今から42年前の今日、僕は結婚式会場である大手航空会社の名前が付く札幌駅近くのホテルに向かっていました。
しかも、一世一代のイベントにも関わらず、寝坊をし、初雪圧雪の道を・・・焦り汗だくになりながら走る走る
今とは違って披露宴は盛大で、同僚、親戚は勿論、親の知り合い、何なら近所のオバちゃんまで、その数は300名を超えていました。
そのお陰で、僕の友人の出席人数は限られ、人前に出しても大丈夫な 心優しい不良仲間 紳士的な友達がお祝いの席を盛り上げてくれましたが、新郎側の祝辞は最低最悪、僕は我慢出来ましたが、父と母の心境を思うと今でも心が痛い。
そんな重たい空気を一転させたのが新婦側、いわゆるヤッコさん側の祝辞でした。それはそれは温かく、心が込められた言葉の数々、僕に向けられた挑発とも取れる 悪口 祝辞とは大違い。
まぁ冷静に考えると、当時の僕は、「立派な大人マニュアル」から少し外れていたかも知れないけれど、今日くらいは良い所を探して褒めろと奥歯を噛みしめました。
そんな好きでも無く感謝もしていない人に祝辞をお願いしたのも僕本人なのだから笑えるなぁ 42年も前の実話です。
そんな訳で、どんな訳だよ 当初の予定は気になっていたお店を予約し、その後は懐かしのライブハウスで「こどもバンド」のレコードでもかけてもらってお祝いをして、ラストは友人が営むススキノの寿司屋で〆るはず。でした。
しかし、時間が読めず、僕たちが42年祝いで乾杯しているのは近所のカフェ&ダイニングバー「ガルバンゾウ」
ひとくちに42年と言っても色々とありました。転職、寝不足、突然の母の訃報、そして起業、上場、自分の名前が冠についたラジオ番組のスタート。
褒められなかったあのスピーチから42年。立派な大人マニュアルは今も無いけれど、二人で生きて来た時間と歴史だけは明日からも続く。感謝
あの日から、42年が経ったなんて信じられません。近々、かとちゃん 行きましょう。