・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・17
第三節、深秘三重流現門
胎蔵曼荼羅は大日経に説くところによれば左右二重、前が二重、後ろが三重である。然るに大日経疏の説に依れば左右前後三重となって所謂差別門三重流現の思想と転化している。その説に依ると「如来の加持を以ての故に佛菩提自証の徳より八葉胎蔵身を現し、金剛密印より第一重金剛手等の諸内眷属を現し、大智万行より第二重摩訶薩埵の諸内眷属を現わし、普門方便より第三重の一切衆生喜見隨縁の身を現す。若し輪王の灌頂を以てこれに比べれば則ち三重は万国君長の如く、第二重は朝廷の百揆の如く、第一重は宗枝の内弼の如く、中台は垂拱の君の如し」とある。(大日経疏入曼荼羅真言品第二「然以如來加持故。從佛
菩提自證之徳。現八葉中胎藏身。從金剛密印現第一重金剛手等諸内眷屬。從大悲萬行。現第二重摩訶薩埵諸大眷屬。從普門方便。現第三重一切衆生喜見隨類之身。若以輪王灌頂方之。則第三重如萬國君長。第二重如朝廷百揆。第一重如宗枝内弼。中胎如垂拱之君。故花臺常智。爲大漫荼羅王也。若自本垂迹。則從中胎一一門。各流出第一重種種門。從第一重一一門。各流出第二重種種門從第二重一一門。各流出第三重種種門。若行因至果。則第三重之所引攝成就。能通第二重。第二重之所引攝成就。能通第一重。第一重之所引攝成就。能見中胎藏。由此言之。則諸衆生類本性信解。雖復無量無邊。而此漫荼羅法門。所爲義利。亦復罄無不盡」)
(この三重流伝の思想で大日経疏の「阿闍梨所伝の曼荼羅」は描かれたのである。即ち第一重は持明院・蓮華手院・佛母院・金剛手院の四院で、第二重は虚空蔵院・地蔵院・文殊院・除蓋障院の四院で、第三重は釈迦院・金剛部院である。・・「阿闍梨所伝の曼荼羅」は現図曼荼羅とは相当違っていますが、ここの記述は冨田猊下が以下の十三佛曼荼羅の三重思想につなげるために書かれたと思います。)
大日経疏の三重流現の思想はこの十三佛曼荼羅に至って真の意義を発揮したというべきである。胎蔵曼荼羅と十三佛曼荼羅を対比すれば胎蔵曼荼羅の正面突き当りに位する玄関番ともいうべき所に配置せられたる虚空蔵菩薩は(十三佛曼荼羅では)中央の位に至り、印度出現の釈迦如来は(十三佛曼荼羅では)虚空蔵菩薩の位置に来たり(十三佛曼荼羅では)その奥には釈迦如来の教法を付属せられて56億7千万年の後に出現し給うべき弥勒菩薩在り、(十三佛曼荼羅では)その奥に西方極楽浄土の阿弥陀如来がおわすのである。
而してこの十三佛曼荼羅の無浅深の諸仏菩薩を大日経疏の三重流現の思想に依りてしばらく浅深の次第を立てれば、
中台 虚空蔵菩薩
第一重 大日 阿閦 阿弥陀 勢至
第二重 観音 薬師 弥勒 地蔵
第三重 普賢 文殊 釈迦 不動
となる。
これを自己曼荼羅に改造すれば、
中台 自己 、第一重 故郷 、第二重 国、第三重 世界、等となる。(自分で作れば中台(自分の人生)第一重(直接影響した出来事)第二重(その出来事のもと)第三重(更にその先にある出来事)、とか、中台(自心)第一重(自分の心に影響を与えた教え)第二重(さらにその教えを請来した教え)第三重(その先にある教えの連鎖)等、無数種の自己曼荼羅ができます。)
第三節、深秘三重流現門
胎蔵曼荼羅は大日経に説くところによれば左右二重、前が二重、後ろが三重である。然るに大日経疏の説に依れば左右前後三重となって所謂差別門三重流現の思想と転化している。その説に依ると「如来の加持を以ての故に佛菩提自証の徳より八葉胎蔵身を現し、金剛密印より第一重金剛手等の諸内眷属を現し、大智万行より第二重摩訶薩埵の諸内眷属を現わし、普門方便より第三重の一切衆生喜見隨縁の身を現す。若し輪王の灌頂を以てこれに比べれば則ち三重は万国君長の如く、第二重は朝廷の百揆の如く、第一重は宗枝の内弼の如く、中台は垂拱の君の如し」とある。(大日経疏入曼荼羅真言品第二「然以如來加持故。從佛
菩提自證之徳。現八葉中胎藏身。從金剛密印現第一重金剛手等諸内眷屬。從大悲萬行。現第二重摩訶薩埵諸大眷屬。從普門方便。現第三重一切衆生喜見隨類之身。若以輪王灌頂方之。則第三重如萬國君長。第二重如朝廷百揆。第一重如宗枝内弼。中胎如垂拱之君。故花臺常智。爲大漫荼羅王也。若自本垂迹。則從中胎一一門。各流出第一重種種門。從第一重一一門。各流出第二重種種門從第二重一一門。各流出第三重種種門。若行因至果。則第三重之所引攝成就。能通第二重。第二重之所引攝成就。能通第一重。第一重之所引攝成就。能見中胎藏。由此言之。則諸衆生類本性信解。雖復無量無邊。而此漫荼羅法門。所爲義利。亦復罄無不盡」)
(この三重流伝の思想で大日経疏の「阿闍梨所伝の曼荼羅」は描かれたのである。即ち第一重は持明院・蓮華手院・佛母院・金剛手院の四院で、第二重は虚空蔵院・地蔵院・文殊院・除蓋障院の四院で、第三重は釈迦院・金剛部院である。・・「阿闍梨所伝の曼荼羅」は現図曼荼羅とは相当違っていますが、ここの記述は冨田猊下が以下の十三佛曼荼羅の三重思想につなげるために書かれたと思います。)
大日経疏の三重流現の思想はこの十三佛曼荼羅に至って真の意義を発揮したというべきである。胎蔵曼荼羅と十三佛曼荼羅を対比すれば胎蔵曼荼羅の正面突き当りに位する玄関番ともいうべき所に配置せられたる虚空蔵菩薩は(十三佛曼荼羅では)中央の位に至り、印度出現の釈迦如来は(十三佛曼荼羅では)虚空蔵菩薩の位置に来たり(十三佛曼荼羅では)その奥には釈迦如来の教法を付属せられて56億7千万年の後に出現し給うべき弥勒菩薩在り、(十三佛曼荼羅では)その奥に西方極楽浄土の阿弥陀如来がおわすのである。
而してこの十三佛曼荼羅の無浅深の諸仏菩薩を大日経疏の三重流現の思想に依りてしばらく浅深の次第を立てれば、
中台 虚空蔵菩薩
第一重 大日 阿閦 阿弥陀 勢至
第二重 観音 薬師 弥勒 地蔵
第三重 普賢 文殊 釈迦 不動
となる。
これを自己曼荼羅に改造すれば、
中台 自己 、第一重 故郷 、第二重 国、第三重 世界、等となる。(自分で作れば中台(自分の人生)第一重(直接影響した出来事)第二重(その出来事のもと)第三重(更にその先にある出来事)、とか、中台(自心)第一重(自分の心に影響を与えた教え)第二重(さらにその教えを請来した教え)第三重(その先にある教えの連鎖)等、無数種の自己曼荼羅ができます。)