昨冬庭にいた揚羽のさなぎが鳥に食べられそうなので室内に入れておきましたが、そのうち三羽がさっき孵っているのを発見しました。
籠の中でじっとしていたのを庭に出してやると嬉しそうに空に上がっていき又庭に戻ってきました。
蛹のまま籠に入れて半年近くも放置していたのでもう死んでいるとおもっていたのですがいのちの不思議さには驚かされました。
震災の後は、どんな「いのち」もその不思議さがいとおしくてなりません。
「生死は即ち仏の御命なり」(正法眼蔵・生死)と道元禅師は喝破されました。
「いのち」は「如来」、「佛性」、「涅槃」、「覚り」ひいては『仏』ともいえるのではないかという気がします。
すべての元の元、すべてのものが別れる前の渾然一体となっていた未分化の状態を「いのち」はあらわしているのかもしれません。
籠の中でじっとしていたのを庭に出してやると嬉しそうに空に上がっていき又庭に戻ってきました。
蛹のまま籠に入れて半年近くも放置していたのでもう死んでいるとおもっていたのですがいのちの不思議さには驚かされました。
震災の後は、どんな「いのち」もその不思議さがいとおしくてなりません。
「生死は即ち仏の御命なり」(正法眼蔵・生死)と道元禅師は喝破されました。
「いのち」は「如来」、「佛性」、「涅槃」、「覚り」ひいては『仏』ともいえるのではないかという気がします。
すべての元の元、すべてのものが別れる前の渾然一体となっていた未分化の状態を「いのち」はあらわしているのかもしれません。