北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

思い出の書店跡

2018-10-21 16:22:35 | 札幌



札幌駅の地下に関する思い出をもう一つ。
札幌駅地下にある「APIA(アピア)」というショッピングゾーン。
西側と東側があるのだけど、そのうちの西側「APIA WEST」についてご紹介。

まず、ちょっと書いておきたいこととして、ここを利用する人たちにおいては、ここを「地下街」と表現をすることもあるだろうけど、実はここに関しては、それはちょっと違うような気がします。
以前も書いたことがあったけれど、国が定めた基準によると、「地下街」というのは、「公共の地下歩道に面して店舗が設けられた地下施設」と定義けられますが、ここでいう「公共の地下歩道」というのは、「公共の道路の地下に整備された歩道」のことを指します。
つまり、札幌でいうと、大通とすすきのを結ぶ「ポールタウン」や、西4丁目とテレビ塔を結ぶ「オーロラタウン」は、地上部分が道路なのでこの定義に当てはまるけれど、この「APIA」は、一部道路の下もあるけれど、大部分は、JRという一民間企業が管理する敷地や、隣接するビルの地下にあるため、国の基準上は「地下街」とは呼べないということになりそうですね。
札幌市民若しくは札幌を知っている方以外にはなんのこっちゃでしょうけど、「地下街」と呼んでしまいそうで実はそうではないという場所は、全国に沢山あるのではないかと思うので、参考にしていただければと思います。

って、本題はそういうことではなくて・・・。











三年前、「ブラタモリ」で東京駅の地下が紹介されたことがあったけれど、この回で案内人を務められた方が、書籍版の第2巻で、こんな解説をされていました。

「東京駅の地下にある『一番街』は、東京駅の地下にあることから、基準上は『地下街』とは名乗れないため、『一番街』と呼んでいる。」

なるほどと思う解説だけど、実はこのAPIAのある場所も、かつて同じような呼ばれ方がされていた時期がありました。

現在の「APIA」が整備されたのは、平成11年(1999年)で、それ以前、この西側ゾーンの方は「札幌駅名店街」と呼ばれていました。
現在ある通路はその頃から変わらず、その通路に面して様々な業種の店舗が軒を連ねていたのだけど、当時としても大きなショッピングゾーンだったこともあって、私よりも上の世代の方々にとっては、もしかすると、未だに「札幌駅名店街」の方がピンとくるのではないかとさえ思ってしまいます。
私も、小学校5年生のとき(昭和59年=1984年)に札幌に来て、それから札幌駅周辺に買い物に来るときには必ずと言ってよいほど利用していたので、それは何となくわかる気がします。





で、これはあくまでも「記憶を辿ってみれば」の話なので、間違いである可能性も十分にあるのだけど、「札幌駅名店街」だった頃、この「てんや」の辺りに「弘栄堂」という書店があり、そこは私にとって、「札幌駅名店街」だった頃の一番の思い出である場所。
当時プロ野球が大好きだった私は、少ない小遣いやお年玉をはたいて、大人向きと思われるようなプロ野球関連書籍を何冊も購入していたのだけど、一番多く買ったのは、恐らく、札幌駅地下にあった「弘栄堂」だったと思っている。
プロ野球関係だけでなく、子供ながらに色々な本を買ったり、手に取って読んだりした思い出が沢山あるので、今でもこの辺りを通ると、ついついそんなことを思い出し、時には浸ってしまうこともあります。
別にこの場所に限った話ではないけれど、それは今後もずっと続くのだろうなあと思います。

(現在の「APIA」の詳細はこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連絡通路の跡地

2018-10-20 17:03:29 | 札幌



JR札幌駅南口。
昔から、道都である札幌市の鉄道の玄関口と言えば、札幌駅の南口でした。

現在のこの駅舎は五代目。
四代目までは地上駅(線路とホームが地上にある)でしたが、駅周辺の開発に伴う鉄道と道路の立体交差事業により、昭和63年(1988年)に一部の線路が高架化され、平成2年(1990年)に、線路が全面高架化されました。
その後も、かつての線路、ホームだった場所は、劇場用地やイベントスペースとして活用されていましたが、平成8年(1996年)秋から四代目駅舎の解体がはじまり、平成15年(2003年)に、商業施設も含めた再開発が完了し、現在の姿となりました。








