「・我々の民族的悲劇太平洋戦争敗戦の事実の依って来る原因を検討していくとき、この民族の悲劇の原因はまさに明治維新そのものに胚胎していることを発見する。・・明治維新が、封建制度を清算して鎖国の時代錯誤を解くという、正当な順序に出ることができないで、外国の圧力に屈し、鎖国の国策変更を迫られて封建制度を放棄せざるを得なかったのであるが、その革命を遂行するに際し、どうしても首尾一貫した指導理念を発見することができなかった。そのため尊王攘夷の革命理論は佐幕開国と争って勝ったけれども革命の後、直ちに尊王開国にその政策を変更せざるを得なかった。ここに明治維新の限界があった。この攘夷から開国への転換は、明治維新の最大の弱点であった。・・・このような徒なる明治維新の美化は大正・昭和の若き日本民族をしてその廉恥を失わしめ、生来の事大主義と機会主義とを一層不健康に肥大させる以外になにものにも貢献しなかった。太平洋戦争の原因も敗因もここに胚胎している。(明治維新の限界、吉田庸作)」
この論を現在に普遍すれば、「日本はすごいという根拠なき事大主義と今さえよければよければいいという刹那主義」を植え付けた明治維新の失敗は太平洋戦争原爆被災を経てさらに東日本大震災の世界に類のない大原発事故にまでつながっているといえましょう。
この論を現在に普遍すれば、「日本はすごいという根拠なき事大主義と今さえよければよければいいという刹那主義」を植え付けた明治維新の失敗は太平洋戦争原爆被災を経てさらに東日本大震災の世界に類のない大原発事故にまでつながっているといえましょう。