1、古来「空」と「唯識」はどちらが上かと「空有論争」というものがありました。今昔物語にもその様子が書かれています。
「今昔物語集巻四第二十七話 護法清弁二菩薩空有諍語
今昔、天竺の摩訶陀国に護法菩薩と申す聖人御けり。此れは世親菩薩の弟子也。教法を弘め、智恵甚深なる事、人に勝れ給へり。然れば、其の門徒、極て多し。
亦、其の時に、清弁菩薩と申す聖人御けり。此れは提婆菩薩の弟子也。此の人も亦、智恵甚深也。門徒、亦多し。
其れに清辨は『諸法は空也』と立つ。護法は『有也』と立つ。此れに依て、互に、『我が立る所ぞ實なる』と諍ふ。護法菩薩の宣はく『此の事の諍ひ、誰か此の実否を判つべき。然れば、弥勒に問奉るべき也。速に兜率天に昇て、問奉るべし』と。清辨菩薩の宣はく『弥勒は未だ菩薩の位に在せば、猶一念の躊躇有り。然れば問奉るべからず。今成道の時に問奉るべし』とて、其の諍ひ止まず。
其の後、清辨、観世音の像の前に水を浴み穀を断て、随心陀羅尼を誦して、誓ひて、申して申さく、『我れ、此の身乍ら留りて、弥勒の出世に値ひ奉らむ』と、三箇年の間だ祈念す。其の時に観世音、自ら身を現じて清弁に告て宣はく『汝、何事を思ひ願ふぞ』と。清辨答へて云く『我れ願くは此の身を留めて弥勒を待ち奉らむと思ふ』と。観世音、告て宣はく『人の身は徒にして久しからず。然れば善根を修して『兜率天に生れむ』と願ふべし』と。清弁答へて云く『我れ本より思ふ所二つ無し。猶此の身を留めて弥勒を待ち奉らむと思ふ』と。観世音の宣はく『然らば汝、䭾那羯磔迦国の城の山の巌の執金剛神の所に行て誠を至して執金剛陀羅尼を誦して祈請せば、其の願は遂てむ』と。
清辨、観世音の教へに随て其の所に行き呪を誦して祈請する事、三箇年也。
其の時に執金剛神現じて清辨に問て云く『汝、何事を願て此の如く為るぞ』と。清辨、答て云く『我れ願ふ所は『此の身乍ら留て弥勒を待ち奉らむ』と思ふに観世音の示し給へるに依て也』と。執金剛神、語て云く『此の巌の内に阿素洛宮と云ふ所有り。法の如く祈請せば自然ら石の壁開かむ。其れに入りなば此の身乍ら弥勒を待ち奉てむ』と。清辨の云く『穴の中、闇くして見る所無からむ。何してか、佛の出給はむ事をば知るべき』と。執金剛神の云く『弥勒世に出給はば我れ来て告ぐべし』と。
清辨其の言を得て懇に祈請する事、亦三箇年を経るに更に他の思ひ無し。芥子を呪して其の石の面を打つ時に洞開たり。其の時に、大勢の人有りと云へども入らん思ひ無し。清弁、其の戸に立ちはだかりて、多くの人に告て云く『我れ久しく祈請して此の穴に入て弥勒を待ち奉べし。もし其の志有らん人は心を籠て入べし』と。此れを聞く人皆、恐ぢ怖れて敢て其の戸の邊に至る者無くして云ふ樣『此れは毒蛇の窟也。此れに入なん人は定て命を失ひてむ』と云ひ合へり。清辨、猶『入べし』と宣ふに只六人ぞ随て入にける。其の後、本の如く戸閉にけり。入ざる事を悔む人も有けり、亦恐るゝ人も有けりとなん語り傳へたるとかや。」
2,この元とも取れる文が『大唐西域記』巻十・十七國・駄那羯磔迦国の条にあります。
