Q,狩野一信の五百羅漢図にある『十二頭陀』『八難』とは?
A,
・十二頭陀とは
「頭陀」はサンスクリット語の「ドゥータ」という言葉の音訳であり「払い落とす」という意味です。何を払い落とすのかというと「貪欲」です。
『十二頭陀経』によると、
「一者在阿蘭若處(人里離れた所を生活の場とする。)
二者常行乞食(常に托鉢乞食によってのみ生活する)。
三者次第乞食(托鉢する家は選り好みせず順に巡る)。
四者受一食法(一日一食)。
五者節量食(一鉢以上食べない )。
六者中後不得飮漿(午後には食べない)。
七者著弊納衣(糞掃衣以外着ない。)
八者三衣(大衣、上衣、中衣以外を所有しない)。
九者塚間住(墓地で暮らす)。
十者樹下止(木の下で暮らす)。
十一者露地坐(屋根や壁のない露地で暮らす)。
十二者但坐不臥(横にならない)」とあります。
また『正法眼蔵』「行持(上)」巻
には「第八祖摩訶迦葉尊者は、釈尊の嫡嗣なり。生前もはら十二頭陀を行持して、さらにおこたらず。十二頭陀といふは、『一には人の請を受けず、日に乞食を行ず、亦た比丘僧の一飯食分銭財を受けず。二には山上に止宿して、人舎・郡県・聚落に宿せず。三には人に従って衣被を乞うことを得ず。人の与うる衣被も亦受けず。但だ、丘塚間死人の棄てる所の衣を、補治して之を衣する。四には野田の中、樹下に宿す。五には一日一食。一に僧迦僧泥と名づく。六には昼夜に臥せず、但だ坐睡・経行す。一に僧泥沙者傴と名づく。七には三領衣を有して、余衣有ること無し。亦被中に臥せず。八には塚間に在って、仏寺の中に在らず、亦た人間に在らず。目を死人骸骨に視して、坐禅して求道す。九にには但だ独処を欲し、人に見えることを欲せず、亦、人と共に臥することを欲せず。十には先ず果蓏を食し、却って飯を食べる。食し已って復た果蓏を食べることを得ざれ、十一には但だ露臥を欲し、樹下・屋宿に在らず。十二には肉を食せず、亦、醍醐を食せず。麻油身に塗らず』。これを十二頭陀といふ。摩訶迦葉尊者、よく一生に不退不転なり。如来の正法眼蔵を正伝すといへども、この頭陀を退することなし。」とあります。
・次に「八難」とは 飢・渇・寒・暑・水・火・刀・兵の難をいいます。
A,
・十二頭陀とは
「頭陀」はサンスクリット語の「ドゥータ」という言葉の音訳であり「払い落とす」という意味です。何を払い落とすのかというと「貪欲」です。
『十二頭陀経』によると、
「一者在阿蘭若處(人里離れた所を生活の場とする。)
二者常行乞食(常に托鉢乞食によってのみ生活する)。
三者次第乞食(托鉢する家は選り好みせず順に巡る)。
四者受一食法(一日一食)。
五者節量食(一鉢以上食べない )。
六者中後不得飮漿(午後には食べない)。
七者著弊納衣(糞掃衣以外着ない。)
八者三衣(大衣、上衣、中衣以外を所有しない)。
九者塚間住(墓地で暮らす)。
十者樹下止(木の下で暮らす)。
十一者露地坐(屋根や壁のない露地で暮らす)。
十二者但坐不臥(横にならない)」とあります。
また『正法眼蔵』「行持(上)」巻
には「第八祖摩訶迦葉尊者は、釈尊の嫡嗣なり。生前もはら十二頭陀を行持して、さらにおこたらず。十二頭陀といふは、『一には人の請を受けず、日に乞食を行ず、亦た比丘僧の一飯食分銭財を受けず。二には山上に止宿して、人舎・郡県・聚落に宿せず。三には人に従って衣被を乞うことを得ず。人の与うる衣被も亦受けず。但だ、丘塚間死人の棄てる所の衣を、補治して之を衣する。四には野田の中、樹下に宿す。五には一日一食。一に僧迦僧泥と名づく。六には昼夜に臥せず、但だ坐睡・経行す。一に僧泥沙者傴と名づく。七には三領衣を有して、余衣有ること無し。亦被中に臥せず。八には塚間に在って、仏寺の中に在らず、亦た人間に在らず。目を死人骸骨に視して、坐禅して求道す。九にには但だ独処を欲し、人に見えることを欲せず、亦、人と共に臥することを欲せず。十には先ず果蓏を食し、却って飯を食べる。食し已って復た果蓏を食べることを得ざれ、十一には但だ露臥を欲し、樹下・屋宿に在らず。十二には肉を食せず、亦、醍醐を食せず。麻油身に塗らず』。これを十二頭陀といふ。摩訶迦葉尊者、よく一生に不退不転なり。如来の正法眼蔵を正伝すといへども、この頭陀を退することなし。」とあります。
・次に「八難」とは 飢・渇・寒・暑・水・火・刀・兵の難をいいます。