福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q, 真言宗には加持で人を救う方法があるが禅宗にはこういう手段はないのは如何?

2022-10-30 | Q&A

Q, 真言宗には加持で人を救う方法があるが禅宗にはこういう手段はないのは如何?
A,真言宗の加持も愚人を悟りへ至らしむるための方便、禅宗は最初から悟りへ導く。悟りの境地では生死・災殃・貧富もなくなる。

夢中問答集(無窓疎石)より・・・15

問。真言宗には苦厄をやむる加持門あり。禅宗はかやうの利益欠けたりと難ずるひと有。そのいわれありや?
答。密宗は十界の凡衆、本位をあらためず。全くこれ大日如来也とす。しかれば賢愚貴賤の勝劣もなし。禍福苦楽の差別もあるべからず。何をか祈り、なにをか求むべきや。しかれどもいまだこの真理に達せざる人を誘引せむために、有相の悉地を明かせり。かやうの方便をば教門に譲るゆえに、禪門には直に本分を示すのみなり。もし本分に到りぬればもとより生死の相なき事を知る。乃これ真実の延命の法なり。 災殃の相を見ず。乃これ真実の息災なり。貧福の相を離れたり。乃これ真実の増益なり。怨敵とて厭ふべき者もなし。乃これ真実の調伏なり。憎愛の隔てもなし。乃これ真実の敬愛なり。もしこの理を信ずる人は禅宗には苦厄をやむる利益欠けたりと難ずべからず。
真言の加持門と申すも、世の常、行ずる息災増益等の加持門は愚人を引導する方便なり。衆生の全体、六大・四曼具足して大日覚王と無二無別なりといへども、愚人これを知らざるゆへに、如来方便を垂れて三密の加持にて現はさしむるを、真実の加持とは申す也。・・


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一念の眠りの中に、千萬の夢あり | トップ | 聖者と云ひ、凡夫と云ふ、遠... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Q&A」カテゴリの最新記事