「朕のみが読むのは惜しい。皆にも読ませたい」
ついに『源氏物語』が一条天皇(塩野瑛久)に認められた。
ずいぶん引っ張ったなぁ。執筆を始めてから三話分くらいを費やした。
焦らされた分、カタルシスも大きい。
おまけに、その後の道長(柄本佑)のまひろ(吉高由里子)への「褒美」と称したプレゼント!
プレゼントの扇には、幼き頃のふたりの思い出が描かれていた。
昔を思い出して、胸を熱くするまひろ。若干のせつなさもあったかもしれない。
最高の盛り上がりだ。
彰子(見上愛)の描写も焦らしている。
なかなか自分を語らない彰子。
だが、少しずつまひろに心を開き始めた。
「わたしは冬が好き。青い空が好き」
「わたしが好きなのは青」
なのに女房たちは「寒いから奥へ行きましょう」「御簾を下げましょう」と言う。
彰子が好きな色は薄い赤だと決めつけている。
これを目撃したまひろは彰子の中にさまざまな言葉や豊かな世界があると気づく。
そして──
「わたしも帝がお読みになったものを読みたい」
まひろが『源氏物語』の冒頭の概要を語り始めると、
「帝みたい……」
「その君は何をするの……?」
グイグイという感じではないが、彰子らしい形で好奇心を持った。
彰子が自分を素直に出せる日が来るのは、もうすぐだ。
ちなみに次回のサブタイトルは「目覚め」。
彰子の「目覚め」を差しているのだろうか?
………………………………………………………………
道長はまひろに対する時は素直だ。
「おまえの才で帝を藤壺に! 頼む!」
「藤壺で書け! 書いてくれ!」
「おまえは最後の一手なのだ! 俺にはこれしかない!」
ここには身分の違いはない。
「書け!」と上から命令した後には「書いてくれ!」と言い直している。
これらの言葉の裏には──
まひろが藤壺からいなくなれば自分の心の支えがなくなる、という意味もあるのだろう。
男は弱い生き物ですからね。
好きな人が自分のそばにいてくれるだけで心強い、と考えたりする。
好きな人の顔を見たり言葉を交わしたりするだけで力をもらえたりする。
伊勢守の人事の件は武士の台頭を思わせる。
鎌倉幕府の誕生は道長の時代から約200年後だが、
地方が力を持ち、武力を有すると、中央集権体制が揺らぐ。
道長はそれを懸念したのだろう。
そして次回は興福寺の僧兵の話。
道長の懸念が現実になった。
こうした時代の流れもしっかり描いていくんですね。
というか、今までたいした武力がなかったのによく治まっていたな。
神事をおこなう帝の権威が絶大だったのだろう。
※追記
おそらく彰子みたいなタイプは「作品」を通すと雄弁になる。
自分のことはなかなか語れないが、作品についてなら語れる。
いわゆるオタクタイプだ。
まひろもオタクだから、いずれふたりの間でオタクトークが始まるのかもしれない。
ついに『源氏物語』が一条天皇(塩野瑛久)に認められた。
ずいぶん引っ張ったなぁ。執筆を始めてから三話分くらいを費やした。
焦らされた分、カタルシスも大きい。
おまけに、その後の道長(柄本佑)のまひろ(吉高由里子)への「褒美」と称したプレゼント!
プレゼントの扇には、幼き頃のふたりの思い出が描かれていた。
昔を思い出して、胸を熱くするまひろ。若干のせつなさもあったかもしれない。
最高の盛り上がりだ。
彰子(見上愛)の描写も焦らしている。
なかなか自分を語らない彰子。
だが、少しずつまひろに心を開き始めた。
「わたしは冬が好き。青い空が好き」
「わたしが好きなのは青」
なのに女房たちは「寒いから奥へ行きましょう」「御簾を下げましょう」と言う。
彰子が好きな色は薄い赤だと決めつけている。
これを目撃したまひろは彰子の中にさまざまな言葉や豊かな世界があると気づく。
そして──
「わたしも帝がお読みになったものを読みたい」
まひろが『源氏物語』の冒頭の概要を語り始めると、
「帝みたい……」
「その君は何をするの……?」
グイグイという感じではないが、彰子らしい形で好奇心を持った。
彰子が自分を素直に出せる日が来るのは、もうすぐだ。
ちなみに次回のサブタイトルは「目覚め」。
彰子の「目覚め」を差しているのだろうか?
