聖徳太子より今日まで千三百五十年の長きにわたってこの大乗佛教の精神と云うものが国民の肉となり血となって今日まで流れてきたのであります。その長い間この日域は大乗相応の地なりと謂う無言の声がわれわれの先祖の魂を貫いて鳴り響いて来ました。伝教・弘法両大師の鎮護国家の提唱も(注・・・弘法大師は「御遺告」に「四朝を経て国家の為に奉じて壇を建て法を修すること五十一個度」とあります。また山家学生式で伝教大師は「 . . . 本文を読む
山岡鉄舟は「書法について」で「・・余かって慶応の昔、音羽の護国寺に参する時、遇々堂殿の一隅に書幅の懸掲せらるるを拝す。字体、脱俗。筆勢邪なし。恰も雲煙龍飛するが如し。転々敬服の感に耐えざらしむ。咫尺して拝視すれば嗚呼是正しく聖佛弘法大師の御手蹟なり。余は其の筆意の妙趣、只之を状すべからずと雖も、日夜欽望の念止む事能わず。爾来僧俗諸先輩に請ふて大師の御手蹟を集むる事幾数種。暇毎に拝写すること数年、漸 . . . 本文を読む