福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仁王護國般若波羅蜜多經・・3

2022-03-03 | 諸経

仁王護國般若波羅蜜多經・觀如來品第二(仏が佛果を護り、十地行を獲るべきことを説く
爾時世尊三昧より起ち、師子座に坐して大衆に告げて言く「吾十六諸國王等咸く是念を作すを知る。『世尊は大慈ありて普く皆なを利樂したまう。我等諸王云何が護國せんと』。善男子よ、吾今先ず諸菩薩摩訶薩のために、佛果を護り十地行を護ることを説かん。汝等皆應に諦聽諦聽し善くこれを思念せよ」と。
是時大衆の波斯匿王等は佛語を聞き已りて咸く共に讃じて言く、「善哉善哉」と。即ち無量の諸妙寶花を散して虚空中に變じ寶蓋となし、諸大衆を覆いて
周遍せざるなし。時に波斯匿王は即ち座より起ちて佛足を頂禮し、合掌長跪して佛に白して言さく、「世尊菩薩摩訶薩、云何が佛果を護り、云何が十地行を護るや」と。
佛、波斯匿王に告げて言く「佛果を護るとは、諸菩薩摩訶薩、應に如是に住すべし。一切の卵生・胎生・濕生・化生を教化するに、色相を観ず、色如を観ざれ。受想行識と我人と知見と常楽我浄と四攝・六度と二諦と四諦と力・無畏等の一切諸行乃至菩薩如來も亦復た如是なり。相を観じ、如を觀じざれ。所以は何となれば諸法の性は即ち眞實なるをもっての故に、無來・無去・無生・無滅にして眞際に同じ、法性に等しく無二無別にして猶ほ虚空の如し。蘊處界(五蘊・十二処・十八界)の相は我・我所(主体・客体)なし。是を菩薩摩訶薩の修行般若波羅蜜多となす。」
波斯匿王佛に白して言く、「世尊よ、若し菩薩・衆生の性が無二ならば、菩薩は何の相をもってか衆生に化する耶」。
佛言はく「大王よ、色受想行識、常樂我淨なり。法性は色に住せず、非色に住せず。受想行識・常樂我淨も亦た淨に住せず、非淨に住せず。何以故。諸法性悉く皆な空なるが故に、世諦に由るが故に、三假(法假・受假・名假)に由るが故に。一切有情と薀處界法と造福と非福と不動行等との因果皆有なり。三乘の賢聖の所脩の諸行乃至佛果も皆な名けて有となす。六十二見(外道の62の見識)も亦た名けて有となす。大王よ、若し名相に著して分別諸法せば、六趣・四生・三乘の行果は即ち是れ諸法實性を見ず」。
波斯匿王、佛に白して言さく、「諸法實性は清淨平等なり。非有非無の智は云何んが照さん」。
佛言たまはく「大王よ、智、實性を照らさば非有非
無なり。所以はいかんとなれば、法性は空なるが故なり。是れ即ち色受想行識・十二處・十八界・士夫六界・十二因縁・二諦・四諦は一切皆空なり。是諸法等は即生即滅、即有即空なり。刹那刹那も亦復た如是なり。何以故、一念中に九十刹那あり。一刹那は九百生滅を經る。諸有爲法は悉く皆な空なるが故なり。
甚深の般若波羅蜜多を以て諸法を照見するに一切皆空なり。内空・外空・内外空・空空・大空・勝義空なり。有爲空・無爲空・無始空・畢竟空なり。散空・本性空・自相空・一切法空なり。般若波羅蜜多空・因空・佛果空・空空なるが故に空なり。諸有爲の法は法集なるが故に有なり。受集なるが故に有なり。名集なるが
故に有なり。因集なるが故に有なり。果集なるが故に有なり。六趣なるがゆえに有なり。十地なるが故に
