうか」
プロポーズされて咲は最高に嬉しかった。
だから「こんなに美しくていいのでしょうか」という言葉を使った。
だが、咲は自分を冷静に客観的に見ている。
それはプロポーズに対して「夕日」を話題にしたことからうかがえる。普通なら、嬉しくて「はい。お受けします」とすぐに答えてしまう所だ。
咲は自分を冷静に見て、<自分だけが幸せになってはいけないこと><仁が未来に帰っていく人間であること><仁といっしょになれなくても自分が前向きに生きていける生き方→仁友堂を残すことであること>を考えている。
何と繊細で複雑な人間心理だろう。
何と上手いせりふだろう。
この咲の考え方は、野風(中谷美紀)のそれと対立している。
以下のせりふは、野風が仁に言ったせりふだが、咲に向けた言葉でもある。
「あちきは、おなごの幸せをすべて手に入れるつもりでありんす」
「先生も我が身の幸せだけをお考え下さい」
<おなごの幸せを手に入れること><我が身の幸せのみを考えること>
おそらく、咲は今後このことについて考え悩み続けるのであろう。
それにしても咲のせりふは常に婉曲的だ。
先程の「夕日」もそうだが、仁が釈放された時もそう。
「今宵は何を食べとうございますか?」
決して、「ご無事でよかった」「嬉しい」ではない。
かと言ってストレートの直球の時もある。
前回の神に仁のことを祈る時のせりふ。
「今すぐに先生を未来にお戻し下さいませ。どうか先生をお助け下さいませ」
このせりふのメリハリ。
実に上手いし、咲がヒロインたるゆえんである。
※追記
前半の仁が釈放されるまでのサスペンス。
仁がかつて関わった人物たちが奔走するシーンは萌える。
龍馬(内野聖陽)は叫ぶ。「こん国はいつから恩知らずになったとじゃあ!」
新門辰五郎(中村敦夫)は語る。「あの男は江戸の宝だぜ」
咲も「先生の罪が晴れますまでは」と食べ物を口にしない。
そして仁友堂の仲間たち。
ついでに牢屋の囚人たち。「お前様は仏じゃあ~!」
ちなみに龍馬が「こん国はいつから恩知らずになったとじゃあ!」と叫んだのは、放送開始20分。最初のCM前。
この作品は必ず最初のCM前で見せ場、泣き所を作る。
※追記
仁の言葉。
「全力で今を生きる。志を持って。この時代の明日を変えていくんだ」
震災後の現代に響く言葉。
※追記
原作を消化しなければならないのか、話が走りすぎているのが気になる。
せっかく内容のあるドラマなのだから2クールくらいでじっくり描いた方がよかったのでは?
さらに少しだけ原作ネタバレをお許しいただくと、野風がルロン氏のもとに去っていった後、咲は仁に「野風さんがわたくしのためにそれ程の決心をして下さったというのに……いなくなることに実はほっとしている……私の心は醜うございます」と告白しています。
つまり原作では単純に仁の心には咲がいることを知った野風が身を引き、咲も後ろめたさを覚えつつ野風の想いを受け入れていることになります。ちなみにこの台詞、本作ではミキ消滅の際に既に使ってしまっていますね。
<自分だけが幸せになってはいけないこと>
本作の咲にとって野風の想いはそう簡単なものではありません。先週の「すべてを知ってしまった」野風、そして野風の言葉の端から彼女が「すべてを知ってしまった」ことを察知してしまった咲とが非常に深いところで向き合っており、すでに野風と咲との人物像は原作を遙かに超えた深みを帯びています。
今回のメインはそうした野風の愛と咲の愛とのぶつかり合いであり、しかもそれが通常の「奪い合う」三角関係とはまったく逆の形をとっている、というところでしょう。まさに「古典的日本人」がもっていた麗しき「人情の機微」と言えます。
>せっかく内容のあるドラマなのだから2クールくらいでじっくり描いた方がよかったのでは?
私もまったく同感です。
しかし、前にも書いた「引き延ばし」批判に加えて、第一部のあまりの成功に大沢さんが後込みしていたようで、1クールが限界だったのではないかと思います。大沢さん以下、皆さんそれだけ第一部に全力を注いでいたのでしょうし、それを超える勇気を振り絞っておられるのだと思います。
当然、エピソードをかなり省略しているようですし、逆に絞り込んだエピソードについては驚くほど-絵の構図にいたるまで-原作を忠実に再現しているように思います。
いつもありがとうございます。
>原作ではこれから仁先生が咲に対する愛情を自覚し始める段階。
物語の流れから言うと、今回の仁のプロポーズは唐突でしたね。
原作の心のあり方の方が自然のような気がします。
まあ、ドラマ版の方の「死んで未来にいくより、咲さんの所にいたいと思った」という処理も見事ですけど。
ご指摘の<奪い合わない愛>というのも、きれいでしたね。
咲と野風の何気ないやりとりの中に<非常に深いところで向き合っていること>も感じられます。
こういう「人情の機微」を大河ドラマでも描けないものでしょうか?
近い将来、大河ドラマの脚本をぜひ「JIN」の脚本の森下佳子さんに書いてもらいたいものです。
また現在、「白夜行」という過去のドラマを見ているのですが、この作品、脚本で森下佳子さんが参加されていますし、演出は「JIN」の演出陣で、出演者も綾瀬はるかさんに麻生祐未さん、小出恵介さん、武田鉄矢さんと「JIN」の役者さんたちなんです。
ジャンルはまったく違いますが、作劇や人物の描き込み方などは「JIN」の片鱗があるな、などと思って見ています。
「仁」視聴者の皆様殆どが絶賛されている このドラマ。
確かに 良いドラマとは思います。
思いますが、私にはそれほどでもないのが正直な感想です
おっしゃるように ツボでしょうねぇ
ある人は 3話は爆泣きだったと言いますが
私には「蛙の面に小便」でした(下品な表現ですみません)
大河の「江」がつまらなさ過ぎて
相対的に「仁」が高評価なのかとも考えました
「仁」パート1が放送された2009年も 大河は悪評高い「天〇〇」だったんですよね?
私は 2009年はどちらも見ていません
(後になって「仁」パート1だけは 録画を5話あたりまで見ました)
※綾瀬はるかさんが 意外にも可憐な人だと知ったのは収穫でした
※坂本龍馬は 内野さんが福山さんよりも 「らしい」ですね
いつもありがとうございます。
>「仁」パート1が放送された2009年も 大河は悪評高い「天〇〇」だったんですよね?
考えてみるとそうなんですよね。
TBSの編成は、大河ドラマがつまらない→仁が面白く感じるに違いない、なんてことを計算したのかもしれません・笑。
「JIN」は確かに感情が溢れ、神の意思みたいなものも出て来て大仰ですよね。
そのあたりがクールな?megumiさんのテイストに合わないのかもしれません。
「JIN」の魅力に関しては、「それほどでもない」というmegumiさんの意見も含めて、これからも考えていきたいと思っています。
何しろ世界の80ヶ国で評価されて同時放映されているんですからね、しかも外国の方にはとっつき憎い世界。
底流に文化の違いを越えた人間共通のものがあるのかもしれません。