「宗教が人間の性格に実らせるふくよかな果実をあらわす集合名詞は聖徳(Saintliness)という言葉である。聖なる人間とは霊的な感情をいつでも人格的エネルギーの中心としているような人のことである。(W・Rイング博士は『キリスト教的神秘主義に関する講演』の中で次のように言う。「すぐれた聖徳を備えた人々が我々に語る言葉の内容が互いに非常に似ていることに諸君は気付かれるであろう。彼らは我々に向かって異口同音に次のように言う。『われわれが不動の確信に到達したのは推論によってではなく、直接の経験によってである。神は霊であって人間の霊はそれと交わりを結ぶことができる。・・われわれが自己自身に立ち返る程度に応じてわれわれは神のもとに近く。』と。私たちを神と幸福から引き離しているのは、利己心と情欲であり、これらは闇と死に至る道である。・・」)」(宗教的経験の諸相、W.ジェイムス)
最新の画像[もっと見る]
- 金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論 7ヶ月前
- 一日は定光佛・熱田大明神・妙見様・天神と地神の日 2年前
- 万人幸福のしおり 4年前
- 佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し) 4年前
- 四国八十八所の霊験・・・その97 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その92 6年前
- 四国八十八所の霊験・・その89 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その88 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その83 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その76 6年前