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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音経の解説15/28

2016-02-15 | 諸経
15、無尽意菩薩。白仏言。世尊我今当供養観世音菩薩。即解頸衆宝珠瓔珞。価直百千両金。而以与之。作是言。仁者。受此法施。珍宝瓔珞。
時観世音菩薩。不肯受之。無尽意。復白観世音菩薩言。仁者。愍我等故。受此瓔珞。爾時仏告観世音菩薩。当愍此無尽意菩薩。及四衆。天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩猴羅伽。人等故。受是瓔珞。即時観世音菩薩。愍諸四衆。及於天。龍。人等。受其瓔珞。分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔。

「無尽意菩薩は仏様におっしゃった。『世尊よ我れ今、当に観世音菩薩を供養したてまつるべし』。即ち頸の衆の宝珠の瓔珞の価直(あたい)百千両金なるを解きて、以て之を与え、是の言を作さく、『仁者、此の法施の珍宝の瓔珞を受けたまえ』と。」
「時に観世音菩薩、あえて之を受けたまわず(理由は、衆生をして慇重の心を生ぜしめんがため・多宝佛と釈迦に譲らんとするため・少欲知足を示さんがためである(法華義疏、吉蔵))。無尽意は、また観世音菩薩に白して言さく。『仁者、我等を愍むが故に、この瓔珞を受けたまえ』と。その時仏、観世音菩薩に告げたまわく、『まさに此の無尽意菩薩、及び四衆、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿脩羅、迦褸羅、緊那羅、摩猴羅伽、人等を愍むが故に是の瓔珞を受くべし。』即時、観世音菩薩、諸の四衆及び天・龍・人等を愍みて(利他心より)其の瓔珞を受け、分かちて二分と作し、一分は釈迦牟尼仏に奉り、一分は多宝仏の塔に奉る。(法華経見塔品によると、多宝佛は法華経の法師品で釈尊の説法が真実であることを証明するために出現し、釈尊と多宝佛は多宝塔の中に同座されていた。観世音菩薩は多宝如来(お釈迦様の過去佛であり、真理を顕す仏・理仏)と釈迦如来(現象界で活躍されている仏・事仏という)を供養し讃仰したてまつらんとして二分して両如来に奉った。これは宇宙は理と事で成り立っている一如の世界だということを顕している)」

(観音さまにおすがりするには、ただただ一心に"南無観世音菩薩""南無観世音菩薩"とお称えするのです。
布施することだけが供養ではなく、一心に称名することも立派な「供養」なのです。
その至誠の称名に応えて観音さまは必ずやって来てくださいます。
そして観音さまが自分の中に入り込み、自分が観音さまになるのです。
観音さまの大慈悲心に救われるということは「観音さまになること」なのです。
その教えがこの観音経なのです。)



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