福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は新幹線開業50周年ということですが・・

2014-10-01 | 法話
今日10月1日は新幹線開業50周年ということです。今日も広島から東京まで新幹線で帰ってきましたが、新幹線同士がすれ違う時のスピードは恐ろしいほどです。よくこんにちはまで無事故でこられたと最近の飛行機事故の多発を思うと背筋がぞっとする思いです。よほどの精神的土台・陰徳がないとこの安全性は保てないとあらためておもいました。
新幹線は十河信二国鉄総裁がはじめました。四国遍路で伊予西条駅を通ると十河信二記念館があります。中でいただいた資料をみると十河は新居浜市の農家に生まれ、東大を出た後、鉄道省・満鉄と勤めあげ引退したあと、三木武吉に乞われて、昭和30年71歳で当時誰も引き受け手のない国鉄総裁を引き受けました。そして無用の長物だと猛反対を受ける中、広軌の高速輸送こそ将来の日本に必要と考え昭和34年75歳で国鉄総裁として新幹線起工式をおこない新幹線建設にのりだしたのです。
 当時浜松付近の新幹線工事をしていたという人に聞いたことがありますが、「安全のためのコストは厭うな」と総裁は大号令をかけ、予算をいくら上回っても安全対策経費をつけてくれたということです。
 そしてここが非常に大切なところですが、(秦野市にある「弘済学園」中村健二園長から直接聞いたところによると、)十河総裁は就任直後、障害児教育の第一人者であった中村氏に直接三顧の礼を尽くして園長に迎え入れ、国鉄の障害児施設「日向弘済学園」を抜本拡充し、他の施設で受け入れ拒否された重度障害児のための日本で唯一の施設を造ったということでした。総裁は新幹線のような人知を超えた世界に踏み出す以上は、相当深い陰徳を新幹線事業の背後に持ってなくてはならないと考えたと思います。ほぼ第六感のような閃きがあったのでしょう。ホームページを見ると現在200名弱の障害児を預かっているようです。私達が見学に行った数十年前はお茶の水・一橋といった一流大学を出た優秀な職員がヨーロッパ等に留学して障害児教育を学んできて仕事をされていました。中には禅僧もいて「自分は坐禅で悟ることはできないが、ここで働くことで意義を見出している」とおしゃっていました。職員の皆さんは「10年間を一区切りにしてその間に一つたとえば箸をもてるようになること、をめざしています」とおしゃっていました。深い感銘を受けた施設です。
 こういう施設を最先端の新幹線建設の裏側で運営するという陰徳の深さ、新幹線の安全性はこういう陰徳の深さにより担保されていたのです。こういう経営者がつい最近までいたのです。 こういう深みのある経営者が今までの経済大国日本の基礎つくってきたのです。今後の日本にはいまの薄っぺらい経営者にかわって若手のしかも徳のある経営者が輩出されなければならない・・こう思い続けて数十年経ちますが・・・。

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