………………………………………………………………
道長はまひろに対する時は素直だ。
「おまえの才で帝を藤壺に! 頼む!」
「藤壺で書け! 書いてくれ!」
「おまえは最後の一手なのだ! 俺にはこれしかない!」
ここには身分の違いはない。
「書け!」と上から命令した後には「書いてくれ!」と言い直している。
これらの言葉の裏には──
まひろが藤壺からいなくなれば自分の心の支えがなくなる、という意味もあるのだろう。
男は弱い生き物ですからね。
好きな人が自分のそばにいてくれるだけで心強い、と考えたりする。
好きな人の顔を見たり言葉を交わしたりするだけで力をもらえたりする。
伊勢守の人事の件は武士の台頭を思わせる。
鎌倉幕府の誕生は道長の時代から約200年後だが、
地方が力を持ち、武力を有すると、中央集権体制が揺らぐ。
道長はそれを懸念したのだろう。
そして次回は興福寺の僧兵の話。
道長の懸念が現実になった。
こうした時代の流れもしっかり描いていくんですね。
というか、今までたいした武力がなかったのによく治まっていたな。
神事をおこなう帝の権威が絶大だったのだろう。
※追記
おそらく彰子みたいなタイプは「作品」を通すと雄弁になる。
自分のことはなかなか語れないが、作品についてなら語れる。
いわゆるオタクタイプだ。
まひろもオタクだから、いずれふたりの間でオタクトークが始まるのかもしれない。
良い面は、品が良いので「意地悪」ではなく、まひろをいびるような事はなかった。
まあ、物語執筆に集中できる環境では無かったようですが。
悪い面は、世間知らずなので「気が利かない」(無能)ということのようです。
>なのに女房たちは「寒いから奥へ行きましょう」「御簾を下げましょう」と言う。
彰子の心と開通する微かな手掛かりに気づくことができるかどうかでまひろとの引き立て役となっていました。
しかし、やがて「源氏物語」が評判になるでしょうから、先輩女房たちのまひろに対する姿勢も変化してゆくことでしょう。
ことによると「友人」と言えるような人も現れてくるのかもしれません。
この先まひろが彰子と―そしてある程度一条天皇とも―心を通わせてゆき、やがて彰子が一条帝と結ばれるようになるまでが本作最大の山場なのだと思います。
おそらくもう2~3話くらいは投入するのではないかと予想します。
このプロセスを劇的なものとするために、敢えて彰子のスタートラインを「ロボット人形」のような極端な人物像に置いたのでしょう。
彰子の「大化け」を演じる見上愛さん、少女役にも違和感が無いお若い女優さんですが、今後の演技が注目されます。
>「書け!」と上から命令した後には「書いてくれ!」と言い直している。
本作の基本コンセプトとして、まひろと道長との間に身分を超えた「ソウルメイト」としての特別な絆がある以上当然と言えば当然ですが、道長は安倍清明にも頭を下げていました。
「頭を下げることができる」という点も、本作の道長像の重要な特徴かと思います。
>伊勢守の人事の件は武士の台頭を思わせる。
私も、このすぐ後に平忠盛・清盛父子、源為義・義朝父子が登場してきそうな雰囲気を感じました。
もっとも、「僧兵」と言っても袈裟を頭に巻いて長刀を担ぐ「弁慶スタイル」ではなく、普通の僧服姿だった点、まだ時代が違うのだと思いました。
いつもありがとうございます。
今回、一条天皇が直々に会いに来て女房たちを驚かせた藤式部・まひろ。
今後も快進撃が進みそうです。
ただネット情報の史実に拠ると、明子派の女房はまひろと対立するようですね。
本作では省略される可能性がありますが。
>彰子と―そしてある程度一条天皇とも―心を通わせてゆき、やがて彰子が一条帝と結ばれるようになるまでが本作最大の山場なのだと思います。
確かに。
その後は何を描くんでしょう?
