山岡鉄舟は「書法について」で「・・余かって慶応の昔、音羽の護国寺に参する時、遇々堂殿の一隅に書幅の懸掲せらるるを拝す。字体、脱俗。筆勢邪なし。恰も雲煙龍飛するが如し。転々敬服の感に耐えざらしむ。咫尺して拝視すれば嗚呼是正しく聖佛弘法大師の御手蹟なり。余は其の筆意の妙趣、只之を状すべからずと雖も、日夜欽望の念止む事能わず。爾来僧俗諸先輩に請ふて大師の御手蹟を集むる事幾数種。暇毎に拝写すること数年、漸くにして虎を猫に形作るの境に達り(犬を描かずして幸いなり)。時に明治五、六年の境なり。爾後公務の暇を得る毎に剣禅書は殆ど一日も怠りたることなし。・・・明治十三年三月三十日、余、剣禅の二道に感ずる處ありしより諸法皆其揆一なるを以てし、書も亦其筆意を変ずるに至れり。しかれども是事端的の呼吸に至りては余自ら省悟するのみにて、言これを状すべきものなし。世人も亦恐らくは此理を判別する人稀なるべし・・(自分の書は)この如きは総て其の人の心の鏡に任せ写せば可なり・・」と書いています。
果たして当時の護国寺に大師のご真筆があったのか調べてみました。結論は半分は分かって半分は分からないということです。
「護国寺史(昭和63年刊行)」を調べると、護国寺が明治10年に作成した「什物書上帖」に次のように護国寺所蔵の大師のご真筆が載っていました。
「弘法大師筆 霊鷲山之三字 一幅」「一千躯不動 弘法大師筆 一軸」「般若心経 弘法大師 一軸」「弘法大師真筆 理趣経切 一紙」
このうちのいずれかを山岡鉄舟は拝したと思われますが、このうちの何れも大師の書を紹介した書籍にも見たことはなく今後調べるつもりです。
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