福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・3

2017-11-03 | 法話
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・3、

「十三佛の典拠と起源」
結論は経典に典拠はないが平安末期ごろから逆修の本尊として、追善供養としては鎌倉末期ごろ人々に深く信仰されてきたということです。(「十三佛の世界・ノンブル社」)。典拠がないので十三佛を軽く扱う傾向がありますが、現図曼荼羅の胎蔵曼荼羅自体も栂尾祥雲師によると必ずしも大日経に正確に依っているわけではないとされていますから(「曼荼羅の研究・密教文化研究所」)、典拠がないということは必ずしも軽く扱ってよいということにはなりません。千年にわたりご先祖を導いてくださっている厳然とした事実があるのです。そしてその背景としてある究極の密教曼荼羅としての深い意味を大切にすべきです。これから順次述べます。

 冨田斅純猊下の『十三佛講話』によると、十三佛の起源は
「1、十王経の閻魔十王の本地佛たる十佛に後の三佛を加えて新亡者の初七日より三十三回忌までの本佛とした。
2、慈覚大師が密教の根本原理により娑婆有縁の佛を一曼荼羅に網羅せられた。
3、満米上人(まんべい、平安前期の矢田寺僧。奈良県の「矢田地蔵縁起」によれば,閻魔王に授戒した縁で閻魔と地獄をめぐり「矢田寺地蔵菩薩像(国宝」」を刻んだという)が地獄で十三佛が亡者を救うのを見て十三佛を描いたという。
4、明恵上人が夢中に感得せられたというもの。
5、東寺の文観上人が当時尊崇されていた諸仏を集めて十三佛曼荼羅を造ったとの説、があるが何れも根拠に乏しい」とされています。
(以下私説です)大切なのは伝弘法大師作「弘法大師逆修日記」です。これには今日の十三佛の原型がそのまま出来上がっています。是は室町初期に出来上がり是に依って広く逆修が行われていた、とされます(「十三佛の世界」)。

「弘法大師逆修日記事
・初七日、正月十六日、秦皇王、本地不動種子カン、無動経に曰く。諸の仏土を見んと欲すれば明王たちまちに出現し、行者を頂戴して能く之を見せシム。いかにいわんにゃ余の事をや。持に随って成就を得る。四悪趣に堕せず、決定して妙果を證せん。

・五七日、五月二十四日、閻魔王、本地地蔵種子イ、地蔵本願経に曰く。現在未来天人衆、我今慇懃に汝に附属す。大神通方便力をもって諸々の悪趣に堕在せしむることなかれ。
・六七日、六月十五日、変成王、本地弥勒種子ア、弥勒上生経に曰く。一念名を称すれば千二百劫生死の罪を除却す、帰依することあらば、無上道において不退転を得る。
・七七日、七月八日、泰山王、本地薬師種子ベイ、薬師経に曰く。我この名号をひとたびその耳に経れば、衆病ことごとく除き、心身安楽なり。
・百箇日、八月八日、平等王、本地観音種子サ、請観音経に曰く。衆生もしこの名を聞かば、垢を離れて解脱を得ん。あるいは諸の地獄に遊戯し、大悲代わって苦を受けん。
・一周忌、九月二十三日、都帝王、本地勢至種子サン、寶積経に曰く。智慧の光を以て、普く一切を照らす。三途を離れて無上力を得しむる。
・三周忌、十月十五日、五道輪転王、本地阿弥陀種子キリク、平等覚経に曰く。閻浮檀金をもって高さ十丈の佛一万三千体千度造りて供養せん功徳よりも、念仏一遍の功徳は勝れたり。
・七回忌、十一月十五日、阿閦如来種子カン、攝真実経に曰く。東方不動如来の三昧に入って、常にウン字を観ずべし。
・十三回忌、十一月二十八日、大日如来、金大日種子バーンク、胎大日種子アーンク、大日経に曰く。無量俱胝劫、造るところの衆罪業、この曼荼羅を見れば生滅して悉く余り無し。
・三十三回忌、十二月十三日、虚空蔵菩薩種子タラク、礼三十五仏名経に曰く。虚空蔵をとなえる者は、四重五逆の罪悉く生滅し、三業の過皆除滅す。」

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