・十三佛は金胎両部を合した究極の密教曼荼羅であること・・4
「十三という数について」
ここからは冨田斅純『十三佛講話』を中心に記述します。
「13という数は「胎蔵曼荼羅十三大院によりたるものである。密教の根本主義なるものは苟も宇宙に存在するものは、その存在の理由があるものである。存在する以上は宇宙の全存在に必要なものである。全存在に必要なものであればみだりにこれを捨つる理由はない。故に如何なる信仰もこれを絶対的に排除すべきではない。その信仰を開発利用してより高い程度に進めさえすればよいのである。この極端な包容主義に依りて密教の印度に成立するや胎蔵曼荼羅は組織せられたのである。胎蔵曼荼羅中にバラモン教の善神は勿論のこと、邪神・悪鬼でも皆堂々として仏の等流身(六道九界の衆生のために、等しい姿を現して救済される仏の身)としてその位置を保って居る。これが大日経の秘密品・具縁品に記載せられた所謂雑乱集の曼荼羅である。しかるにこの密教が西域諸国に流伝するやこの包容主義を継承して西域地方に崇拝せらるる諸神諸鬼を網羅し、是に三重流伝の思想を以て律したる阿闍梨所伝の曼荼羅(注1)となったのである。
(注1、「曼荼羅の研究・栂野祥雲」では「阿闍梨所伝の曼荼羅とは、善無畏三蔵の所伝として大日経疏第六巻に記載せられるもの、これは善無畏三蔵の見解に基く本経曼荼羅とその軌を一にし第二重に釈迦を描くとある、経文は第三重の乱脱なりとして中胎より外に向かって菩提心の徳、大悲の徳、摂化方便の徳を象徴したものとする三重曼荼羅である。・・・善無畏三蔵は極めて包容的立場より種々の経軌に説かれたる諸尊を本経曼荼羅の上に加えて三重曼荼羅の聖衆475尊、それに中胎の九尊を加えて484尊、さらに眷属を加えると700余尊に達する膨大な曼荼羅となっておる」とあり。)
密教が大師によって伝来するや、胎蔵曼荼羅は八葉流伝の思想(衆生の心臓は合蓮華でありこれが開いて八葉蓮華となり胎蔵中台八葉尊となる)に改められ蘇悉地院は別立して(胎蔵曼荼羅第三重西方の一院で虚空蔵院中の下院を独立させた、経説にもないし主尊もない)現在流布の胎蔵曼荼羅となったのである。大師に依りて我が国に密教が伝来するや能く我が国民性に適したるので猛火が枯野を焼くがごとき勢いで上は一天万乗の君より下は津々浦々まで行われ、わが国民性は全く密教的色彩を帯びるに至ってここに日本的密教曼荼羅の成立を見たのである。而してこの十三佛曼荼羅は密教の根本曼荼羅たる胎蔵曼荼羅の思想を直接に受けて支那にて完成せる三重流現の思想を根底としてこれを一層完成して胎蔵曼荼羅の十三大院(中台八葉院、上方第一重の遍知院、右方第一重の観音院、左方第一重の金剛手院、下方第一重の持明院、上方第二重の釈迦院、上方第三重の文殊院、左方第二重の除蓋障院、右方第二重の地蔵院、下方第二重の虚空蔵院、下方第三重の蘇悉地院、一番外の外金剛部院)を十三佛曼荼羅としたのである。然らば十三佛曼荼羅は胎蔵曼荼羅の最後の発達の活きた絵画である。」
「十三という数について」
ここからは冨田斅純『十三佛講話』を中心に記述します。
「13という数は「胎蔵曼荼羅十三大院によりたるものである。密教の根本主義なるものは苟も宇宙に存在するものは、その存在の理由があるものである。存在する以上は宇宙の全存在に必要なものである。全存在に必要なものであればみだりにこれを捨つる理由はない。故に如何なる信仰もこれを絶対的に排除すべきではない。その信仰を開発利用してより高い程度に進めさえすればよいのである。この極端な包容主義に依りて密教の印度に成立するや胎蔵曼荼羅は組織せられたのである。胎蔵曼荼羅中にバラモン教の善神は勿論のこと、邪神・悪鬼でも皆堂々として仏の等流身(六道九界の衆生のために、等しい姿を現して救済される仏の身)としてその位置を保って居る。これが大日経の秘密品・具縁品に記載せられた所謂雑乱集の曼荼羅である。しかるにこの密教が西域諸国に流伝するやこの包容主義を継承して西域地方に崇拝せらるる諸神諸鬼を網羅し、是に三重流伝の思想を以て律したる阿闍梨所伝の曼荼羅(注1)となったのである。
(注1、「曼荼羅の研究・栂野祥雲」では「阿闍梨所伝の曼荼羅とは、善無畏三蔵の所伝として大日経疏第六巻に記載せられるもの、これは善無畏三蔵の見解に基く本経曼荼羅とその軌を一にし第二重に釈迦を描くとある、経文は第三重の乱脱なりとして中胎より外に向かって菩提心の徳、大悲の徳、摂化方便の徳を象徴したものとする三重曼荼羅である。・・・善無畏三蔵は極めて包容的立場より種々の経軌に説かれたる諸尊を本経曼荼羅の上に加えて三重曼荼羅の聖衆475尊、それに中胎の九尊を加えて484尊、さらに眷属を加えると700余尊に達する膨大な曼荼羅となっておる」とあり。)
密教が大師によって伝来するや、胎蔵曼荼羅は八葉流伝の思想(衆生の心臓は合蓮華でありこれが開いて八葉蓮華となり胎蔵中台八葉尊となる)に改められ蘇悉地院は別立して(胎蔵曼荼羅第三重西方の一院で虚空蔵院中の下院を独立させた、経説にもないし主尊もない)現在流布の胎蔵曼荼羅となったのである。大師に依りて我が国に密教が伝来するや能く我が国民性に適したるので猛火が枯野を焼くがごとき勢いで上は一天万乗の君より下は津々浦々まで行われ、わが国民性は全く密教的色彩を帯びるに至ってここに日本的密教曼荼羅の成立を見たのである。而してこの十三佛曼荼羅は密教の根本曼荼羅たる胎蔵曼荼羅の思想を直接に受けて支那にて完成せる三重流現の思想を根底としてこれを一層完成して胎蔵曼荼羅の十三大院(中台八葉院、上方第一重の遍知院、右方第一重の観音院、左方第一重の金剛手院、下方第一重の持明院、上方第二重の釈迦院、上方第三重の文殊院、左方第二重の除蓋障院、右方第二重の地蔵院、下方第二重の虚空蔵院、下方第三重の蘇悉地院、一番外の外金剛部院)を十三佛曼荼羅としたのである。然らば十三佛曼荼羅は胎蔵曼荼羅の最後の発達の活きた絵画である。」