今日は東日本大震災から4年です。一瞬にして二万名もの死者行方不明者を出した不条理をどう考えるのか。以前から分かりませんでした。しかしあえていえば結論は「犠牲になった方々は神仏の仕事をしたのだ」ということです。これは以前四国遍路で教えられた考えです。
1、2011年4月22日にこういう記事がありました。「イタリア人の父と日本人の母を持つ千葉市在住のエレナちゃん(7)は、国営イタリア放送協会(RAI)のカトリック教徒向けテレビ番組で『私は日本人で7歳です。私はとても怖い思いをしています。大丈夫だと思っていた家がとても揺れ、同じ年頃の子どもがたくさん亡くなったり、外の公園に遊びに行けないからです。なぜこんなに悲しいことになるのか、神様とお話ができる教皇様、教えてください』と、教皇に質問した。
これに対して教皇は『私も『なぜこのようなことが。他の人々は平安のうちに生きているのに、なぜあなた方は苦しまなければならないのか』という同じ問いを持っています。
。我々は答えを持っていませんが、罪なきキリストがあなた方と同じく苦しまれたということは知っています。イエスの生涯を通して来られた真実なる神は我々と共にいるのです。
悲しみの中にあっても、たとえすべての答えを知らないとしても、神は我々の側におられ、我々を助けてくださいます』と励ました。(共同)」とされます。
2、この教皇のお言葉は犠牲者の方々はキリストと同じだとおっしゃっていると思いました。苦難にあえぎ苦しむ人たちは、本当は我々の業を代わって引き受けてくださっている菩薩(代受苦の菩薩)であるということはお経にも書いています。光明皇后は病者に施浴しましたが、その時らい病患者の膿を吸ってやったところ患者は阿閦如来の姿を現し天に昇ったといわれています。四分律というお経では仏様が「人若(も)し我を供養せんと欲せばまず病人を供養すべし」とおっしゃっています。文殊師利般涅槃経には「(文殊師利菩薩は)自ら化身して貧窮孤独苦悩の衆生となって行者のまえにいたる」とあります。 華厳経(金剛幢菩薩十回向品)は 菩薩が「我まさに一切衆生のために無量の苦を受け諸の衆生をして解脱を得しむべし」といい、大宝積経には「我ことごとく代わって、諸の衆生をして(この世の)大地獄を出しめて、我代わって苦を受け・・・」とあります。
大般若波羅密多経第四十七巻には「一切の地獄、傍生鬼界人天趣の中の有情の受くるところの苦悩、我当に代わって受け、彼をして安楽ならしむべし(地獄、餓鬼、畜生、人間界、天界などの生き物の苦悩を菩薩は代わって受けこれらのものを安楽にしてやる)」とあります。無数の経典に代受苦の菩薩はでてきます。もともと仏様は代受苦の菩薩様なのです。
3、思い出すのは20年7月の3回目の四国遍路のときのことです。36番青龍寺近くの、浦戸大橋下の遍路宿で「幼い無辜の子供がなぜ病気で苦しむのか」という問いの答えをさがして福岡から来たというレントゲン技師と同宿しましたが、この人は私が公案にしている「人はなぜ不平等なのか。むごい不条理な目に会うのか」という問いの答えをズバリと言ったのです。即ち「子供のときなくなる人、難病で苦しんでいる人、不条理な目に遭っている人などはそれが仏様から与えられた仕事なのです。仏様の仕事をしているのです。」と言ったのです。これにははっとしました。いままでの公案に一度に回答を与えられた気がしました。そして今回この言葉を思い出し、これが教皇の答えの意味するところでもあると思いました。
4、ゴーリキーの「夜の宿」では死にゆく若い娘が「次の世に苦悩はなく、苦悩は現世のみのものです。それならせめてもさらに生き延びて現世の苦悩を甘受したい。」といいます。苦悩を背負って現世に生き延びているわれわれは代受苦の菩薩(今回は犠牲者、被災者の方々)に供養させていただくことにより救われるのではないかということでもありましょう。代受苦の菩薩は身を挺して我々に救われるチャンスを与えてくださっているのかもしれません。
