人生論の続編です。
「ひょっとしたら世界は一場の御伽噺にすぎず、神はそんなものに関心をもってはおられぬのかもしれない・・・。主よもしわれら欺かるることありともそはなんじによりてなりという聖アウグスチヌスの言葉はいまなお我々の現代的感情にぴったりとあてはまる名言である。
・・徳行という投資をしても利潤がわれわれの懐にはいらぬことはわれわれも覚悟のうえであきらめているがしかし投資した徳行をあまりあてにしすぎてお笑い草とはなりたくないのである。」
(ルナン「Feuilles detaches」)
◇ ◇ ◇
「世おのずから数というもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。
洪水天に滔るも禹の功これを治め、大旱地を焦がせども、湯の徳これをすくへば、あるが如くにして、しかも数無きが如し。
秦の始皇帝、天下を一にして尊号を称す、・・・しかれども水神ありて華陰の夜に現れ、璧を使者に托して、今年祖竜死せんといえば、果たして始皇やがて沙丘に崩ぜり。唐の玄宗、開元は三十年の太平を享け、天保は十四年の華奢をほしいままにせり。
然れども開元の盛時に当たりて、一行阿闍梨、陛下万里に行幸して聖祚かぎりなからん、と奏したりしかば、心得がたきことを申すよとおぼされしが、安禄山の乱おこりて・・・万里橋にさしかかりて?然(くぜん)としてさとりたまへりとなり。
・・・吉凶禍福は皆定数ありて、飲 笑哭も悉く天意に因るかと疑はる。されど紛々たる雑書、何ぞ信ずるに足らん。假令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従ひて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ。
・・・古より今に至るまで、成敗の跡、禍福の運、人をして思を潜めしめ歎を発せしむるに足るもの固より多し」
(幸田露伴「運命」)
(14世紀おわり明の2代目皇帝として朱元璋の孫建文帝が即位しましたが中央集権を急ぎ王族の反発を受けました。1399靖難の変で建文帝は倒され叔父の永楽帝が即位します。このとき建文帝は焼死したことになっていますが一説によると建文帝は僧になり生き延び永楽帝の死去ののち再度宮廷に迎えられたということです。このときの模様をかいています。)
◇ ◇ ◇
「どうしてすべてがこう自分には白い歯をみせるのか、運命というものが自分に対し、そういうものだとならば、そのように自分も考えよう。
勿論子を失うものは自分ばかりではない、その子が丹毒で永く苦しんで死ぬというのも自分の子にだけあたえられた不幸ではない、それは分かっているが、ただ、じぶんはいままでの暗い道をたどってきた自分から新しいもっと明るい生活に転生しようと願い、その曙光をみたとおもった出鼻に、初子の誕生という喜びであるべきことを逆にとって、また自分をくるしめてくる、其所にかれは何か見えざる悪意を感じないではいられなかった。・・・」
(志賀直哉「暗夜行路」で主人公時任謙作は母と祖父の間の子であることがわかり苦悩するがさらに子供まで幼くして死ぬこの運命にかれがつぶやく言葉)
◇ ◇ ◇
「蓮華色比丘尼はその昔若いとき、嫁して一女をもうけたが夫が母と通じたため其の地を出て長者の婦となる。
のち長者は一少女をつれてきて妾とするがそれはかって産んだ娘であった。このため自暴自棄に陥り淫女となる。たまたま目連の教化をうけ出家し阿羅漢果を得、神通第一といわれる」
(優鉢羅華比丘尼本生経)
運命の不思議以上に腑に落ちないのは悪人世にはばかるように見えることです。これは納得できません。
楠正成は忠臣でも戦死、キリストも十字架にかかり、ソクラテスも毒杯を飲みました。
なぜ足利尊氏が戦死してユダが十字架にかからないのか?
