朝鮮半島が何れ統一されそうです、日本は中国・ロシア・朝鮮半島と周辺国すべてがアンチ日本という容易ならない緊迫状況に置かれつつあります。こういう時こそ歴史に学ぶ必要があります。蒙古襲来で神風を吹かせた叡尊の石清水八幡に捧げた祈祷文があります。日本人は神の末裔であり、日本人は佛法を守り社稷の神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む民族であるから守護したまえ、と祈っています。
以下「八幡愚童訓」。(弘安四年1281年、六月、(この年五月末には壱岐対馬に蒙古軍が襲来していた))二十六日の初夜の時(午後)より南都北京の持戒の僧七百余人、当社(石清水八幡)の宝前にして、尊勝陀羅尼あり。その声、天に響き山谷に答えておびただし、七日七夜怠らず。一向専心に誦せられる。見聞の人、身の毛よだちて覚えける。毎日酉の刻には皆参るなり。思円上人(叡尊)舞殿にて尊勝法を修したまふ。面には四海の浪を畳み、眉には八字の霜を垂らし、六大無碍の秋の月、胸の中に朗らかに、三聚浄戒(摂律儀戒(一切の悪を捨て去る)・摂善法戒(一切の善を実行すること)・摂衆生戒(衆生にあまねく利益を施すこと))の夜の珠,袂の上に輝きて見え給ふ。閏七月一日は思円上人(叡尊)高座に登り啓白を致し、人に物を言うが如く口説き申されけるは「異国の襲来は貴賤上下道俗男女一味同心の歎き、七道諸国の煩いなり。悲しいかな、三千余社の権実は神国を滅ぼし、十二部経大小の法門を失わん事を。たとえ皇運末になり、政道誠無くして神祇非礼を咎め、仏天虚妄をにくませ給う共、『他の国よりは我が国、他の人よりは我が人、いかでか捨てたまふべし。公家の勢い衰えて人民の力無む時』と誓い給いしは、今此の時に当たれり。早く霊威を施し、怨敵を退け坐べし。そもそも異国にこの土をくらぶるに、蒙古は是犬の子孫、日本は則ち神の末葉なり。貴賤相別れ、天地懸隔なり。神明と畜類と何んぞ対揚に及ばん。昔新羅の仰ぐ道行は、三帰五戒(帰依佛・帰依法・帰依僧、•不殺生・不偸盗•不邪淫•不妄語•不飲酒)の威力に過ぎざりき。今本朝のたのむ諸徳は二百五十の具足を全うす。尊卑遥かに別れ智行浅深あり。彼は一人、是は数輩。他国の財宝を奪い人民の寿命を滅す。仁義にも背き殺盗を兼ねたる非道と我が朝の佛法を守り社稷の神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む正理と三宝知見し、吾神照覧し給ふらん」と二時ばかり骨髄に通り心肝をくだいて懸河の弁舌湧き上がり心地の法水澄通る。大慈大悲の感涙を流し、香衣に汗を通して祈誠袂濡れるばかりに見え給う。満座首をうなだれ随喜の心余りあり。廟神定めて此の理を聞し召したまふらんと覚えるほどに、御宝殿の内はたと一声鳴る。さればこそ大菩薩御受納あるにこそと、諸人いよいよ信心を催す。
以下「八幡愚童訓」。(弘安四年1281年、六月、(この年五月末には壱岐対馬に蒙古軍が襲来していた))二十六日の初夜の時(午後)より南都北京の持戒の僧七百余人、当社(石清水八幡)の宝前にして、尊勝陀羅尼あり。その声、天に響き山谷に答えておびただし、七日七夜怠らず。一向専心に誦せられる。見聞の人、身の毛よだちて覚えける。毎日酉の刻には皆参るなり。思円上人(叡尊)舞殿にて尊勝法を修したまふ。面には四海の浪を畳み、眉には八字の霜を垂らし、六大無碍の秋の月、胸の中に朗らかに、三聚浄戒(摂律儀戒(一切の悪を捨て去る)・摂善法戒(一切の善を実行すること)・摂衆生戒(衆生にあまねく利益を施すこと))の夜の珠,袂の上に輝きて見え給ふ。閏七月一日は思円上人(叡尊)高座に登り啓白を致し、人に物を言うが如く口説き申されけるは「異国の襲来は貴賤上下道俗男女一味同心の歎き、七道諸国の煩いなり。悲しいかな、三千余社の権実は神国を滅ぼし、十二部経大小の法門を失わん事を。たとえ皇運末になり、政道誠無くして神祇非礼を咎め、仏天虚妄をにくませ給う共、『他の国よりは我が国、他の人よりは我が人、いかでか捨てたまふべし。公家の勢い衰えて人民の力無む時』と誓い給いしは、今此の時に当たれり。早く霊威を施し、怨敵を退け坐べし。そもそも異国にこの土をくらぶるに、蒙古は是犬の子孫、日本は則ち神の末葉なり。貴賤相別れ、天地懸隔なり。神明と畜類と何んぞ対揚に及ばん。昔新羅の仰ぐ道行は、三帰五戒(帰依佛・帰依法・帰依僧、•不殺生・不偸盗•不邪淫•不妄語•不飲酒)の威力に過ぎざりき。今本朝のたのむ諸徳は二百五十の具足を全うす。尊卑遥かに別れ智行浅深あり。彼は一人、是は数輩。他国の財宝を奪い人民の寿命を滅す。仁義にも背き殺盗を兼ねたる非道と我が朝の佛法を守り社稷の神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む正理と三宝知見し、吾神照覧し給ふらん」と二時ばかり骨髄に通り心肝をくだいて懸河の弁舌湧き上がり心地の法水澄通る。大慈大悲の感涙を流し、香衣に汗を通して祈誠袂濡れるばかりに見え給う。満座首をうなだれ随喜の心余りあり。廟神定めて此の理を聞し召したまふらんと覚えるほどに、御宝殿の内はたと一声鳴る。さればこそ大菩薩御受納あるにこそと、諸人いよいよ信心を催す。