第二章 人の心とありのままの姿
第一節 変わり行くものには実体がない
二、この身は永遠に変わらないものなのか、それとも無常であるのかと問うならば、だれも無常であると答えるに違いない。
無常なものは苦しみであるのか、楽しみであるのかと問えば、生まれた者はだれでもやがて老い、病み、死ぬと気ずいたとき、だれでも苦しみであると答えるに違いない。
このように無常であって移り変わり、苦しみであるものを、実体である、わがものである、と願うのは間違っている。
心もまた、そのように無常であり、苦しみであり、実体ではない。だからこの自分を組み立てている身と心やそれをとりまくものは我とか我が物とかという観念を離れたものである。
智恵のない心が「我である、我が物である」と執着するに過ぎない。
身もそれをとりまくものも、縁によって生じたものであるから、変わりに変わって、しばらくもとどまることがない。
流れる水のように、また灯火のように、移り変わっている。また心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も静かにとどまることがない。
智恵あるものは、このように見、このように聞いて、身と心に対する執着を離れたとき、さとりが得られる。
第一節 変わり行くものには実体がない
二、この身は永遠に変わらないものなのか、それとも無常であるのかと問うならば、だれも無常であると答えるに違いない。
無常なものは苦しみであるのか、楽しみであるのかと問えば、生まれた者はだれでもやがて老い、病み、死ぬと気ずいたとき、だれでも苦しみであると答えるに違いない。
このように無常であって移り変わり、苦しみであるものを、実体である、わがものである、と願うのは間違っている。
心もまた、そのように無常であり、苦しみであり、実体ではない。だからこの自分を組み立てている身と心やそれをとりまくものは我とか我が物とかという観念を離れたものである。
智恵のない心が「我である、我が物である」と執着するに過ぎない。
身もそれをとりまくものも、縁によって生じたものであるから、変わりに変わって、しばらくもとどまることがない。
流れる水のように、また灯火のように、移り変わっている。また心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も静かにとどまることがない。
智恵あるものは、このように見、このように聞いて、身と心に対する執着を離れたとき、さとりが得られる。