因果の法則はないのではとおもうこともたびたびです。
しかし正成、キリスト、ソクラテスはその死により何千年もの間ひとびとに忠義と正義の観念をあたえ幾万の霊を救ってきているのです。ただそれにしても腑に落ちません。
中国の華厳五祖とされる圭峯宗密は「原人論」に
「身を修めることなく悪行にふけるもの(夏の桀王や殷の紂王)が貴人の扱いを受け、倫理道徳の道を守るもの(孔子、孟子)は身分がいやしいとされ、徳行なくも財力に富み(斉の景公)徳があっても貧乏くらし(原憲)逆臣であっても吉祥があり(魏の曹操)大義に殉じても凶運となる(諸葛孔明)仁愛の実践者でも若死にし(顔回)横暴をきわめても長命のものがいる(盗跖)天の道に従順なものが亡び、道理に背反するものが栄えるといった不条理はどうしておこるのか」と書きました。(無行而貴如桀紂為君守行而賤如仲尼無位無而富如景公有馬千駟何曾日食萬錢有而貧如原憲黔婁之類逆吉義凶者如姦邪得志忠良遇害之類仁夭暴壽如顏冉短折盜跖永年云有道無道者如世善人動輒坎軻強梁貪暴觸事利宜自古迄今此事屢有世俗每謂天不平或云天不開眼故攸無子人謂天不道斯之謂也)。参考までにここで出てくる原憲については論語に
「憲(けん)、恥(はじ)を問(と)う。子日わく、邦(くに)、道(みち)有(あ)れば穀(こく)す。邦、道無(な)くして穀するは、恥なり。」というのがあります。
(門人の原憲が、役人としてどんなことが恥ずべきことかを問うた。
孔子は、「行政が正しく行われ人民の生活が安定しているならば、もらうべきもの(俸給)はもらって構わんが、行政が乱れ人民が苦しんでいるというのに、もらうべきものだけはちゃっかりもらっておくというのは、人としていやしいことであり恥ずべきことだろう」と答えた。)
これに対し倶舎論巻15「分別業品第四之三」には「善悪の行為と同じ現世の間に果をうける業、次の生で報いをうける業、次の次の生でうけるもの、時期を決定しないがいつか報いをうける業」の4種の業があるといいます。 「順現報・順次報・順後報」といい「三報」ともいいます。また、このような時期が定まらない不定業も合わせて4種類とします。業論はほかの経典にも多く説かれていてここで要約できるまでに至っていません。
「ひょっとしたら世界は一場の御伽噺にすぎず、神はそんなものに関心をもってはおられぬのかもしれない・・・。主よもしわれら欺かるることありともそはなんじによりてなりという聖アウグスチヌスの言葉はいまなお我々の現代的感情にぴったりとあてはまる名言である。
・・徳行という投資をしても利潤がわれわれの懐にはいらぬことはわれわれも覚悟のうえであきらめているがしかし投資した徳行をあまりあてにしすぎてお笑い草とはなりたくないのである。」
(ルナン「Feuilles detaches」)
◇ ◇ ◇
「世おのずから数というもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。
洪水天に滔るも禹の功これを治め、大旱地を焦がせども、湯の徳これをすくへば、あるが如くにして、しかも数無きが如し。
秦の始皇帝、天下を一にして尊号を称す、・・・しかれども水神ありて華陰の夜に現れ、璧を使者に托して、今年祖竜死せんといえば、果たして始皇やがて沙丘に崩ぜり。唐の玄宗、開元は三十年の太平を享け、天保は十四年の華奢をほしいままにせり。
然れども開元の盛時に当たりて、一行阿闍梨、陛下万里に行幸して聖祚かぎりなからん、と奏したりしかば、心得がたきことを申すよとおぼされしが、安禄山の乱おこりて・・・万里橋にさしかかりて?然(くぜん)としてさとりたまへりとなり。
・・・吉凶禍福は皆定数ありて、飲 笑哭も悉く天意に因るかと疑はる。されど紛々たる雑書、何ぞ信ずるに足らん。假令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従ひて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ。
・・・古より今に至るまで、成敗の跡、禍福の運、人をして思を潜めしめ歎を発せしむるに足るもの固より多し」
(幸田露伴「運命」)