(駄那羯磔迦国(クリシュナ河河口近くにあった)大都城の)城南遠からずして大山巌あり。婆毘吠伽(バービベイカ )・唐言に清辯論師の阿素洛宮に住み慈氏菩薩成佛待見の處なり。論師は雅量弘遠至德深邃、外に僧佉(サーンキ)ノ服を示し内に龍猛の學を弘む。摩揭陀國護法菩薩宣揚法教學徒數千なるを聞き、談議を有懷し杖錫して往く。波吒釐城(パータリ)に至り、護法菩薩の菩提樹に在るを知る。論師乃ち門人に命じて曰く「汝菩提樹護法菩薩所に行詣し我辭の如く曰へ『菩薩は遺教を宣揚し迷徒を導誘す、虛心に徳を仰ぐこと日已に久と為す、然るに宿願未だ果さず遂に禮謁を乖る。菩提樹は空しく見ず、見れば當に證を得て天人師と称さんと誓ふ』と」。護法菩薩は其使に謂て曰く「人世如幻、身命若浮、日を渴して勤誠し未だ談議遑あらず」。人信往復すれども竟に會見せず。
論師既に本土に還り、靜に思ふて曰く「慈氏成佛せざれば誰か我が疑を決せんや」。觀自在菩薩像前において隨心陀羅尼(千手千眼菩薩大悲心陀羅尼)を誦し、粒飲水を絶ち時に三歲を歴る。觀自在菩薩乃ち妙色身を現じ論師に謂て曰く「何の志す所か」。對曰「願くは此身を留めて慈氏を待見せん」。
觀自在菩薩曰「人命危脆、世間浮幻、宜しく善を修勝して睹史多天に生まれんことを願へ、斯に於いて禮覲せんが尚ほ待見より速し」。論師曰「志奪ふべからず、心貳なるべからず」。菩薩曰「若し然らば、宜しく馱那羯磔迦國(ダーニャカタカ)城南山巖執金剛神所にて、至誠に執金剛陀羅尼を誦持せば當に此願を遂ぐべし」。論師是に於いて往きて誦す焉。三歲の後、(執金剛)神乃ち謂て曰く「伊、何の所願にて此の如く勤勵すや」。論師曰「此身を留めて慈氏を待見せんと願ふに、觀自在菩薩來請を指遣す。我願を成ずる者は其の在神なる乎」神乃ち祕方を授け而して之に謂て曰く「此巖石内に阿素洛宮あり。如法に行請せば石壁常に開かん。開けば即ち入中し以って待見すべし」。論師曰「幽居して睹る無きに佛興を詎知せんや」。
執金剛曰「慈氏出世せば我れ當に相報せん」。論師受命して專精誦持し復た三歲を歴るも初と異想無し。芥子を咒して以って石巖壁を擊つに豁として洞開く。
是時百千萬衆は觀睹して返るを忘る。論師其戶を跨ぎて衆曰に告ぐ「吾久しく祈請して慈氏を待見す、聖靈の警祐、大願斯に遂す、宜しく此に入りて同じく佛興を見ん」と。聞者怖駭して敢て戸を履むもの莫し、謂く「是れ毒蛇之窟なり、恐くは身命を喪はむ」。再三語を告ぐに唯だ六人有りて從ひて入る。論師顧て時衆に謝し從容として入る。之に入るに既已に石壁還合す。衆皆怨嗟し前言之過を悔ひる也。
3,お大師様は「秘密曼荼羅十住心論」で第六他縁大乗心を唯識とし、空を説く三論宗を第七住心覚心不生心としてその上に置かれています。
「大日経の三劫の法門は小乗教から三乗教、三乗教から一乗教、更に顕教の一乗教から秘密真言乗に転入する経路を明かすものであって・・一般仏教の説に対比して真言行者の信念向上の歴程を明かそうとして、顕教の小乗、一乗の教意を説かれたものであるという。・・されば真言行者の菩提心の転昇を明かすにあると知るべきである。・・人空無我の観智の光によって人我の妄執を除くのが初劫の法門である。・・弘法大師の十住心でいえば第四住心(唯蘊無我心 (声聞))の教えである。・・弘法大師は第二劫において第六住心と第七住心等を開設された。第六の住心とは法相宗で、第七の住心とは三論宗である。即ち第二劫には萬有は心から生ずという唯心縁起と、またこの唯心の自体も畢竟空であると説く三論の義とが合説されている。・・有為の第八阿頼耶識を本として因縁生の義を明かすは第六住心(法相宗)で、また萬有は唯心の所生であるというてもその心自体は堅実常住なものではなくて心の自性も無自性空であるという理趣を開演するものは第七住心覚心不生心 (中観・三論宗)である。・・」(大日経綱要、金山穆韶)。