福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は大御室性信御入滅の日

2023-09-27 | 法話


「(以下密教大辞典」に依ります。
性信 
仁和寺第二世。一に大御室と称し、三条天皇第四皇子。御母は羽林大将軍清時の女。寛弘二年1005八月一日生誕す。時に瑞光空に満つ。寛弘八年1011十月五日親王宣下。寛仁二年1018八月二十九日仁和寺喜多院において濟信に就いて出家、四度加行終わりて東大寺に登壇受戒し治安三年1023三月七日観音院において本師より伝法灌頂を、万寿二年1025伝法具支灌頂を受く。時に濟信、歓喜に堪へず自ら宝葢を取りて後に随ふ。密灌の夜、師弟子の為に葢を擎げることここに始まる。康平二年1059七月高野山に参詣、護摩八百余日を修し山上に灌頂院造営を発願。治歴四年二月天皇不豫、即ち勅によりて宮中賀陽殿に密壇を建て、孔雀経法を修し、同三十日牛車の宣を賜ふ。延久四年皇太子疱瘡御祈の為、仁和寺に薬師法を修して効験あり。同四月廿一日後三条天皇は師を戒師として御落飾遊ばされ、法諱を金剛行と号し給へり。承保二年1075二月封二千戸を賜り、承暦元年1077十二月十八日法勝寺供養導師となり、・・同二年十月法勝寺において大乗会を始修す。永保三年1083三月十三日六条内裏に於いて孔雀経法を修し同廿日二品に直叙せらる。これを品階の初例となす。親王は天性霊敏、よく顕密の奥旨を究め、悉曇・梵書に通暁し、常に精修苦行、帯を解かず葷を茄はず。尤も法験に長ず。されば勅を奉じて孔雀経法を修すること二十余箇度、即ち冷泉院・後朱雀院の御悩を除き、左大臣教通・参議師成・大納言師忠等の病を治し、大相国道長の女を蘇生せしむる等、神験挙げて数ふべからず。故にその袈裟念誦、一度拝すれば、痼疾・狂瘧・疫癘・頑疱、治せざるなく、上下帰仰して弘法大師の再来と称す。応徳二年1085
九月二十七日寂す。壽八十一.北院の上に葬り、額して光明壽院と号す。・・寛助を洒瓶となす・・」

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