福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大智度論・・8

2019-11-12 | 諸経
(大智度論釋初品中戒相義第二十二之一)
(戒の内容・殺生罪)・・4
復次に殺を好むる人は、有命の屬は皆な見るを喜ばず。若し殺を好まざれば一切衆生は皆樂んで依附す。
復次に持戒之人は命終んとする時、其の心安樂にして無疑無悔なり。若しは天上に生じ若しは人中にありても常に長壽を得る。是を得道の因縁となす。乃至得佛して住して壽無量ならん。復次に殺生之人は今世後世に種種の身心苦痛を受く。不殺の人は此の衆難なし。是を大利となす。復次に行者思惟すらく、「我は自ら命を惜しみ身を愛す。彼も亦た如是なり。我と何ぞ
異らん」と。之を以っての故に應に殺生せず。復次に若し殺生せば善人の訶すところとなり怨家の嫉むところとなり、他命を負ふがゆえに常に怖畏あり。彼がために憎まれ、死ぬ時は心に悔ひて當に地獄若しくは畜生中に堕す。若し出でて人となりても常に當に短命なり。復次に假令後世に無罪にして善人のために訶せられ怨家に嫉まるるとも尚ほ應に故に他命を奪ふべからず。何以故。善相之人の應に行ずべからざるところ、何況んや両世に罪と弊悪なる果報有るをや。
復次に殺を罪中の重となす。何以故に、人は死の急なるあれば重寶を惜しまず、但だ活命を以て先となす。譬ば賈客の海に入りて採寶するが如し。大海に出づるに垂(なんな)んとして、其の船卒に壊れ、珍宝を失い尽くすも、而も自ら喜慶して、手を挙げて言わく、『幾いくばくの大宝をか、失す』、と。衆人怪しみて言わく、『汝は、財物を失い裸形にて脱するを得たり。何んが、喜びて、いくばくかの大宝を失す、と言えり』と。答えて言わく『一切の宝中に人命は第一なり。人は、命の為めの故に財を求め、財の為めの故に命を求めず』と。
是の故に、仏の説きたまえる十不善道中に、殺罪は最も初に在り、五戒中にも亦た最も初に在り。
若し人、種種の諸福徳を修すとも不殺生戒なくば則ち
無所益なり。何以故。富貴處にありて生じ勢力豪強なりといえども壽命なくんば誰か此の樂を受けんや。是を以ての故に知れ。諸餘罪中に殺罪は最重なり。諸功徳中に不殺は第一なり。世間中に惜命を第一となす。何以ってのゆえに之を知るや。一切世人は甘んじて受刑罰・刑殘・考掠をうけても壽命を護るをもってなり。復次に若し人ありて受戒するに心の生ずらく、『今日より、一切の衆生を殺さず』と。是れ無量衆生中に於て、愛し重んずる所の物を以って施与すれば、得る所の功徳も亦復た無量なり。
仏の説きたもうが如んば、五大施有り。何等か五なる。一には不殺生、是れを最大施と為す。不盗、不邪婬、不妄語、不飲酒も亦復た是の如し。


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