一 無知(無明)に覆われたものは再生に導く三種の行為(業)を自ら為し、その業によって迷いの領域(趣)に行く。
二 潜在的形成能力(行)を縁とする識別作用(識)は趣に入る、そして識が趣に入ったとき、心身(名色)が発生する。
三 名色が発生したとき、心作用の成立する六つの場(六入)が生ずる。六入が生じてのち感官と対象への接触(触)が生ずる。
四 眼といろ・かたちあるもの(色)と対象への注意(作意)とに縁って、すなわち名色を縁としてこのような識が生ずる。
五 色と識と眼(げん)との三者の和合なるものが、すなわち触である。またその触から感受作用(受)が生じる。
六 受に縁って盲目的衝動(愛)がある。何となれば受の対象を愛欲するが故に。愛欲するときに四種の執著(取)を取る。
七 取があるとき取の主体に対して生存が生ずる。何となれば、もしも無取であるならば、ひとは解脱し、生存は存在しないからである。
八‐九 その生存はすなわち五つの構成要素(五蘊)である。
生存から<生>が生ずる。老死、苦等、憂、悲、悩、失望―――これらは<生>から生ずる。このようにして、このたん【に妄想のみ】なる苦しみのあつまり(苦陰)が生ずるのである。
一〇 それ故に無知なる者は、生死流転の根本であるもろもろの形成作用(諸行)を形成するのである。それ故に無知なる者は【業を】つくる主体である。知者は真理を見るが故に【業をつくる主体では】ない。
一一 無明が滅したとき、もろもろの形成されたもの(諸行)は成立しない。しかるに無明の滅することは、知によってかの【一二因縁の】修習(連続的念想)からくる。
※ 『中論』は縁起の逆観を成立せしめていることがわかる。
一二 【一二因縁のもろもろの項目のうちで】、それぞれの前のものの滅することによって、それぞれの【後の】ものが生じない。このようにして、このたんなる苦蘊(苦しみの個人存在)は完全に滅する。
二 潜在的形成能力(行)を縁とする識別作用(識)は趣に入る、そして識が趣に入ったとき、心身(名色)が発生する。
三 名色が発生したとき、心作用の成立する六つの場(六入)が生ずる。六入が生じてのち感官と対象への接触(触)が生ずる。
四 眼といろ・かたちあるもの(色)と対象への注意(作意)とに縁って、すなわち名色を縁としてこのような識が生ずる。
五 色と識と眼(げん)との三者の和合なるものが、すなわち触である。またその触から感受作用(受)が生じる。
六 受に縁って盲目的衝動(愛)がある。何となれば受の対象を愛欲するが故に。愛欲するときに四種の執著(取)を取る。
七 取があるとき取の主体に対して生存が生ずる。何となれば、もしも無取であるならば、ひとは解脱し、生存は存在しないからである。
八‐九 その生存はすなわち五つの構成要素(五蘊)である。
生存から<生>が生ずる。老死、苦等、憂、悲、悩、失望―――これらは<生>から生ずる。このようにして、このたん【に妄想のみ】なる苦しみのあつまり(苦陰)が生ずるのである。
一〇 それ故に無知なる者は、生死流転の根本であるもろもろの形成作用(諸行)を形成するのである。それ故に無知なる者は【業を】つくる主体である。知者は真理を見るが故に【業をつくる主体では】ない。
一一 無明が滅したとき、もろもろの形成されたもの(諸行)は成立しない。しかるに無明の滅することは、知によってかの【一二因縁の】修習(連続的念想)からくる。
※ 『中論』は縁起の逆観を成立せしめていることがわかる。
一二 【一二因縁のもろもろの項目のうちで】、それぞれの前のものの滅することによって、それぞれの【後の】ものが生じない。このようにして、このたんなる苦蘊(苦しみの個人存在)は完全に滅する。