福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

最近「瞋恚」をおこし破滅する例が頻発しています

2017-11-17 | 法話
不瞋恚について。
最近「瞋恚」をおこし破滅する例が頻発しています。瞋恚は身を滅ぼし世を乱す元です。古来数々の戒めの訓戒があります。
・「世を乱し身を亡すも 皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、一子の慈悲を運ぶべし」(十善戒和讃)
・以下釈雲照師の十善戒和讃略解です。「我等衆生無始劫より以来三界の苦海に沈淪して常に生老病死の為にせめらるるは、もと此貪瞋二種の所為に由らざるはなし。此貪瞋の煩悩は諸の愚痴邪見の煩悩による。愚痴邪見の煩悩は何によって起こるかとなれば、宇宙の真理を知らざるによる。宇宙の真理は如何なる形かと謂うに所謂、無我・無自性にして衆の因縁の仮和合によりて成立するものにして一法として自然独立なるものなし。
 然るに我等此無我・無自性の萬物に向かって我有我名(自分のものだ)の固執を成し、為に我見我慢の煩悩を起して止むことなし。
経には「刹那に作るところの罪、無間に堕す(注1)」と誡めたまへり。梵網経には「一切の男子はこれ我が父、一切の女子は是れ我が母なり。我生々に之に従って生を受けずといふことなし。故に六道の衆生は皆これ我が父母なり。」と説示したまへり。
誠に惟れば一切衆生は無始より以来三界六道に輪転して親となり子となり夫となり嫁となりて其の関係する所実に広大なり。故に今日飼うところの犬猫牛馬等是我が前世の父母なるや(注2)。また我が子弟たるや、我また彼が妻夫子、奴僕なりしや、と 若し能く深くこの理を領会して日夜面前に対する男女は皆是我が生生世世の父母なることを憶いて努めて慈心を行じ自ら十善道に随順せしむべきなり。」とあります。

・因果経には富貴は慈悲行よりきたる。貧窮は慳貪よりきたる。福徳は善根よりきたる。愛敬は 忍辱よりきたる。智慧は精進よりきたる。高位は礼拝よりきたる。短命は殺生よりきたる。愚蒙は破戒よりきたる。無病は信心よりきたる。病身は不浄よりきたる」とあり、

・涅槃経には 「善因善果 悪因悪果の報い、影の随う如く三世因果循環して失せず、今生空しく過ぎて後悔に迫らるること勿れ」とあります。

注1、梵網経菩薩戒下に「故に経に云わく、小罪を軽んじて以って殃無しと為すこと勿かれ、水の滴りは微なりと雖も、漸く大器に盈ち、刹那の造罪の殃は無間に堕す、と。一たび人身を失わば万劫にも復せず。壮色の停らざることは猶し奔馬の如く、人命の無常なること山の水に過ぎたり。今日存すと雖も明にも保ち難し。衆等各各一心に勤修精進し、慎んで懈怠と懶惰睡眠とに意を縦にすること勿かれ。」とある。)

(注2『古事談』には、仁海(平安時代の真言僧。小野流の祖)僧正の父が牛に転生した話が記されている。それによれば、父の死後、夢の中で父が牛になったことを知った仁海は、その牛を買い取って大切に飼っていた。ところが、その後、牛に仕事をさせないため父の罪が軽くならないという夢告があり、そのために、仁海はその牛を田舎へ遣わして時々仕事に使った。その牛の死後、父が畜生道を脱したという夢告を得たという。)

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