先日縁あって松戸で弁栄上人開祖で光明主義の道場となっているという「善光寺」の前を通りました。不思議なご縁でした。
「・・拝む如来は大きくとも、小さくとも、絶対(宇宙精神)より現れて下さるのであるから、絶対に信頼すべきである。地球でさえ、如来に救われるという位、宗教は大きいものである。地球のできた初めから終りまでに、幾万の人が成仏したかによって、地球の成績が決められるのである。(弁栄尊者)」
さっき気が付いたのですが、この考え方で行くと、幾人の人が成仏した(悟りに達した)かによって(悟れなくてもそれにでれだけ近つ゛いたかによって、)その国や、家系の成績が決められるともいえるのでしょう。
弁栄聖人略伝
大ミオヤの無縁の大悲に催されて此土に輝き出で給いし弁栄聖人は、安政六年二月二十日下総国鷲の谷の念仏者山崎嘉平氏の長男に生を受け給う。幼名啓之助。家に在りて精力非凡、耕耘の間なお手に聖賢の書を離さず。十二歳の時三尊(阿弥陀仏と観世音菩薩、勢至菩薩の両脇侍)を空中に想見して憧憬措かず。遂に明治十二年二十一歳にして得度、檀林東漸 寺大康上人に師事し、一行三昧(高弟田中木叉「弁栄聖者御略伝」には往時の上人について「毎夜、熟睡三時間の外は雑用に、学問に忙しく、貫くに念仏一行昼夜断え間なく・・・」とあり。)精進年を累ねて閲蔵七千余巻。掌に油を灯し香蝋を膚に燃して、決烈の志を供え、毎夜寝を取る事僅に二時間余。東京吉祥寺卍(かず)山上人の華厳講席に待せる間には、途上称名中法界観を成就し、明治十五年筑波山上至心念仏の暁には、果満覚王独了々の王三昧を発得し給う。(山崎弁栄記念館の文に「明治15年(1882、24歳)で、筑波山で二ヶ月間にわたる念仏三昧の修行がなされることになった。その折のことを上人は省みての一書簡の中に、次のように書き記している。すなわち、「二十三四の頃と覚え候。その入山修道せんとの動機は、その頃東京にて『華厳五教章』の講義を聞きて、教相文字上の事はわかりても、仏教の真理は三昧に入りて神(こころ)を凝(こ)らすにあらざるよりは、証入すること能わず。よって暫らく山に入れり。 常陸国(茨城県)筑波山麓より一里半ばかりが山頂より二丁ばかりの方に、立身石という巖窟あり。此処に在って凡そ一ヶ月、次に場所をかえて一ヶ月、身に纏うところは半素絹、食物は米麦そば粉などにて・・・・」 このようにして、上人は筑波山における、二ヶ月にわたる念仏三昧の実践を通じて大悟徹底していったのであった。この修行中、山上で昼は窟の中で念仏し、夜は巌の上で礼拝した。その折の念仏三昧発得の証悟の内容を上人は偈に表わし、 「弥陀身心遍法界 衆生念仏仏還念 一心専念能所亡 果満覚王独了々」 (弥陀の身心は法界に遍じ、衆生念仏すれば仏もま(還)た念じたまう。一心に専念して能所(主客)亡ずれば、果満覚王(阿弥陀仏)独り了々たり)。すなわち阿弥陀仏が現前し、その宗教経験の世界が了々として開かれていったことが示されているのである。」)。爾来六度の修行、金剛不退無間増上。師意を継で五香に一寺建立を誓願し、廃屋に起臥して夜々線香を灯に代えて聖像を画き、遠近を勧進するに、窮民あれば喜捨
財米 悉く施す。時々絶食。一衣寒暑を貫き、藁を以て褥とし、極寒暖を取らず、慈愍草虫に及び、持戒堅固、定慧朗かに、精進無比、称名無間、結縁また漸広し。その間、師の訃に接し、即時追恩別行に入り、不臥念仏一百日。普賢行願、近代稀有なれば、先覚、行誡(福田行誡)、現有(山下現有、知恩院の門主・浄土宗管長)、南隠(南隠全愚・鉄舟の招きで全生庵主)、雲照(釈雲照)の諸大徳、随喜措かず。明治二十四年五香本堂落成。二十七年印度仏蹟参拝。翌年帰朝。三業に説法して、念仏を勧化し給う事多年。小経図会印施二十五万余部。米粒名号、結縁その数を知らず。写経、仏画、頒施また夥 し。慈悲深広、定慧双絶、神通徹照、徳化益々洽 あまねして、道俗斉入、異教同益。懇に円具念仏の法門を開闡して、光 明主義を首唱し、現身に如来光明の獲得を勧進し給う。居常諸国を巡化して満韓に及び、極寒極熱一日の休養無し。会堂を創建し、学園を創立し、文書を著施し、雑誌を刊行し、創唱の礼拝儀頒布数十万。技は画、歌、五筆、詩、楽を該ね。学
は内外、東西、科学百般に及ぶ。寸陰といえども徒消する事決して無く、古紙といえども必ず有用に供し給う。念々不離仏、寝息自ら名号を呼吸し、法輪恒転、途上卓上にもなお説法断えず。三業四威儀仏作仏行。一切時一切処片鱗の私をも見出すに由なし。感化衆に徹して、都鄙慈雨に霑う。光明教会全国に蔚起し、念仏三昧各地に興行し、受教発心の念仏行者数万、皆値遇の恩に感泣す。終に大正九年十二月四日、越後柏崎極楽寺巡錫 中、化を遷し給う。仰ぎ惟れば、内証甚深 、外用広大、平等の大悲に動く全分度生の無我の力が、奉仏報恩の無作の精進に顕れ給う師父弁栄聖人の御一生は、大智大悲の如来光明の如実の反映に在せば、誰か大慈悲の応現を仰がざらん。誰か光明の摂化を信ぜざらん。(「人生の帰趣」編者・弁栄高弟田中木叉)
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