第三章 さとりの心
第三節 とらわれを離れて
三、赤白黒とさまざまに毛色の違った牝牛でも、乳をしぼると、みな同じ白い乳を得るように、いかに境遇が異なり、生活が異なっていても、人々はみな同じ仏性をそなえている。
例えば、ヒマラヤ山に尊い薬があるが、それは深い草むらにあって人々はこれをみつけることができない。昔一人の賢人がいて、その香りを尋ねて、ありかを知り、樋をつくって
その中に薬を集めた。しかし、その人の死後、薬は山に埋もれ、樋のなかの薬は腐り、流れるところによってその味を異にした。
仏性もこの例えのように、深く煩悩の草むらに埋もれているから、人々はこれを容易に見つけることはできない。いまや仏はそのくさむらを開いて、彼らに示した。仏性の味は一つの甘さであるが、煩悩のためにさまざまな味を出し、人々はさまざまな生き方をする。
第三節 とらわれを離れて
三、赤白黒とさまざまに毛色の違った牝牛でも、乳をしぼると、みな同じ白い乳を得るように、いかに境遇が異なり、生活が異なっていても、人々はみな同じ仏性をそなえている。
例えば、ヒマラヤ山に尊い薬があるが、それは深い草むらにあって人々はこれをみつけることができない。昔一人の賢人がいて、その香りを尋ねて、ありかを知り、樋をつくって
その中に薬を集めた。しかし、その人の死後、薬は山に埋もれ、樋のなかの薬は腐り、流れるところによってその味を異にした。
仏性もこの例えのように、深く煩悩の草むらに埋もれているから、人々はこれを容易に見つけることはできない。いまや仏はそのくさむらを開いて、彼らに示した。仏性の味は一つの甘さであるが、煩悩のためにさまざまな味を出し、人々はさまざまな生き方をする。