福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

修験宗旨書等・・・18

2017-12-18 | 諸経
修験宗旨書・・・18
山伏三種名義第十八(山伏には山伏・修験・客僧の三種の名がある
尋ねて云う、山伏とは能弘の人によって名けるや、所依の法に依って名けるや。
答、凡そ當道の名義に於いて三種の差別有り。一には山伏、二には修験、三には客僧なり。是皆所修の理法に依って能修行者の名字と為す。他宗の意は納証の名字、所詮の法体を隔歴るがゆえに有教無人とこれを談ず。証道に非ず。當道の意は全くしからず。名字の他に別に体を求めず。直に能詮の名字(教えを示す文字)を以て所証の詮(教えの内容)と為す。是を法体という。初めに山伏とは能所不二の名字なり。又是に二義あり。謂く山伏山臥なり。二に修験とは修とは修生始学の修行、験とは本有本覚の験徳なり。始本兼ね備えて闕減無し、故に修験と号す。三に客僧とは一念法界名為行体の内証なり。三界は客舎のごとくこれに住み、迷倒やまず、一心はこれ本居なり、之を忘れて流来るとこ既に久し、然ればすなわち無住所の心地に住んで、無所得の本源に達す、これを客僧という。裏書にいわく、山伏は始覚、山臥は本覚、修験は始覚双修、客僧は始覚不二。
尋ねて云う、諸宗に皆共に宗の名義に預かる、しかるを今何ぞ山伏道等と号するや。
答えて云う、宗とは字義は尊なり。乗教を宗(たっとみ)、仏道に至る故に宗と号す。一実中道の真理なり(唯一絶対の教えは中道の教えである)。生死去来の二道を覚り中道法性の心城に到る、故に道と号す。たとえば聖道仏道というが如し。古徳の云はく、至妙虚通之を目して道と為すと。心、理外に遊ぶ、之を呼んで外道と為す。もしくは宗とは道を興す別名にしてその理なり。右の名義、當道の至要なり。敢えて他宗の見聞に及ぶべからず。

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