観音霊験記真鈔25/33
西國二十四番摂州仲山寺十一面像御身長五尺二寸(157㎝)
釋して云く、十一面観音經に云、若し又人有りて千萬億那由多の諸佛名號を暫くも如かず至心にして我の名号を稱念せば福を得る事彼に勝る(十一面神呪心經「若有稱念百千倶胝那庾多諸佛名號。復有暫時於我名號至心稱念。彼二功徳平等平等。諸有稱念我名號者。一切皆得不退轉地。離一切病脱一切障一切怖畏。及能滅除身語意惡。況能於我所説神呪。受持讀誦如説修行。當知是人於無上菩提。則爲領受如在掌中」)。
不空譯に云く、一切有情纔に我名を稱念せば百千俱胝那庾多如來名號を稱念するに超ゆ
(十一面觀自在菩薩心密言念誦儀軌經 ・不空譯「於白月十四日或十五日。爲我不食一日一夜。清齋念誦。超四萬劫生死。一切有情纔稱念我名。超稱百千倶胝那庾多如來名號。皆得不退轉。離一切病患。免一切夭死災横。遠離身口意不善行」)。稱念とは口に稱し心に念ずるを云ふ。那庾多とは此には千億と云ふ。至心とは至誠信心なり。されば観世音は諸佛に超過したる利益ましますと云へども、行者の信心なくして名を稱念せば其の利益すくなし。唯至誠心に稱念せば一世の諸願を成就せん。此の故に經には暫時も至心と云へり。法華論に云く、諸佛の名と観音の號と持者の福異なることなし。言は同て意別なる耳。西國二十四番摂津の國なべの郡仲山寺御長五尺二寸十一面の像は聖徳太子の御開基と云へり。𦾔記に云く、欽明天皇十四年夏五月に和泉郡茅渟の海(大阪湾一帯)に梵音の韻(ひびき)ありて、浪に随って聞ゆ。其聲雷の震ふがごとくして光り赫くこと日の色の如し。海に入りて求るに樟の箱浪にうかみて玲瓏たるを見る。つ井に取上げ天皇に献ず。已に箱を開きて見たまふに十一面観音の像光を放って在す。後此寺を開基なされ本像となし玉ふ。其れより霊験日々に新たにして筆に盡し難し矣。
さて此の十一面の像の由来を云はば、太子過去にて天竺遮蘭國の帝王に生れ玉ひし時その國俄然として疫病をこり人民道のほとりに死す。太子此の十一面の像を手ずから刻み玉ひて祈り玉へば疫鬼皆退き、死する者は生活し病する者はたちまち平癒せり。故に一生御信仰ありて御宿願に云く、我生々世々の間安置し奉らんと祈誓したまひて終に薨御なされけるとなり。其の因縁空しからず、亦扶桑に渡り玉ふこと不思議の因縁なり。此事を太子自ら左右の大臣にかたり玉へば各々感涙を流しけると云々。
歌に
「野をも過ぎ 里をも往て中山へ 参るも後の世のため」
私に云く、歌の意は知り易し。唯佛閣道場霊地霊佛又は説法勧化の處には草露をもわけて参るべし。是後生菩提の為なりけりとの詠歌感吟するに切なり。善導釋に云く、設ひ大千に満る火をも直ちに過ぎて佛名を聞け、名を聞て歓喜し讃めつれば當に彼に生れることを得べし(往生禮讃偈・善導集記「南無至心歸命禮西方阿彌陀佛 設滿大千火 直過聞佛名 聞名歡喜讃 皆當得生彼 願共諸衆生 往生安樂國」)。壽經の意亦如是。已上。言(いふこころ)は設ひ大千世界に満る火輪が頂上に覆ひかかると儘よ夫れを凌いで説法の寺へ詣すべしとなり。古歌に云く、
「火の中を分けてや往かん法の道 雨や霰は物の數かは」
又歌に
「苦を抜て楽を與へよ十一面かけてぞ頼む此世後世」已上。
西國の歌に引き合わすべし。其の外聞法結縁の事諸經論に曲なり。繁を恐れて之を略す。別して梵網古述を披て見るべし已上(梵網經古迹記「設滿世界火。必過要聞法。會當成佛道。廣濟生死流」)又(佛説無量壽經「是故彌勒。設有大火充滿三千大千世界。要當過此。聞是經法。歡喜信樂。受持讀誦。如説修行」)。