・・つまり心がおかしくなりかけたときは他者に対する慈しみの心をおこせば魔は逃げていくということです . . . 本文を読む
一 もしも我(アートマン)が五つの構成要素(五蘊)であるならば、我は生と滅とを有するであろう。もしも我が五蘊と異なるならば、我は五蘊の相を持たぬであろう。
二 我(アートマン)が無いときに、どうして、<わがもの>(アートマンに属するもの)があるだろうか。我(アートマン)と<わがもの>(アートマンに属するもの)とが静まる故に、<わがもの>という観念を離れ、自我意識を離れることになる。
三 <わが . . . 本文を読む
大師の時代(榊亮三郎)その11
大師が、惠果の學法灌頂壇に上り、大悲胎藏大曼荼羅に臨んで、花を抛ち、偶然、眞中にある毘盧遮那如來の身上に中てられた、これは、不空三藏が、金剛智三藏に就きて、弟子となつたときも、金剛界大曼荼羅に對し此の抛花の法を行つて居りますが、これによりて、師の金剛智が、不空の人物を試驗し得て、他日大に教法を興すべき人であることを知りましたことは、宋高僧傳に見えて居ります、惠果も . . . 本文を読む