「・夫れ真言密宗安心の至要を示さば、大日経王には、実の如く
自心を知なりと説給ひ、高祖大師は、真如外に非ず身を棄てゝ
何か求めんと述給へり、されば朝夕に妄念妄執にほだされ、貪
瞋邪見にまつはるゝ有漏雑染の我等が胸中に五智四身の徳、一
も闕ることなく、本来円満して備れりと達悟する是を凡聖不二
の宗要とす。
但下根劣慧の者は、偏に此旨を信じて疑はず、深
く大日如来の普門の誓願にすがり奉りて、一真言に . . . 本文を読む
七には本とは法身なり。法佛はいわく諸尊の本なるが故に、源なるがゆえに、体なるがゆえに、宗なるがゆえに。不とは応身如来なり。応とは相応等の義なり。いわく衆事意にかなうて皆法楽を作す。万徳念にしたがって悉く禅悦を成ず身法界と相応し、語真如に階當せり。三密互に瑜伽し六大相渉入せり。これを自受用といふ。地上の菩薩に応同して彼をして法界の理と相応せしむるがゆえにかくのごとく自他二応の義を不の義と相応せり。不 . . . 本文を読む