こちらは、線路を挟んだ札幌駅北口。
今でこそこのような大きな駅舎になっていますが、高架化事業前までは、札幌市内の郊外にあるような駅と同じような小さな駅舎でした。








今でこそ、札幌駅南口と北口は、地上地下共に連絡通路が整備され、行き来が容易にできますが、鉄道高架化では、ごく限られた通路を通ってしか行き来ができませんでした。
その南口と北口とを結ぶ通路があったのが、現在のこのスピード写真機のある辺り。
地下鉄南北線さっぽろ駅の改札を出てすぐの場所ですが、子供の頃から鉄道が好きで、駅舎にも興味を強く持っていた私は、その通路を通って南口と北口とを往復するのが好きでした。
確か、つい何年か前まで、ここに連絡通路があったことを示す痕跡があったのだけど、今はそれもなく寂しい限り。
でも、それもまた、思い出として大切にしていきたい、今はそう思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌が舞台の町歩き番組

2018-10-19 20:54:40 | その他テレビ全般
UHBというフジテレビ系ローカル局で、毎週金曜日19時というゴールデンタイムに放送されている「発見!タカトシランド」という番組が面白い。
基本は町歩き番組なんだけど、「ブラタモリ」とはまた違い、タカ&トシの二人が、ゲスト二人と共に二手に分かれて札幌市内の住宅街や商店街などを歩きながら、町の様々なスポットを訪ね歩くという内容。
先週は東区の栄町地区で、タカさんとゲストの寺島進さんが私の卒業した、中学の前を歩き、中に入りこそしなかったけれど、正門前に掲示されている部活動の実績がカメラに映され、見ていて「おお!」と思った。
今週は手稲区の前田地区で、私は基本、お店とかはそんなに興味がないのだけど、「前田」という地名の由来となった場所が紹介されたので、早ければ次回の帰省のときにぜひ行ってみたい。
そして来週は西区の西野地区という、私の自宅からも近いエリアなので、もしかすると、また知っている場所が一つ二つ出てくるかもしれないと思うとこちらも楽しみ。
毎週見るようになったのはつい最近なのだけど、私は地元が札幌とはいえ、まだまだ知らない地域も多いので、これからも楽しみに見ていきたいです。

さて、町歩きといえば、来週末は、「秋の遠足」を兼ねて東京へ。
今回は飛行機の便の関係でそんなに時間も取れない(特に、帰還する29日(月)は、多分町歩きは無理かと)けれど、その分効率的にやれればと思い、大体の計画は練ったので、あとは天候に恵まれることを祈りたい。
今のところ、昨年のように台風に見舞われることはなさそうだけど、週間予報を見ると、微妙といえば微妙な天候になりそうなのが気になる。
まあ現段階ではまだ長期予報なので、近くなったら予報が好転してくれると信じてますけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難得神社

2018-10-18 21:33:22 | 札幌



昨日の記事で書いた、「水車川」という、現在は埋め立てられている川が、豊平川から分岐していた地点の近くにある神社。
名前に魅かれたので、川の跡地とは別に単独でご紹介。

この神社は「難得神社」という、ちょっと変わった響きとも思える名前。
どういう由来があるのか、ちょっと調べてみました。

この神社の創建は明治30年(1897年)頃とされ、神社に寄付されているお賽銭箱には、明治43年(1910年)の年号が入っています。

創建の由来は、伊予大洲(現在の愛媛県大洲市)の出身で、現在の樺戸郡浦臼町に屯田兵として入植した「中西若太郎」と、妻の「ミユキ」という二人の人物に遡ります。
入植後、落雷事故で負傷したミユキの治療のため、二人は札幌市に移りますが、ミユキの怪我は思ったよりも重傷で、医療だけでなく祈祷にも頼りたいとの思いから、「経王寺」というお寺で参詣修行に励んだところ、ミユキの怪我は回復し、霊感を得るようになったとされています。
その後、ミユキは霊能力者となり、現在この神社のある土地を購入して、龍神を祀るようになりました。
このミユキの修行の成果と信仰心に感服した経王寺の日光上人が、大正中期に「難得」と揮毫し、守護神として「難得大龍神」を授けたことが、現在の「難得神社」という名前の由来となったとされています。
この「難得」という名前は、そのとおり「得難い」というところから来ているという説もありますが、仏法を守る「八大竜王」の筆頭である「難陀竜王」の守護を得るという意味だという考え方も示されています。(神社に掲示されている表示板より)