1、2011年4月22日にこういう記事がありました。「イタリア人の父と日本人の母を持つ千葉市在住のエレナちゃん(7)は、国営イタリア放送協会(RAI)のカトリック教徒向けテレビ番組で『私は日本人で7歳です。私はとても怖い思いをしています。大丈夫だと思っていた家がとても揺れ、同じ年頃の子どもがたくさん亡くなったり、外の公園に遊びに行けないからです。なぜこんなに悲しいことになるのか、神様とお話ができる教皇様、教えてください』と、教皇に質問した。
これに対して教皇は『私も『なぜこのようなことが。他の人々は平安のうちに生きているのに、なぜあなた方は苦しまなければならないのか』という同じ問いを持っています。
。我々は答えを持っていませんが、罪なきキリストがあなた方と同じく苦しまれたということは知っています。イエスの生涯を通して来られた真実なる神は我々と共にいるのです。
悲しみの中にあっても、たとえすべての答えを知らないとしても、神は我々の側におられ、我々を助けてくださいます』と励ました。(共同)」とされます。
2、この教皇のお言葉は犠牲者の方々はキリストと同じだとおっしゃっていると思いました。苦難にあえぎ苦しむ人たちは、本当は我々の業を代わって引き受けてくださっている菩薩(代受苦の菩薩)であるということはお経にも書いています。光明皇后は病者に施浴しましたが、その時らい病患者の膿を吸ってやったところ患者は阿閦如来の姿を現し天に昇ったといわれています。四分律というお経では仏様が「人若(も)し我を供養せんと欲せばまず病人を供養すべし」とおっしゃっています。文殊師利般涅槃経には「(文殊師利菩薩は)自ら化身して貧窮孤独苦悩の衆生となって行者のまえにいたる」とあります。 華厳経(金剛幢菩薩十回向品)は 菩薩が「我まさに一切衆生のために無量の苦を受け諸の衆生をして解脱を得しむべし」といい、大宝積経には「我ことごとく代わって、諸の衆生をして(この世の)大地獄を出しめて、我代わって苦を受け・・・」とあります。
大般若波羅密多経第四十七巻には「一切の地獄、傍生鬼界人天趣の中の有情の受くるところの苦悩、我当に代わって受け、彼をして安楽ならしむべし(地獄、餓鬼、畜生、人間界、天界などの生き物の苦悩を菩薩は代わって受けこれらのものを安楽にしてやる)」とあります。無数の経典に代受苦の菩薩はでてきます。もともと仏様は代受苦の菩薩様なのです。
3、思い出すのは20年7月の3回目の四国遍路のときのことです。36番青龍寺近くの、浦戸大橋下の遍路宿で「幼い無辜の子供がなぜ病気で苦しむのか」という問いの答えをさがして福岡から来たというレントゲン技師と同宿しましたが、この人は私が公案にしている「人はなぜ不平等なのか。むごい不条理な目に会うのか」という問いの答えをズバリと言ったのです。即ち「子供のときなくなる人、難病で苦しんでいる人、不条理な目に遭っている人などはそれが仏様から与えられた仕事なのです。仏様の仕事をしているのです。」と言ったのです。これにははっとしました。いままでの公案に一度に回答を与えられた気がしました。そして今回この言葉を思い出し、これが教皇の答えの意味するところでもあると思いました。
4、ゴーリキーの「夜の宿」では死にゆく若い娘が「次の世に苦悩はなく、苦悩は現世のみのものです。それならせめてもさらに生き延びて現世の苦悩を甘受したい。」といいます。苦悩を背負って現世に生き延びているわれわれは代受苦の菩薩(今回は犠牲者、被災者の方々)に供養させていただくことにより救われるのではないかということでもありましょう。代受苦の菩薩は身を挺して我々に救われるチャンスを与えてくださっているのかもしれません。