矛盾論 ③
1. 7月下旬皆既日食観望のため、パシフィックビーナスに乗船し、硫黄島近海まで出かけた。多くの幸運に恵まれ、今世紀最長といわれる皆既日食を最初から最後まで(欠け始めから終わりまで2時間半)見ることができた。虚心に暗黒に輝くコロナやダイヤモンドリングを見ていると、この地上最大のショーの背景にある太陽、月、空、海をしみじみと実在として感じることができた。神秘的という感覚とは別の何かであり、天体とのある種の一体感から生まれる開放された喜びのようなものであった。もちろん私の誕生日と重なったとか、私の家族と恩師夫妻との2日続けての誕生日祝いとかの幸運が、私の精神を極度に高揚させていたのかもしれないのだが。
7月22日以降私の気分はとても明るい。一方、眉根を寄せて矛盾につき考えるのがしばらく苦痛であった。予定より一カ月遅れの投稿の言い訳である。
2. 矛盾と似た内容を意味する言葉に「パラドックス」がある。日本語訳は逆説または逆理。これらは数学的概念の深化を生み出し、たとえば「アキレスは亀に追いつけない」というゼノンの逆理は数学における極限概念を生み出したと考えられる。
また自己言及につきまとう矛盾が古来論理学の教科書によく登場する。たとえば「クレタ人は嘘つきとクレタ人は言った」という言明は、この言明を真とも偽ともとれないという意味で自己撞着または自己矛盾と称される(自己言及性のために矛盾となるが、最初のクレタ人と2番目のクレタ人が別人なら矛盾はない)。科学に現れる矛盾はこれら(逆理、自己撞着)とはやや趣を異にし、多くは2つ以上の言説の二律背反の形で表現される。たとえば相容れない2つの説の典型が天動説と地動説である。その矛盾の解消は科学の場合、必ず観測や観察の結果として実現されなければならない。
コペルニクスは地球の公転軌道を考える地動説を主張したが、円軌道であったため多くの観測結果を説明できず、ブラーエ、ガリレイ、ケプラーを経て楕円軌道という形で真の地動説が完成した。この歴史的発展の中に、科学における無矛盾化の典型を見る。それは次のような循環的プロセスである。モデル(仮説、理論)→推論結果→観察事実との比較→矛盾の有無→矛盾がなければモデルは正しい(無矛盾モデル)。矛盾があれば新モデルを提出。そして次のサイクルに入る。
上記の科学的プロセスは人間が生み出した、いわば最強の進化的方法論と言って良い。
ただし科学の無矛盾体系化を保証するには、大前提が必要である。「物質的自然は無矛盾である」という無矛盾仮説である。私はこの仮説を拡大し、「生物的自然も無矛盾」という無矛盾仮説を提案している。ただしこれらは云わば公理に近く、それ自体の実証はできないと思われる。そして「自然(物質+生物)は無矛盾」という無矛盾大仮説を信奉している。
3. 「生物的自然も無矛盾」という仮説を信じる根拠が進化論である。では進化論とは何か。それを概説したい。生物的進化は次の4つの機構より成立しているとされる。
① 自己複製系(親から子へ):遺伝型(遺伝子)が表現型(体)を作り出し、表現型は遺伝型を作り出して、遺伝型が複製され次に伝わる。
② 突然変異:遺伝型は何らかの理由により変異して構造が変わる機会をもつ。
③ 自然選択:突然変異により生まれる複数の生物種の表現型の間に、遺伝型の複製の頻度にかかわる抑制的(捕食/被食、資源獲得競争など、あるいは促進的(共生など)な相互作用が存在する。
④ 資源:多種多様な生物種からなる生態系を支える資源と外部環境が存在する。
現在では、生物進化は物質的法則とは独立な生物独自の法則と考えられている。この法則は一見矛盾すると思われてきた様々な生物学上の事柄をことごとく矛盾なく説明してきた。次回はこの進化論について考えたい。
