四には正覚等持の義、大日経ならびに疏に依らば、ただ本不生を覚るをもっての故に三昧と名ずくと云々文の如し之を知るべし。
五には二字義に云く、自性清浄にして改転無し故に本不生と名ずくといへり。意の云はく一切諸法は本より染と云ひ塵といふ等、無明染法を離れて常にこれ浄妙法身の凝然不変の理体智体法体といはんとぞ。
六には三句の義をもて本不生といふ、本とは菩提心為因の句、菩提心の種子の因は行果の本源本初な . . . 本文を読む
1、お経には[念經、看經、誦經、書經、受經、持經あり]
と正法眼蔵第三十「 看經」にでています。
正法眼蔵第三十 「看經」です。「阿耨多羅三藐三菩提の修證、あるいは知識をもちゐ、あるいは經卷をもちゐる。知識といふは、全自己の佛 なり。經卷といふは、全自己の經卷なり。全佛 の自己、全經卷の自己なるがゆゑにかくのごとくなり。自己と稱ずといへども我 の拘牽にあらず。これ活眼睛なり、活拳頭なり。
しかあ . . . 本文を読む