逆に楽しみですね。
見上愛さんは僕も関心を持っていて、現在、見上さんが主演の『恋愛バトルロイヤル』(Netflixオリジナル)を見ています。
生き残るために恋愛スキャンダルを集め、バラすぞとお金持ちの同級生を脅してお金を稼ぐ女子高生役ですが、現在の彰子とは180度違います。
ちなみに母親役は詮子の吉田羊さんです。
>「頭を下げることができる」
確かにこれが道長ですよね。
僕は柄本佑さんの力を抜いた時の芝居が好きで、「おまえは気の変わるおなごじゃのう」という言い方などにしびれます。
力を持ち始めた地方豪族や寺院。
今作で平安時代を描いたことで、源平時代、鎌倉時代、戦国時代が繋がりましたね。
三谷幸喜さんは「奈良時代をやりたい」をおっしゃってるそうですが、ぜひやってほしいです。
あとは南北朝時代。
今はアニメ「逃げ上手の若君」で足利尊氏の時代を描いていますが、南北朝時代は楠木正成とか現在の天皇制に関わるセンシティブな時代なので避けているんでしょうね。
1991年、大河第29作で『太平記』がありました。
古典作品の『太平記』は楠木正成や新田義貞ら、「南朝方」視点ですが、大河ドラマ『太平記』の主人公は何と足利尊氏でした。
私は熱心に視聴するとともに、NHKも結構やるな、と思っていました。
みやびでおじゃるな宮中のエピソードでしばらくつないで、女子のハートをキュンキュンさせる路線で行くと思いきや、興福寺をぶっ込んできました。男性大河ファンは、基本合戦動乱がお好きなので、たまにはこの手の「男のロマン」を織り交ぜるのも忘れないわけですね(笑)。
しかも赤星昇一郎です。80年代後半の深夜お笑い番組「ウソップランド」で、超人バロムアイや、子泣きじじいを怪演したお兄さんでした。大河ではときどき坊さん役で出てくるようですが、見慣れている人からすれば、毎度おなじみなんでしょうか。
今回は、ロバート秋山と矢部太郎もそうですが、センスあるお笑い系の人を要所要所に持ってきて、それがキチンとハマっているんで、大したものです。人を笑わせるのは、泣かせるより難しいといいますが、要所要所にお笑いの人を持ってくるのは、悪くないです。
そういえば今回、女房たちの寝室を天井カメラからスクロールで見せたカメラワークも、けっこう笑えました。まるでカプセルホテルですが(笑)、あのカメラで一目で分かりますし、ドリフ的に面白いです。
まさか平安王朝ものであんな演出ができるとは、発案者に座布団3枚あげたいです。。
TEPOさんが仰るように
大河ドラマ「太平記」が南北朝時代を描いていました。
この作品は好きだったので。3巡くらい見ましたが
唯一、残念だったのは北畠顕家を後藤久美子さんに演じさせたことです。
若き美男俳優は、幾らでもいたでしょうに。
コメディ映画「病院へ行こう」で主人公と間男(誤解)を演じた真田広之さんと大地康雄さんが
絆の深い主従を演じたところが、とても良かったです。
最近まで朝日新聞に連載されていた今村翔吾さんの「人よ、花よ、」も南北朝時代で楠正行が主役です。
再来年は、また戦国「豊臣兄弟」でしょ?
