古美門(堺雅人)VS羽生(岡田将生)!
古美門は<法廷で徹底的に問題をえぐり出し、ぶつかり合い、結論を出す>という手法。
羽生は<お互いが共感し、理解し合い、円満に収める>という手法。
古美門の方は西欧的で、羽生は日本的と言えるかな?
テーマとしては、この作品は一貫している。
すなわち、『何が正しくて何が正しくないかなんてわからない』。
今回の真知子(新垣結衣)のせりふを借りれば、『何が幸せかなんて誰にも決められない』という主張。
羽生は、熊井健悟(塚地武雅)とほのか(美波)がヨリを戻すことが、ふたりにとって幸せだと思っている。
かつては心から愛し合っていたのだから、整形ぐらいのことで愛は壊れるはずはないと考えている。
しかし、それは羽生の勝手な思い込みだ。
現にほのかは離婚して、整形を受け入れてくれる男と出会い、幸せになることが出来た。
このラストが示すとおり、何が幸せかなんて誰にも決めることは出来ないのだ。
確かにほのかは熊井と別れて傷つき、悲しんだだろう。
しかし、長い人生で見れば、それは一時的なもので、悲しみの先には喜びがあった。
もちろん、これはドラマ上のことで、ほのかはその後も誰にも出会わないという逆の方向もあったかもしれない。
つまり、未来を予見できる超能力者ならともかく、こうすれば幸せになれるという確実な選択などなく、人はさまざまな所に頭をぶつけて痛い思いをし、時に幸せを味わい、何とか生きていくしかないのだ。
やはりこの作品は大人ですね。
予定調和の安易な解決など描かない。
現在のドラマがつまらないのは、予定調和のめでたしめでたしが多すぎること。
普通の作家なら、熊井が心を入れ替えてほのかに花を差し出すハッピーエンドで終わりだろう。
というわけで今回は『何が幸せかなんて誰にも決められない』というお話。
現在が不幸であっても、長い目で見れば幸福への通過点だと考えられれば、少しは楽に生きられるかもしれませんね。
古美門は<法廷で徹底的に問題をえぐり出し、ぶつかり合い、結論を出す>という手法。
羽生は<お互いが共感し、理解し合い、円満に収める>という手法。
古美門の方は西欧的で、羽生は日本的と言えるかな?
テーマとしては、この作品は一貫している。
すなわち、『何が正しくて何が正しくないかなんてわからない』。
今回の真知子(新垣結衣)のせりふを借りれば、『何が幸せかなんて誰にも決められない』という主張。
羽生は、熊井健悟(塚地武雅)とほのか(美波)がヨリを戻すことが、ふたりにとって幸せだと思っている。
かつては心から愛し合っていたのだから、整形ぐらいのことで愛は壊れるはずはないと考えている。
しかし、それは羽生の勝手な思い込みだ。
現にほのかは離婚して、整形を受け入れてくれる男と出会い、幸せになることが出来た。
このラストが示すとおり、何が幸せかなんて誰にも決めることは出来ないのだ。
確かにほのかは熊井と別れて傷つき、悲しんだだろう。
しかし、長い人生で見れば、それは一時的なもので、悲しみの先には喜びがあった。
もちろん、これはドラマ上のことで、ほのかはその後も誰にも出会わないという逆の方向もあったかもしれない。
つまり、未来を予見できる超能力者ならともかく、こうすれば幸せになれるという確実な選択などなく、人はさまざまな所に頭をぶつけて痛い思いをし、時に幸せを味わい、何とか生きていくしかないのだ。
やはりこの作品は大人ですね。
予定調和の安易な解決など描かない。
現在のドラマがつまらないのは、予定調和のめでたしめでたしが多すぎること。
普通の作家なら、熊井が心を入れ替えてほのかに花を差し出すハッピーエンドで終わりだろう。
というわけで今回は『何が幸せかなんて誰にも決められない』というお話。
現在が不幸であっても、長い目で見れば幸福への通過点だと考えられれば、少しは楽に生きられるかもしれませんね。
古今東西の名シーンというのは予定調和という直球がど真ん中に決まったようなシーンですからね。
ところがですね、このよくできた予定調和をわざわざぶっ壊すのがリーガル・ハイですよね。
その前では理想がガラガラと崩れていく。でも、何故か奇妙な爽快感がなるのは何故なんでしょう。
いつもありがとうございます。
>何故か奇妙な爽快感がなるのは何故なんでしょう。
面白い問題設定ですね。
現代は価値観が多様化しているからですかね。
予定調和が感動的だったのは、世の中が安定していたから。
「明日に向かって撃て」とか「俺達に明日はない」とかのアメリカンニューシネマの作品はラスト主人公が撃たれて死にますが、その理由は時代背景にベトナム戦争があって、旧来のアメリカの価値観が崩れたから。
今回の<離婚>というテーマでも、今は「そんなに結婚にこだわらなくてもいいじゃない」という時代。
今後も考えていきたいテーマです。