(14世紀おわり明の2代目皇帝として朱元璋の孫建文帝が即位しましたが中央集権を急ぎ王族の反発を受けました。1399靖難の変で建文帝は倒され叔父の永楽帝が即位します。このとき建文帝は焼死したことになっていますが一説によると建文帝は僧になり生き延び永楽帝の死去ののち再度宮廷に迎えられたということです。このときの模様をかいています。)
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「どうしてすべてがこう自分には白い歯をみせるのか、運命というものが自分に対し、そういうものだとならば、そのように自分も考えよう。
勿論子を失うものは自分ばかりではない、その子が丹毒で永く苦しんで死ぬというのも自分の子にだけあたえられた不幸ではない、それは分かっているが、ただ、じぶんはいままでの暗い道をたどってきた自分から新しいもっと明るい生活に転生しようと願い、その曙光をみたとおもった出鼻に、初子の誕生という喜びであるべきことを逆にとって、また自分をくるしめてくる、其所にかれは何か見えざる悪意を感じないではいられなかった。・・・」
(志賀直哉「暗夜行路」で主人公時任謙作は母と祖父の間の子であることがわかり苦悩するがさらに子供まで幼くして死ぬこの運命にかれがつぶやく言葉)
◇ ◇ ◇
「蓮華色比丘尼はその昔若いとき、嫁して一女をもうけたが夫が母と通じたため其の地を出て長者の婦となる。
のち長者は一少女をつれてきて妾とするがそれはかって産んだ娘であった。このため自暴自棄に陥り淫女となる。たまたま目連の教化をうけ出家し阿羅漢果を得、神通第一といわれる」
(優鉢羅華比丘尼本生経)
運命の不思議以上に腑に落ちないのは悪人世にはばかるように見えることです。これは納得できません。
楠正成は忠臣でも戦死、キリストも十字架にかかり、ソクラテスも毒杯を飲みました。
なぜ足利尊氏が戦死してユダが十字架にかからないのか?
因果の法則はないのではとおもうこともたびたびです。
しかし正成、キリスト、ソクラテスはその死により何千年もの間ひとびとに忠義と正義の観念をあたえ幾万の霊を救ってきているのです。ただそれにしても腑に落ちません。
中国の華厳五祖とされる圭峯宗密は「原人論」に
「身を修めることなく悪行にふけるもの(夏の桀王や殷の紂王)が貴人の扱いを受け、倫理道徳の道を守るもの(孔子、孟子)は身分がいやしいとされ、徳行なくも財力に富み(斉の景公)徳があっても貧乏くらし(原憲)逆臣であっても吉祥があり(魏の曹操)大義に殉じても凶運となる(諸葛孔明)仁愛の実践者でも若死にし(顔回)横暴をきわめても長命のものがいる(盗跖)天の道に従順なものが亡び、道理に背反するものが栄えるといった不条理はどうしておこるのか」と書きました。(無行而貴如桀紂為君守行而賤如仲尼無位無而富如景公有馬千駟何曾日食萬錢有而貧如原憲黔婁之類逆吉義凶者如姦邪得志忠良遇害之類仁夭暴壽如顏冉短折盜跖永年云有道無道者如世善人動輒坎軻強梁貪暴觸事利宜自古迄今此事屢有世俗每謂天不平或云天不開眼故攸無子人謂天不道斯之謂也)。参考までにここで出てくる原憲については論語に
「憲(けん)、恥(はじ)を問(と)う。子日わく、邦(くに)、道(みち)有(あ)れば穀(こく)す。邦、道無(な)くして穀するは、恥なり。」というのがあります。
(門人の原憲が、役人としてどんなことが恥ずべきことかを問うた。
孔子は、「行政が正しく行われ人民の生活が安定しているならば、もらうべきもの(俸給)はもらって構わんが、行政が乱れ人民が苦しんでいるというのに、もらうべきものだけはちゃっかりもらっておくというのは、人としていやしいことであり恥ずべきことだろう」と答えた。)
これに対し倶舎論巻15「分別業品第四之三」には「善悪の行為と同じ現世の間に果をうける業、次の生で報いをうける業、次の次の生でうけるもの、時期を決定しないがいつか報いをうける業」の4種の業があるといいます。 「順現報・順次報・順後報」といい「三報」ともいいます。また、このような時期が定まらない不定業も合わせて4種類とします。業論はほかの経典にも多く説かれていてここで要約できるまでに至っていません。