幾ら視点を変えたとしても、いい加減に飽きますよね。
時代考証が難しかったとしても、それも込み込みのフィクションとしてでも
奈良時代以前のものを見てみたいです。
そうでしたね。太平記がありましたね。
当時、仕事がメチャクチャ忙しくて、毒殺シーンがリアルで、この作品だけはリタイアしたのを思い出しました。
いつもありがとうございます。
今回、武力の必要性を説いていた隆家が活躍する「刀伊の入寇」も描かれるようですし、今後、男性視聴者が求める路線も入れて来るんでしょうね。
それと伊周が退場すると、道長に政敵がいなくなるので、新たな敵が必要になって来たこともあるんでしょうね。
赤星昇一郎さんはどんな芝居を見せてくれるんでしょうね。
テンプレでない味付けをしてくれるのか?
寝殿造りは面白いですよね。
よくあれでプライバシーが守れるなぁ、と思います。
よくあれで寒くないな、と心配になります。
高貴な姫様であっても実は人間的──みたいな意味も込められているでしょうね。
いつもありがとうございます。
>若き美男俳優は、幾らでもいたでしょうに。
昔は美男俳優を出して視聴率を稼ぐという発想がなかったんでしょうね。
逆に後藤久美子さんの方が話題を集め、数字を獲れると考えていたのでしょう。
「人よ、花よ、」本で出版されたら読んでみます。
「逃げ上手の若君」といい、今は南北朝時代が求められているのかもしれませんね。
「豊臣兄弟」は内容が見えて来ますよね。
斬新な切り口でやってくれるのならいいのですが、「どいえ(どうする家康)」でさえ、後半は従来の家康像でしたし、瀬名の人物像や平和構想は歴史ファン、大河ファンから批判されました。
戦国時代で唯一手をつけていないのが九州の大名。
大友宗麟、立花道雪、龍造寺隆信、島津義久など、スターは揃っているんですけどね。
megumiさんの住んでいらっしゃる熊本も盛り上がることでしょう。
奈良時代は面白そうですね。
仏教の時代、律令政治が始まった時代、記紀が編纂された時代。
今まではセットを新たに作らなければならないという理由で難しかったようですが、今回の平安時代の使いまわしができそうなので、少しハードルが下がりそうです。
10年か20年くらい前、聖徳太子のドラマスペシャルがNHKで放送されましたが、平安以前の話を取り上げるとなると、朝鮮半島や唐との関係がガチンコで出てくることになります。ネット愛国的な皆さんからケチがつかないようにつくるのは、けっこう大変でしょう。
九州戦国ものにしても、キリシタンの話は絶対入れなくてはならないでしょう。
そうなると、欧州諸国の植民地争奪戦のエピソードや、それに絡むカトリック教会や宣教師たちの暗躍、銀を巡る国際経済のかけひき、といった今までの戦国ものにはない要素も、かなり立ち入って取り上げないといけないわけで、今までの「男のロマン的な大迫力の合戦が繰り広げられる大河ドラマ」を求める層が見てくれなくなる恐れは大きいです。
現在も、グローバルヒストリー的な番組はNHKで放映されていますが、深夜帯単発ばかりで、視聴率が取れないと判断しているらしいことは分かります。
この時代のキリスト教は「キリスト教国=文明的」という明治以来の日本人が持つイメージを破壊するような、身もフタもない話がけっこう出てくるので、西側諸国の一員という現在の立場からすれば、あまり大々的にやりたくないのかもしれません。
あるいは、アメリカの福音派にも配慮しているんでしょうか。
考えすぎかもしれませんが(笑)。
「光る君へ」でも漢籍ばかり出て来てけしからん、という意見もあるようですね。
あと、まひろが片膝を立てて座るのは韓国的だ、と怒る人もいるとか。
彼らは本当に史実に敬意がありません。
唐との関係は奈良時代や日本を語る上で必須なので、自称・愛国者さんには言わせておきましょう。
最近しばしば言われている「宣教師たちの隠れた使命」については、まだ学説として定着していないようなので、
・織田信長→西洋の面白い宗教
・細川ガラシャ→救い
といった従来どおりの描写で留まるんでしょうね。