司馬遼太郎さんは<魅力的な人間>について描いてきた作家だと思うが、秀吉についてはこんな描写がある。
『新史太閤記』の秀吉と寧々が結婚する時の描写だ。
結婚を前にして、寧々は父親の又右衛門から「本当に結婚相手が秀吉でいいのか」といったことを尋ねられる。
婚礼の前夜、又右衛門は念のため寧々にきいてみた。
「藤吉郎殿は、面白いお人だから」
と、寧々はいうのである。
「なるほど」
分別のある又右衛門にもこの機微はわからない。面白いとは「趣がある」ということかもしれない。しかしそんなことで娘が一生の連れ合いを選ぶものかどうか。
(つまり、まだ子供だということだ)
又右衛門はそのように納得しようとした。養父にこそわからないが、当の寧々にはわかっている。ほとんど毎日やってくる藤吉郎ほど寧々にとって会話の仕映えのある相手はいない。寧々は生来機知に富み、退屈な相手が大きらいだった。
この点、藤吉郎はみごとな男だった。こちらが何を問いかけても機知のあふれる返答が返ってきたし、ときには腹をかかえるほどに笑わせられるし、しかも人間に実があり、苦労をしているだけに趣もある。要するに面白いのである。
司馬遼太郎全集『新史太閤記』85ページ
この描写、父親の又右衛門よりも寧々の方が秀吉の魅力を理解している所が面白い。
特に<人間に実があり、苦労をしているだけに趣もある>という記述は秀吉の本質を的確に描き出している。
寧々の<恋愛感情>についてはこんな描写がある。
いくさなどで秀吉が寧々のいる浅野家に来ない期間の寧々の心の中を描いた描写だ。
その期間、なにやら失せ物をしたようで寧々は落ちつかず、やがて藤吉郎が城下に帰り浅野家に入りびたりはじめると、寧々の日常は回復するのである。
司馬遼太郎全集『新史太閤記』85ページ
短い文章だが、<恋愛>という感情を見事に表現している。
寧々の気持ちが伝わってくる、いい恋愛物語だ。
しかし、司馬さんはここで『ロミオとジュリエット』のような物語は描かない。
一方の秀吉についてはこんな非情な描写をする。
猿は、寧々の人柄よりもむしろ彼女の出の良さやその十人並以上な器量に惚れていた。猿にはそういう癖があり、極端に美人好きであった。二十六にもなって美人好きというのは、猿の物事への憧れのつよさをあらわすものであろう。寧々は較べてみればさほどの美人ではないかもしれないが、猿の手の届く範囲内ではたいそうな美人であった。
それに猿は、いかに美人であっても自分と同列の家の娘やそれ以下の階級の娘にはなんの魅力も感じない。御料人と呼ばれるよい家の娘を好み、あこがれ、その憧れが猿の性欲を刺激した。
猿の手の届く範囲では寧々はいわば貴種の娘といっていい。
司馬遼太郎全集『新史太閤記』86ページ
秀吉が寧々に惚れた理由のひとつは、寧々が家柄が上の娘<御料人>であったことだった。
こう書かれてしまうと、恋愛物語として身も蓋もないが、これが司馬遼太郎の世界なのである。
『新史太閤記』の秀吉と寧々が結婚する時の描写だ。
結婚を前にして、寧々は父親の又右衛門から「本当に結婚相手が秀吉でいいのか」といったことを尋ねられる。
婚礼の前夜、又右衛門は念のため寧々にきいてみた。
「藤吉郎殿は、面白いお人だから」
と、寧々はいうのである。
「なるほど」
分別のある又右衛門にもこの機微はわからない。面白いとは「趣がある」ということかもしれない。しかしそんなことで娘が一生の連れ合いを選ぶものかどうか。
(つまり、まだ子供だということだ)
又右衛門はそのように納得しようとした。養父にこそわからないが、当の寧々にはわかっている。ほとんど毎日やってくる藤吉郎ほど寧々にとって会話の仕映えのある相手はいない。寧々は生来機知に富み、退屈な相手が大きらいだった。
この点、藤吉郎はみごとな男だった。こちらが何を問いかけても機知のあふれる返答が返ってきたし、ときには腹をかかえるほどに笑わせられるし、しかも人間に実があり、苦労をしているだけに趣もある。要するに面白いのである。
司馬遼太郎全集『新史太閤記』85ページ
この描写、父親の又右衛門よりも寧々の方が秀吉の魅力を理解している所が面白い。
特に<人間に実があり、苦労をしているだけに趣もある>という記述は秀吉の本質を的確に描き出している。
寧々の<恋愛感情>についてはこんな描写がある。
いくさなどで秀吉が寧々のいる浅野家に来ない期間の寧々の心の中を描いた描写だ。
その期間、なにやら失せ物をしたようで寧々は落ちつかず、やがて藤吉郎が城下に帰り浅野家に入りびたりはじめると、寧々の日常は回復するのである。
司馬遼太郎全集『新史太閤記』85ページ
短い文章だが、<恋愛>という感情を見事に表現している。
寧々の気持ちが伝わってくる、いい恋愛物語だ。
しかし、司馬さんはここで『ロミオとジュリエット』のような物語は描かない。
一方の秀吉についてはこんな非情な描写をする。
猿は、寧々の人柄よりもむしろ彼女の出の良さやその十人並以上な器量に惚れていた。猿にはそういう癖があり、極端に美人好きであった。二十六にもなって美人好きというのは、猿の物事への憧れのつよさをあらわすものであろう。寧々は較べてみればさほどの美人ではないかもしれないが、猿の手の届く範囲内ではたいそうな美人であった。
それに猿は、いかに美人であっても自分と同列の家の娘やそれ以下の階級の娘にはなんの魅力も感じない。御料人と呼ばれるよい家の娘を好み、あこがれ、その憧れが猿の性欲を刺激した。
猿の手の届く範囲では寧々はいわば貴種の娘といっていい。
司馬遼太郎全集『新史太閤記』86ページ
秀吉が寧々に惚れた理由のひとつは、寧々が家柄が上の娘<御料人>であったことだった。
こう書かれてしまうと、恋愛物語として身も蓋もないが、これが司馬遼太郎の世界なのである。
『秀吉の上臈好み 家康の下臈好み』
って有名ですよね
成り上がりたい欲望の強い秀吉と
弱小とは言え 武家の出の家康の違いを
上手く表しています
コメントありがとうございます。
そう言えば、家康は下臈好みでしたね。
『英雄、色を好む』と言われますが、色の面から歴史上の人物を分析してみるのも面白いかもしれませんね。