この生が、有為、即ち、生滅するものなら、
生起、存続、消滅の、三つの特質に縛られる。
この生が、無為、即ち、生滅しないものならば、
生起、存続、消滅の、三つの特質に縛られてない。
生起、存続、消滅、三つが違うものならば、
有為の特質として働くのに、充分にならない。
生起、存続、消滅、この三つが同じものならば、
どうして、同時にして同所に、存在できるだろう。
生起、存続、消滅という、三つの相の他 . . . 本文を読む
問曰。修多羅(経典)の中に具に此法あるに何ぞ重ねて説くを須いんや。
答曰。修多羅の中に、此法ありと雖も、衆生の根行等しからざると受解の縁別なるとを以ってなり。(多くのお経に説いてあっても人々の心根や受け入れる縁はさまざまであるから)
所謂如來の在世には衆生利根にして能説之人は色心の業勝れたれば、圓音(仏の完全なお声)一たび演ぶるときは異類(人間・鬼神)等しく解して、則ち論を須いざるも、如來滅後 . . . 本文を読む