福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

先祖霊が子孫を助けた実例七話。

2021-06-08 | 先祖供養
先祖霊が子孫を助けた実例七話。
1、「四国遍路記」に次のような投稿がありました。遍路で亡夫の供養をしてすぐに就職先が見つかったというのです。「昭和44年主人が亡くなり母子二人の苦しい生活が始まりました。
生計を立てるため、職探しを始めました。そのころ四国、西国、坂東、秩父を巡拝された大先達戸田覚明師にご縁を頂きました。師は「お金もかかるが、先祖供養、ご主人の回向、親子の将来のため、是非本四国を御参りなさい」と勧められました。
先々の不安に責めさいなまれる中、これからはお大師様におすがりするほかないと、私は四国八十八所巡りに出かけることにしました。子供は姪のうちに預け、主人の亡くなった翌年、昭和45年3月、過去帳を背に十日間の四国遍路に出かけました。無我夢中で御参りして帰ってくるとすぐ県庁の出先機関の寮母としての採用が決まりました。私は子供と友人の子の3人で入所しました。現場はダム工事の寮でしたが皆さん所長、課長と肩書きの付く立派な方ばかりで私は感謝しながら働かせていただきました。忙しく仏壇のまえに座り拝む時間がありません。戸田先生に相談すると「箒を持つ時も、道を歩く時も、南無阿弥陀仏、南無大師遍照金剛とおとなえすることはできるのです。仏壇の前に座るばかりが信心ではありません。」と諭してくださいました。私ははじめて信心とは心だ、と気付かせていただいたのです。女手一人で生活することは大変でした。あるとき友人が姓名判断にいこうというので付いていくと易者は「あなたにはパトロンがいる」といいはるのです。あまりにしつこいので「わたしのパトロンはお大師様です」というとあいてはキョトンとしていたこともあります。主人が死んで18年になりますが四国遍路以来いつもお大師様が傍にいてくださると信じてきました。困ったことがおきてもお大師様にそうだんすると不思議と有り難くすくわれてきました。土地の購入、家の新築すべて大変でしたがおかげさまで大変順調にすすみました。子供も大学に進学でき、家も作ることができ、すべてお大師様から頂戴したものと感謝でいっぱいです。四国にも毎年行けるようになりました。しかし昭和57年腎臓病になりこの年の遍路が最後になりました。しかしおもえば人生60年まで元気に暮らさせていただいたのいだからすべてが感謝です。女手一つで子供を大学を出し結婚させることができたのですから・・・。あのころ戸田先生とめぐりあわずお大師様のご加護がなかったら・・・、もしこの腎臓病をもっと早くわずらっていたら・・・。子供を路頭に迷わせ、住む家もなかったはずだと思うとき、お大師様への感謝で涙する毎日です。透析で遠くには往けませんが月一度は高野山におまいりさせていただきお大師様の胸にいだかれ導かれて生きていきたいと思っております。」
 
2、東日本大震災の時、車で避難していた男性が渋滞で動けなくなったが、亡くなっていた祖母が耳元で囁いて裏道を教えてくれ助かった。(高野山東京別院での話)
 
3、インターネットに出ていた話。「うちの父は、戦争中に所属していた部隊が壊滅して、生き残ったのは父と、もう一人の軍曹だけだった。
しかも、その時父は負傷していて、足手纏いになるから置いていってくれと頼んだそうなのですが、その軍曹は頑として聞かず、父を見捨てずに本隊まで連れて帰ってくれたそうなのです。(父の方が階級は下です)その軍曹は普段から特に親しかったわけでもないのにと、父は大変感謝していました。戦争が終わって、暫くしてから記録を頼りに父はその恩人を訪ねてみたそうです。それからは二人の交友が深くなり、よく会うようになったといいます。かつて命を助けてもらった話を父がすると、もと軍曹は当時を振り返り、初めは助けるつもりなど毛頭なく見捨てようとしていたのだが、なぜか見捨てることができなかったと語ったそうです。そしてたまたま家系の話になった時、驚くべきことがわかったのです!我が家の先祖は、戦国時代にあえなく没落してしまった小大名ですが、その軍曹は我が家の先祖に仕えていた家臣の子孫だったのです。軍曹の先祖は、没落した我が家の先祖に毎年米を送って援助してくれていたそうです。いつからか縁は切れてしまって交流は絶えていたのだとのことでした。何百年も経ってから、家臣の子孫が主家の子孫を助けるという、「偶然」のひと言では済ませられない話に、私は全身に鳥肌が立ちました…。」(埼玉県川越市 Tさん 34歳 自営業)
 
4、自分自身の体験談です。2年ほど前、義理の叔母が91歳で死去しました。遠隔地でしたが動けない継母にかわって私が葬儀にでました。葬儀と言ってもわずか数人の家族葬でした。しかし長年会ってなかった義理の叔父が施設から車椅子で参加してきたので十数年ぶりに会えました。懐かしくて涙が出ました。
いままで無数の葬儀に参列してきましたが、いずれの葬儀でも死者は残されたものに対して、あの世や霊界の実在を感じさせたり、場合によっては今まで会えなかった人に会えるとかのいい功徳を施してくれています。近親者の場合は、とくに測り知れない功徳を死者から受け取ることが多いのです。
私の場合も若いときに近親者を亡くしていますが、おかげでお大師様の信仰の道に導かれました。そしてお大師様に助けていただき無事俗世の仕事を全うしたうえに僧侶の道にも入ることができました。すべてこの近親者の導きによるものです。霊界からの死者の導きには絶大なものがあると自分の人生を振り返っても改めてしみじみと思わせられるこの頃です。
 
 
5、最近の私自身の縁者の話ですがこの人は5年前に夫が脳梗塞で倒れました、相当重篤で集中治療室に担ぎ込まれ危篤状態でしたが私の勧めで奥の院に先祖供養の依頼をしたところ夫の脳梗塞が快癒し、歩けるようになり、叙勲で皇居まで出かけていきました。
 
6、これも自身の経験ですが、60年くらい前になりますか、学生の時下宿で寒くてコンロをつけたまま寝ていた時、布団がコンロの上に乗ってくすぶっていたようです。夜中に亡母がでてきて『こうちゃん、こうちゃん』とわたしの名を呼んで揺り動かすのです、眼が覚めてみると目の前は煙で真っ青になっていました。咄嗟に布団が燃えているのがわかり水道の水を何度もかけてやっと消したことがあります。亡母が私を揺り動かして焼け死ぬのを防いでくれたのです。
 
7、また10年ほど前、四国21番太龍寺で求聞持行をさせていただいたことがあります。この行は半数が成満できなくなるといわれる難行です、私の前に行に入った行者さんも何かにとりつかれたのか入行三日目で胃に穴が開いて病院に担ぎ込まれていました。わたしも緊張して行に入ったのですが山の上の行は孤独感が身に逼るものがありました。そんなとき三日目に亡父が夢に出てきて私をくすぐって笑わせました。余りおかしいので大声で笑いその声で目が覚めたことがあります。それ以来行は順調にすすみ無魔成満できました。これなども亡父が私の行を心配して助けに来てくれたのだと今でも感謝しています。
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