あらゆる宗教は心を大切にします。それは心が神仏の住処であるからではないでしょうか(注)。さすれば心が一つであるのだから神と仏も分けようがなかったのです。明治の神仏分離は日本人の「心」を国家が分裂させその結果日本人の心を救いようのない程荒廃させたのです。それが太平洋戦争をはじめとする日本の苦難が始まった原因です。
注)「大方廣佛華嚴經夜摩天宮菩薩説偈品第十六」には「心佛及衆生 是三無差別」とあり、
無門関第三十則には「 馬祖、因みに大梅問う、如何なるか是れ仏。祖云く、即心即仏」とあります。
「修証義、第五章 行持報恩」にも「いはゆる諸仏とは、釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏、これ即心是仏なり。過去・現在・未来の諸仏、ともにほとけとなるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是仏なり。」とあります。
即心是佛は大乗仏教の根幹です。
そして神道でも、身中祓詞(みなかのはらいのことば)には「天照坐皇大神の宣く。人はすなわち天下の神物なり。須らく静まることを掌るべし。心は則ち神明の本主たり。・・・六根清浄なるが故に我が身中主(みなかぬし)安らかなり。我が身中主安らかなるが故に天地の神と同根なり。天地の神と同根なるが故に万生の霊と同体なり。万物の霊と同体なるが故に為すところ願として成就(なら)ずといふことなし。」とあります。「心は則ち神明の本主」なのです。
さらにいえばキリスト教でも、「ルカ 17:21「」に 「 また人々が『ここを見よ!』とか『そこを!』とか言うものでもありません。見よ,神の王国はあなた方のただ中にあるのです」とあります。
キリスト教の神でさえ「心の中」に有りとするのです。(これには異論在りかもしれませんが)
ここで「心」とは何かかが大問題ですがとりあえず、いわゆる「心」が神仏の住処であり従って神仏を分けることは出来ないことは確かです。
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