現在の社殿は昭和31年(1956年)に建立されたもので、地域の人達からは「蛇神社」という通称で呼ばれています。
龍神の化身が蛇であるためにそのように呼ばれるようになったという説もあるようですが、定かではないようです。

(「難得神社」の場所はこちら





社殿の横に立つイチョウの木。
樹齢は200~300年と言われています。





少し離れたところから一枚。
社殿正面に向かう通路ですが、もしかすると、これも「水車川」の跡だったりするのでしょうか・・・。

この神社へ向かうには、地下鉄東豊線の「学園前」駅が最寄駅になっています。
下車後、神社方面へ向かうには、北海学園大学の学内を経由しなければいけませんが、そのおかげで、久しぶりに懐かしい学内をちょこっとだけ横切ることができました。





最後に、神社とは全く関係ない話。
現在は「まいばすけっと」となっているこの店舗。レンガの色と構造からピンと来るかもしれませんが、ここはかつて「セブンイレブン」でした。
私が大学生だった当時(平成4年(1992年)~7年(95年))は、大学から一番近いコンビニだったので、私も何度利用したかわかりません。
経営母体は変わってしまったけれど、建物がこうして残っていることは大変有難いことだと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川の跡地を歩く

2018-10-17 19:51:43 | 札幌



豊平区に「水車町」という地域があります。
「すいしゃちょう」と読むのだけど、近くにある大学に通っていた私は、ずっと「すいしゃまち」だと思っていました。
友人達も同様だったので、もしかすると、通称的に「すいしゃまち」と呼ぶ人が多いのかもしれません。
(この文章を書くに当たり、「すいしゃちょう」だと一発変換されなかったけれど、「すいしゃまち」では見事一発変換されました。まあそれはどうでもいいか。)

因みに同じような例だと、江差町の隣の厚沢部町に「松園町」という地域があり、「まつぞの」が正しいんだけど、皆さん「しょうえん」と呼んでいて、何と何と、バス停まで「しょうえん」とアナウンスされています。
同じような例は、全国あちらこちらにありそうですね。








そんな「水車町」の一角に、町の名前を冠した公園があります。





このエリアには、明治20年代に、現在は埋め立てられている「水車川」という川を利用した水車小屋が作られ、精米、製粉などのための動力源として活用されており、そのことが町名の由来となっています。
この表示板にもあるとおり、公園のある場所も、その跡地の一つとなっています。
(「水車町公園」の場所はこちら。)





公園の脇に、遊歩道が整備されています。
もしかしたら、何か曰くのある道なのでしょうか。
早速行ってみましょ~う。(「ブラタモリ」の草なぎ氏のナレーション風に)








ああ、やはりそういうことでしたか。
この遊歩道が、先程触れた「水車川」の跡地だったんですね。
昭和53年に整備されてたんだ・・・、この辺りにはそれなりに土地勘があったつもりでいたけれど、全く知りませんでした。





ということで、住宅街を貫く遊歩道をズンズン進んでみましょう。








ここで一旦車道とぶつかります。








ここから再び遊歩道になります。











更に進んでいくと、同じような名前の公園がもう一つありました。





この公園を過ぎた辺りで、いつの間にか遊歩道らしき姿は消え、普通の道路にぶつかります。








そして、周辺をグルグルと回った先にあるのが、この小さな神社。
「水車川」は、この神社の辺りで豊平川から分岐していたとのことです。
この神社の紹介も含め、続きはまた次回。
(この神社の場所はこちら。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする