・聖者と云ひ、凡夫と云ふ、遠く外に求むべからず。浄土と云ひ、穢土と云ふ、遥かに境を隔つべからず。我法を空ずるを覚者と云ひ、我法に著するを愚夫と名く。所執の境を穢土と称し、如幻の境を浄土と名く。(聖者と凡夫は自分の心を離れてあるのではない。浄土と穢土も同じ心の中にある。自分という主体(我)も世界を構成する諸要素・法則(法)も本来「空」であるとさとれば覚者となりこれに迷えば愚夫となる。外界に執着する心を穢土といい、外界を夢幻とみる心を浄土という。)(愚迷発心集より)
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