有なり。佛果なるが故に有なり。一切皆有なり。善男子よ、若し菩薩、法相に住せば、我相・人相・有情・知見とあり。世間に住すとなす。即ち菩薩にあらず。所以者何。一切諸法は悉く皆な空なるが故なり。若し諸法において而も不動・不生・不滅・無相・無無相を得て見を起すべからず。何以故。一切法は皆な如也。諸佛法僧も亦た如也。聖智現前する最初の一念に八萬四千波羅蜜多を具足するを名けて歡喜地という。障盡きて解脱し、運載するを乘と名く。動相滅する時を
金剛定と名く。禮相平等なるを一切智智と名く。
大王よ、此の般若波羅蜜多の文字章句は百佛千佛
百千萬億一切諸佛と而も共じく同に説く。若し人ありて恒河沙三千大千世界において、滿中の七寶をもちいて大千世界の一切有情に布施して皆な阿羅漢果を得せしむも、人有りて此經中において乃至一念の淨信を起さしむるに如かず。何況や能く一句を受持讀誦解すること有らん者をや。所以いかんとならば、文字性離して文字相なし。非法、非非法にして般若空なるが故に。菩薩も亦た空なり。何以故。十地中において、地地に皆な始生・住生及び終生あり。此の三十生は悉く皆な是れ空なり。一切智智も亦復た皆な空なり。大
王よ、若し菩薩、境を見、智を見、説を見、受を見るは即ち聖見にあらず。是れ愚夫の見なり。有情の果報と三界は虚妄なり。欲界分別所造の諸業と色四靜慮定
離生喜樂を初靜慮、定生喜樂を第二靜慮、離喜妙樂を第三靜慮、捨念清淨を第四靜慮。となす
の所作業と無色四空定(空無邊處定、識無邊處定、無所有處定、非想非非想處定)の所起業と三有業果は一切皆空なり。三界根本無明も亦た空なり。
聖位の諸地には無漏生滅あり。三界中において餘の無明習と變易果報も亦復た皆な空なり。等覺菩薩は金剛定を得、二死の因果空なり。一切智も亦た空なり。佛無上覺と種智圓滿して擇・非擇滅と眞淨法界と性相平等の應用も亦た空なり。善男子よ、若し般若波羅蜜多を修習することあらば説者も聽者も譬えば幻士の説無く聽無きが如し。法は法性に同じ、猶し虚空の如し。一切法は皆な如也。大王よ、菩薩摩訶薩の佛果をうること此の如しと為す。
爾時世尊、波斯匿王に告げて言く、「汝、何の相を以て而も如來を觀るや」と。
波斯匿王言く「身の實相を觀ず。觀佛も亦た然なり。前際無く、後際無く、中際無し。三際(過去・現在・未来)に住せず、三際を離れず。五蘊に住せず、五蘊を離れず。四大に住せず四大を離れず。六處(眼、耳、鼻、舌、身、意)に住せず、六處を離れず。三界に住せず、三界を離れず。方に住せず、方を離れず。明と無明と等しく、一に非ず、異に非ず。此に非ず、彼に非ず。淨に非ず、穢に非ず。有為に非ず、無爲に非ず。自相無く、他相無し。無名・無相、無強・無弱、無示・無説、施に非ず慳に非ず。戒に非ず、犯に非ず。忍に非ず、恚に非ず。進に非ず、怠に非ず。定に非ず、亂に非ず。智に非ず、愚に非ず。來に非ず、去に非ず。入に非ず、出に非ず。福田に非ず、不福田に非ず。相に非ず、無相に非ず。取に非ず、捨にあらず。大に非ず、小に非ず。見に非ず、聞に非ず、覺に非ず、知にあらず。心行處滅し言語道斷す。眞際に同じく、法性に等し。我此相を以て如來を観たてまつる。佛、言たまわく「善男子よ、汝が所説の如し。諸佛如來の力・無畏(十力と四無所畏)等の恒沙功徳と、諸不共法(仏に具わっている十八種のすぐれた特質。 十力・四無所畏・三念住・大悲)と悉く皆な如是なり。般若波羅蜜多を修する者は應に如是に觀ずべし。若し他觀の者は名けて邪觀となす。是の法を説きたまう時、無量大衆は法眼淨を得たり。

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