1. 7月下旬皆既日食観望のため、パシフィックビーナスに乗船し、硫黄島近海まで出かけた。多くの幸運に恵まれ、今世紀最長といわれる皆既日食を最初から最後まで(欠け始めから終わりまで2時間半)見ることができた。虚心に暗黒に輝くコロナやダイヤモンドリングを見ていると、この地上最大のショーの背景にある太陽、月、空、海をしみじみと実在として感じることができた。神秘的という感覚とは別の何かであり、天体とのある種の一体感から生まれる開放された喜びのようなものであった。もちろん私の誕生日と重なったとか、私の家族と恩師夫妻との2日続けての誕生日祝いとかの幸運が、私の精神を極度に高揚させていたのかもしれないのだが。
7月22日以降私の気分はとても明るい。一方、眉根を寄せて矛盾につき考えるのがしばらく苦痛であった。予定より一カ月遅れの投稿の言い訳である。
2. 矛盾と似た内容を意味する言葉に「パラドックス」がある。日本語訳は逆説または逆理。これらは数学的概念の深化を生み出し、たとえば「アキレスは亀に追いつけない」というゼノンの逆理は数学における極限概念を生み出したと考えられる。
また自己言及につきまとう矛盾が古来論理学の教科書によく登場する。たとえば「クレタ人は嘘つきとクレタ人は言った」という言明は、この言明を真とも偽ともとれないという意味で自己撞着または自己矛盾と称される(自己言及性のために矛盾となるが、最初のクレタ人と2番目のクレタ人が別人なら矛盾はない)。科学に現れる矛盾はこれら(逆理、自己撞着)とはやや趣を異にし、多くは2つ以上の言説の二律背反の形で表現される。たとえば相容れない2つの説の典型が天動説と地動説である。その矛盾の解消は科学の場合、必ず観測や観察の結果として実現されなければならない。
コペルニクスは地球の公転軌道を考える地動説を主張したが、円軌道であったため多くの観測結果を説明できず、ブラーエ、ガリレイ、ケプラーを経て楕円軌道という形で真の地動説が完成した。この歴史的発展の中に、科学における無矛盾化の典型を見る。それは次のような循環的プロセスである。モデル(仮説、理論)→推論結果→観察事実との比較→矛盾の有無→矛盾がなければモデルは正しい(無矛盾モデル)。矛盾があれば新モデルを提出。そして次のサイクルに入る。
上記の科学的プロセスは人間が生み出した、いわば最強の進化的方法論と言って良い。
ただし科学の無矛盾体系化を保証するには、大前提が必要である。「物質的自然は無矛盾である」という無矛盾仮説である。私はこの仮説を拡大し、「生物的自然も無矛盾」という無矛盾仮説を提案している。ただしこれらは云わば公理に近く、それ自体の実証はできないと思われる。そして「自然(物質+生物)は無矛盾」という無矛盾大仮説を信奉している。
3. 「生物的自然も無矛盾」という仮説を信じる根拠が進化論である。では進化論とは何か。それを概説したい。生物的進化は次の4つの機構より成立しているとされる。
① 自己複製系(親から子へ):遺伝型(遺伝子)が表現型(体)を作り出し、表現型は遺伝型を作り出して、遺伝型が複製され次に伝わる。
② 突然変異:遺伝型は何らかの理由により変異して構造が変わる機会をもつ。
③ 自然選択:突然変異により生まれる複数の生物種の表現型の間に、遺伝型の複製の頻度にかかわる抑制的(捕食/被食、資源獲得競争など、あるいは促進的(共生など)な相互作用が存在する。
④ 資源:多種多様な生物種からなる生態系を支える資源と外部環境が存在する。
現在では、生物進化は物質的法則とは独立な生物独自の法則と考えられている。この法則は一見矛盾すると思われてきた様々な生物学上の事柄をことごとく矛盾なく説明してきた。次回はこの進化論について考えたい。